工房化

おんなじことはもう書いたかもしれないが、岡本綺堂も野村胡堂も池波正太郎もあれだけの作品を一人で考えたってことはあり得ないと思うんだよね。さいとう・たかをプロダクションがゴルゴ13を量産したのと同じ態勢で、或いは刑事コロンボみたいな連続ドラマと同じで、多くの人が原作を担当しているはず。最初は原作者がいてそれが一発当たるとこれは儲かるというので多くのスタッフがついて工房化していくのだろう。

東京の東側

近頃は浅草辺りで遊ぶことが多いのだけど、私はこれまでずっと東京の西側ばかり暮らしてきたから、東側が新鮮に感じる。上野のガード下なんかは割と好きだったが、今ではただもうタバコ臭いだけで、あの辺の立ち飲み屋に行ってもただおっさんばかりがいて食い物も別にうまくはないから面白くない。上野をさらにひどくしたのが北千住で、この世の地獄みたいなところだ。

しかるに浅草、赤羽、松戸なんかはそれほど煙たくないから不思議である。ほかにも流山の初石なんかはとてつもなく煙い。

松戸は悪くないんだがみんなビルになってしまっていて味気ない。浅草は浅草寺が持ってる土地はだいたい二階建て、三階建てくらいの古い建物が残っていて、そういうところは楽しい。ホッピー通りは全然楽しくない。赤羽も東口の飲み屋街はやはり低層の家ばかりで、再開発を逃れているのが良い。

浅草のすごいところは、若い女が一人または二人連れくらいで平気で立ち飲み屋で飲んでいるところで、こういう光景は新宿や中野辺りではめったにみない。町田でもほとんどあり得ない。いや、いるにはいるけどたいていそういう女は常連で、しかし赤羽浅草辺りはどうも一見の客か何かで、ほんとに目立つ。酒飲みの文化が全然違うように思う。

こないだ吉原のおおとりの市にも行ったのだが、近頃は縁日やテキ屋も紋々の入った人もなかなかみかけなくなってきたが、ここはものすごい。こういう世界がまだ日本に残っていたんだなと驚く。

それでホテルは山谷あたりが一番安い。トイレシャワー共同のシングルの部屋が3000円くらいから楽天トラベルである。楽天トラベルなんかにでてこないけど2000円くらいのいわゆる日雇い労働所が泊まる部屋もたくさんある。屋内はマジックリンみたいな強い芳香剤の匂いで古い木造家屋や下水の匂いを無理矢理抑えてあるような感じで壁はペラペラに薄いがトコジラミ(南京虫)さえでなきゃまあ別にかまわない。山谷から少し外れてると、例えば赤羽辺りだと5000円くらいが最低ラインみたいだ。とにかく山谷は安い。

これが賃貸だと浅草周辺よりは赤羽辺りのほうが安い。どちらも古い風呂無しアパートがそのまんま賃貸に出ている、つまりほかの街ではとっくに消滅した物件が現役で、それを貸している大家さんも多くて、それでこの値段になっているわけだ。だがいずれにしても月5万円くらいはどうしてもかかる。年に80万円くらいはどうしてもかかる。となると週に1回飲みに行ったときに3000円くらいの部屋を借りて酔っ払ったらすぐ寝て、朝は散歩でも楽しむってのがずっと経済的で合理的ってことになる。

ブログを活用する

これまで出版の話はいくつかあったのだが、今回書いているものも、いずれ出ることはあるかもしれないけどいつまで待てば良いのかわからなくなってきた。まあ、出なきゃ出ないで kindle で出せば良いんだけど、気長に待つことにする。7月くらいから書き始め10月にはいったん書き終えたのだが、まだ出る気配は無い。

一般受けするものを書こうという試みもこれまで何度もやってきたが一度も成功していないのだから、私にはきっと書けないのだ。諦めたほうがよさそう。私にはクリスマスの良さがさっぱりわからんし、クリスマスに良さなどあるはず無いのだが、世の中はそれでもクリスマスが好きだ。売れる本を書くということはそういうことだろう。クリスマスにケンタのチキンを本気でうまいうまいと言って食える人間のほうが素で一般受けする本を書けるわけだから得だと思う。しかしそういうこの世に存在しなくても誰も困らぬものを書く気にはなれん。では私の書いているものはこの世に存在する価値があるのかと言われると、実はよくわからん。自分は単にあまのじゃくなだけなのかもしれない。世間が好きにならぬものを好む、ただそれだけなのかもしれないといつも不安になる。

