工房化
おんなじことはもう書いたかもしれないが、岡本綺堂も野村胡堂も池波正太郎もあれだけの作品を一人で考えたってことはあり得ないと思うんだよね。さいとう・たかをプロダクションがゴルゴ13を量産したのと同じ態勢で、或いは刑事コロンボみたいな連続ドラマと同じで、多くの人が原作を担当しているはず。最初は原作者がいてそれが一発当たるとこれは儲かるというので多くのスタッフがついて工房化していくのだろう。
おんなじことはもう書いたかもしれないが、岡本綺堂も野村胡堂も池波正太郎もあれだけの作品を一人で考えたってことはあり得ないと思うんだよね。さいとう・たかをプロダクションがゴルゴ13を量産したのと同じ態勢で、或いは刑事コロンボみたいな連続ドラマと同じで、多くの人が原作を担当しているはず。最初は原作者がいてそれが一発当たるとこれは儲かるというので多くのスタッフがついて工房化していくのだろう。
近頃は浅草辺りで遊ぶことが多いのだけど、私はこれまでずっと東京の西側ばかり暮らしてきたから、東側が新鮮に感じる。上野のガード下なんかは割と好きだったが、今ではただもうタバコ臭いだけで、あの辺の立ち飲み屋に行ってもただおっさんばかりがいて食い物も別にうまくはないから面白くない。上野をさらにひどくしたのが北千住で、この世の地獄みたいなところだ。 しかるに浅草、赤羽、松戸なんかはそれほど煙たくないから不思議である。ほかにも流山の初石なんかはとてつもなく煙い。 松戸は悪くないんだがみんなビルになってしまっていて味気ない。浅草は浅草寺が持ってる土地はだいたい二階建て、三階建てくらいの古い建物が残っていて、そういうところは楽しい。ホッピー通りは全然楽しくない。赤羽も東口の飲み屋街はやはり低層の家ばかりで、再開発を逃れているのが良い。 浅草のすごいところは、若い女が一人または二人連れくらいで平気で立ち飲み屋で飲んでいるところで、こういう光景は新宿や中野辺りではめったにみない。町田でもほとんどあり得ない。いや、いるにはいるけどたいていそういう女は常連で、しかし赤羽浅草辺りはどうも一見の客か何かで、ほんとに目立つ。酒飲みの文化が全然違うように思う。 こないだ吉原のおおとりの市にも行ったのだが、近頃は縁日やテキ屋も紋々の入った人もなかなかみかけなくなってきたが、ここはものすごい。こういう世界がまだ日本… 続きを読む »
これまで出版の話はいくつかあったのだが、今回書いているものも、いずれ出ることはあるかもしれないけどいつまで待てば良いのかわからなくなってきた。まあ、出なきゃ出ないで kindle で出せば良いんだけど、気長に待つことにする。7月くらいから書き始め10月にはいったん書き終えたのだが、まだ出る気配は無い。 一般受けするものを書こうという試みもこれまで何度もやってきたが一度も成功していないのだから、私にはきっと書けないのだ。諦めたほうがよさそう。私にはクリスマスの良さがさっぱりわからんし、クリスマスに良さなどあるはず無いのだが、世の中はそれでもクリスマスが好きだ。売れる本を書くということはそういうことだろう。クリスマスにケンタのチキンを本気でうまいうまいと言って食える人間のほうが素で一般受けする本を書けるわけだから得だと思う。しかしそういうこの世に存在しなくても誰も困らぬものを書く気にはなれん。では私の書いているものはこの世に存在する価値があるのかと言われると、実はよくわからん。自分は単にあまのじゃくなだけなのかもしれない。世間が好きにならぬものを好む、ただそれだけなのかもしれないといつも不安になる。 歌を詠む 人もなき世に 歌詠めば 独り狂へる ここちこそすれ それで、早めに出した方が良いと思われる部分はここに先に書くことにした。別にブログに書いたものを後でまとめて本にしてもよかろう。… 続きを読む »
フレンチとか懐石とか、シャレオツな喫茶店とか絶対行きたくないし、キャバクラで接待されても全然嬉しくない。ガールズバーもそう。むしろ熟女パブとかのほうが楽しめる。 私にとって一番楽しめるのはやはり立ち飲み屋だな。ふらっと入って気に入らなけりゃすぐ出られる。その対極にあるのがフレンチだな。とにかくお任せで出てくるものを待つしかない。食ったからといって別に旨いわけでもない。 座るのはかまわんが狭いのは嫌だ。せめてファミレスくらいの個人スペースが欲しい。
秋の夕暮れで言いたかったことはつまり、『古今集』「仮名序」はまず貫之が「真名序」を元に六義の部分を敷衍して和訳する形ででき、後に、源俊頼が大幅に加筆して成立したのであろうということである。 具体的に言えば、冒頭は貫之が真名序を適当に和文に訳した部分。 やまとうたは、人のこゝろをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。よの中にあるひとことわざしげきものなれば、心におもふ事を、みるものきくものにつけていひいだせるなり。はなになくうぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるものいづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずしてあめつちをうごかし、めに見えぬおにかみをもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるはうたなり。 このうた、あめつちのひらけはじまりける時よりいできにけり。しかあれども、よにつたはれることは、ひさかたのあめにしては、したてるひめにはじまり、あらがねのつちにしては、すさのをのみことよりぞおこりける。ちはやぶるかみよには、うたのもじもさだまらず、すなほにして、ことのこゝろわきがたかりけらし。人のよとなりて、すさのをのみことよりぞ、みそもじあまりひともじはよみける。 かくてぞはなをめで、とりをうらやみ、かすみをあはれび、つゆをかなしぶこゝろことばおほく、さまざまになりにける。とほきところもいでたつあしもとよりはじま… 続きを読む »
「さみだれのころ」を最初に詠んだのは西行であろうと思う。それを俊成が真似て、さらに後鳥羽院や良経が真似た歌が『新古今』に採られることで世間に知れ渡ったのだと私は推測する。まずは西行の歌を見るが、それらはほぼ、彼の家集『山家集』に見られるだけで、『新古今』には採られていない。 西行は明らかに「水」が大好きだった。西行は「花の歌人」として名高いが、実は「水の歌人」と呼んでも良いくらい水の歌を多く詠んでいる。雨、五月雨、時雨、初時雨、村時雨、冬時雨、嵐、雫、雲、雲居、白雲、八雲、雲路、浮雲、横雲、瀧、滝川、瀧枕、池、沼、沢、川、入江、菖蒲(あやめ)に真菰(まこも)。春夏秋冬