歌を詠む 人もなき世に 歌詠めば 独り狂へる ここちこそすれ

それで、早めに出した方が良いと思われる部分はここに先に書くことにした。別にブログに書いたものを後でまとめて本にしてもよかろう。

早めに出そうと思った歌書はまず明治という元号をなぜ籤で決めたかという話と、「秋の夕暮れ」古今集仮名序疑惑と、「五月雨の頃」はまず西行が詠んだという話だ。これら三つのトピックがどういうふうに一つの本の中で扱われているかってことは、本が出るまで楽しみにしておいてもらいたい。

私も一時期は今にも死にそうだったが、どうもしばらくは生きているようだ。書きたいものはたいてい書いてしまったが、手直しはしたい。死んだ後も書いたものを残すには、出版するのが一番だが、kindle でもまあ残るだろう。あれだけのコンテンツ、amazon が倒産したとしてもなんらかの形で残るに違いない。死んだらすぐに消えるのはこのブログなので、特に残しておきたいものはハテナブログにも転載しておこうとおもう。はてなという会社がいつまで残るかかなり疑問だが、note とかカクヨムなんかにはいまさらまったく書こうという気がおこらない。

ともかく、死んだあともこの世に残そうと思えば勝手に kindle で出せば良いだけだ。

今の世の中はSNSとかメディアがとんでもなく発達しているから、何か良いものを書いても、目立とうとするコンテンツが溢れかえっていて霞んでしまう。しかしそんなことは今に始まったことではなく、江戸時代だって明治だってコンテンツは常にあふれかえっていたはずだ。結局、良質なオリジナルコンテンツを作ってそれが世の中に気付かれるのを待つしかない。今のSNSはこれから生成AIがどんどん再生産してノイズばかりが増えていくだろう。オリジナルなものはほんの一部で後は単にAIで水増しされたコピーでそういうものばかりが目につくようになる。まとめサイトなんか書かされていたライターは失職する。だからもうコツコツとオリジナルコンテンツを作っていくしかない。

自分で書いたものでも「民葉和歌集」なんてのは今見るとまったくダメだ。これはなんとかしなきゃなるまいと思っている。

ドイツ語翻訳も中途半端に手を付けては放置しているんだが、これはもうわざわざ私がやらなくても良いのではないかという気がしてきた。

キャバクラで接待とか

フレンチとか懐石とか、シャレオツな喫茶店とか絶対行きたくないし、キャバクラで接待されても全然嬉しくない。ガールズバーもそう。むしろ熟女パブとかのほうが楽しめる。

私にとって一番楽しめるのはやはり立ち飲み屋だな。ふらっと入って気に入らなけりゃすぐ出られる。その対極にあるのがフレンチだな。とにかくお任せで出てくるものを待つしかない。食ったからといって別に旨いわけでもない。

座るのはかまわんが狭いのは嫌だ。せめてファミレスくらいの個人スペースが欲しい。

古今集仮名序

秋の夕暮れで言いたかったことはつまり、『古今集』「仮名序」はまず貫之が「真名序」を元に六義の部分を敷衍して和訳する形ででき、後に、源俊頼が大幅に加筆して成立したのであろうということである。

具体的に言えば、冒頭は貫之が真名序を適当に和文に訳した部分。

やまとうたは、人のこゝろをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。よの中にあるひとことわざしげきものなれば、心におもふ事を、みるものきくものにつけていひいだせるなり。はなになくうぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるものいづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずしてあめつちをうごかし、めに見えぬおにかみをもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるはうたなり。 このうた、あめつちのひらけはじまりける時よりいできにけり。しかあれども、よにつたはれることは、ひさかたのあめにしては、したてるひめにはじまり、あらがねのつちにしては、すさのをのみことよりぞおこりける。ちはやぶるかみよには、うたのもじもさだまらず、すなほにして、ことのこゝろわきがたかりけらし。人のよとなりて、すさのをのみことよりぞ、みそもじあまりひともじはよみける。 かくてぞはなをめで、とりをうらやみ、かすみをあはれび、つゆをかなしぶこゝろことばおほく、さまざまになりにける。とほきところもいでたつあしもとよりはじまりて年月をわたり、たかき山もふもとのちりひぢよりなりて、あまぐもたなびくまでおひのぼれるごとくに、このうたもかくのごとくなるべし。

続いて、貫之が真名序に六義とあるのを、自分なりに勝手に解釈し歌の例を挙げた部分。

なにはづのうたは、みかどのおほむはじめなり。あさかやまのことばゝうねめのたはぶれよりよみて、このふたうたは歌のちゝはゝのやうにてぞ、てならふ人のはじめにもしける。

そもそも歌のさまむつなり。からのうたにもかくぞあるべき。 そのむくさのひとつにはそへ歌。おほさゝきのみかどをそへたてまつれるうた

なにはづにさくやこのはなふゆごもりいまははるべとさくやこのはな

といへるなるべし。ふたつにはかぞへうた

さくはなに思ひつくみのあぢきなさみにいたづきのいるもしらずて

といへるなるべし。みつにはなずらへうた

きみにけさあしたのしものおきていなばこひしきごとにきえやわたらむ

といへるなるべし。よつにはたとへうた

わがこひはよむともつきじありそうみのはまのまさごはよみつくすとも

といへるなるべし。いつゝにはたゞことうた

いつはりのなきよなりせばいかばかり人のことのはうれしからまし

といへるなるべし。むつにはいはひうた

このとのはむべもとみけりさきくさのみつばよつばにとのづくりせり

といへるなるべし。

その後は、俊頼が付け足した部分。

いまのよの中、いろにつき人のこゝろはなになりにけるより、あだなるうたはかなきことのみいでくれば、いろごのみのいへにむもれぎの人しれぬことゝなりて、まめなるところにははなすすきほにいだすべき事にもあらずなりにたり。そのはじめをおもへばかゝるべくもなむあらぬ。いにしへのよゝのみかど、春のはなのあした、あきの月のよごとにさぶらふ人々をめして、ことにつけつゝ歌をたてまつらしめたまふ。あるははなをそふとてたよりなきところにまどひ、あるは月をおもふとて、しるべなきやみにたどれるこゝろごゞろをみたまひて、さかしおろかなりとしろしめしけむ。しかあるのみにあらず、さゞれいしにたとへ、つくばやまにかけてきみをねがひ、よろこびみにすぎ、たのしびこゝろにあまり、ふじのけぶりによそへて人をこひ、まつむしのねにともをしのび、たかさごすみのえのまつもあひおひのやうにおぼえ、をとこやまのむかしをおもひいでゝ、をみなへしのひとゝきをくねるにも歌をいひてぞなぐさめける。又春のあしたにはなのちるをみ、あきのゆふぐれにこのはのおつるをきゝ、あるはとしごとに、かゞみのかげにみゆるゆきとなみとをなげき、くさのつゆみづのあわをみて、わがみをおどろき、あるはきのふはさかえおごりて、今日はときをうしなひよにわび、したしかりしもうとくなり、あるはまつ山のなみをかけ、野なかのしみづをくみ、あきはぎのしたばをながめ、あか月のしぎのはねがきをかぞへ、あるはくれたけのうきふしを人にいひ、よしのがはをひきてよの中をうらみきつるに、いまはふじのやまもけぶりたゝずなり、ながらのはしもつくるなりときく人は、うたにのみぞこゝろをばなぐさめける。

いにしへよりかくつたはれるうちにも、ならのおほむ時よりぞひろまりにける。かのおほむよや、うたのこゝろをしろしめしたりけむ。かの御時に、おほきみみつのくらゐ、かきのもとの人まろなむうたのひじりなりける。これはきみも人もみをあはせたりといふなるべし。あきのゆふべたつたがはにながるゝもみぢをば、みかどの御めににしきとみたまひ、春のあしたよしの山のさくらは、人まろが心には雲かとのみなむおぼえける。又山のへのあか人といふ人ありけりと。うたにあやしうたへなりけり。人まろはあか人がかみにたゝむことかたく、あか人はひとまろがしもにたゝむことかたくなむありける。 この人々をおきて又すぐれたる人も、くれたけのよにきこえ、かたいとのより〳〵にたえずぞありける。これよりさきの歌をあつめてなむまえふしふとなづけられたりける。

こゝにいにしへのことをも歌のこゝろをもしれる人、わづかにひとりふたりなりき。しかあれどこれかれえたるところえぬところたがひになむある。 かのおほむときよりこのかた、としはもゝとせあまり、よはとつぎになむなりにける。いにしへの事をもうたをもしれる人よむ人おほからず。いまこのことをいふに、つかさくらゐたかき人をばたやすきやうなればいれず。そのほかにちかきよにその名きこえたる人は、すなはち、そうじやうへぜうは歌のさまはえたれども、まことすくなし。たとへばゑにかけるをむなを見ていたづらに心をうごかすがごとし。ありはらのなりひらは、そのこゝろあまりてことばたらず。しぼめるはなのいろなくてにほひのこれるがごとし。ふんやのやすひではことばゝたくみにてそのさまみにおはず、いはゞあき人のよきゝぬをきたらむがごとし。うぢやまのそうきせんはことばゝかすかにして、はじめをはりたしかならず。いはゞあきの月をみるに、あかつきのくもにあへるがごとし。よめるうた、おほくきこえねば、かれこれをかよはしてよくしらず。をのゝこまちは、いにしへのそとほりひめのりうなり。あはれなるやうにてつよからず。いはゞよきをむなのなやめるところあるにゝたり。つよからぬはをうなのうたなればなるべし。おほとものくろぬしは、そのさまいやし。いはゞたきゞおへるやまびとのはなのかげにやすめるがごとし。このほかの人々、そのなきこゆるのべにおふるかづらのはひゝろごり、はやしにしげきこのはのごとくにおほかれど、うたとのみおもひて、そのさましらぬなるべし。

かゝるにいますべらぎのあめのしたしろしめすことよつのときこゝのかへりになむなりぬる。あまねき御うつくしみのなみのかげやしまのほかまでながれ、ひろき御めぐみのかげ、つくばやまのふもとよりもしげくおはしまして、よろづのまつりごとをきこしめすいとま、もろ〳〵のことをすてたまはぬあまりに、いにしへのことをもわすれじ、ふりにしことをもおこしたまふとて、いまもみそなはし、のちのよにもつたはれとて、延喜五年四月十八日に、大内記きのとものり、御書所のあづかりきのつらゆき、さきのかひのさう官おふしかうちのみつね、右衞門のふしやうみぶのたゞみねらにおほせられて、萬葉集にいらぬふるきうた、みづからのをも、たてまつらしめたまひてなむ、 それがなかに、むめをかざすよりはじめて、ほとゝぎすをきゝ、もみぢをゝり、ゆきをみるにいたるまで、又つるかめにつけてきみをおもひ、人をもいはひ、あきはぎなつくさをみてつまをこひ、あふさか山にいたりてたむけをいのり、あるは春夏あき冬にもいらぬくさ〳〵の歌をなむ、えらばせたまひける。すべて千うたはたまき、なづけて古今和歌集といふ。

かくこのたびあつめえらばれて、山したみづのたえず、はまのまさごのかずおほくつもりぬれば、いまはあすかゞはのせになるうらみもきこえず、さゞれいしのいはほとなるよろこびのみぞあるべき。それまくらことば、はるのはなにほひすくなくして、むなしきなのみあきのよのながきをかこてれば、かつは人のみゝにおそり、かつはうたの心にはぢおもへど、たなびくゝものたちゐ、なくしかのおきふしは、つらゆきらが、このよにおなじくむまれて、この事のときにあへるをなむよろこびぬる。人まろなくなりにたれど、うたのことゝどまれるかな。たとひときうつりことさりたのしびかなしびゆきかふとも、このうたのもじあるをや。あをやぎのいとたえず、まつのはのちりうせずして、まさきのかづらながくつたはり、とりのあとひさしくとゞまれらば、うたのさまをもしり、ことのこゝろをえたらむ人は、おほぞらの月をみるがごとくに、いにしへをあふぎていまをこひざらめかも。

特に「春のあしたにはなのちるをみ、あきのゆふぐれにこのはのおつるをきゝ」「としごとに、かゞみのかげにみゆるゆきとなみとをなげき」の部分は不審である。前者は曽祢好忠の長歌から来ており、後者は貫之晩年の歌から来ている。貫之が古歌を参照し列挙している箇所にこれらの歌があるのはおかしい。そもそも「秋の夕暮れ」が古今集仮名序初出で、古歌や当時の歌にまったく使われていないのはおかしい。なぜそんなことを俊頼がやったかと言えば彼は頭がおかしいからである。も少し具体的に言えば彼は白河院の歓心を買い勅撰集の選者になりたかったからである。しかし白河院は俊頼を嫌っていた。だから金葉集は三奏本まで出たが、仮名序も真名序も無いではないか。俊頼はここに白河院か堀河天皇の名を入れ、さらに自分の名も入れたかったはずだ。もしかすると金葉集の序として書いたものを流用したのかもしれない。

「秋の夕暮れ」は清少納言は「秋は夕暮れ」と言い、それを和泉式部が気に入って好んで使い、それでみんなが使うようになったのである。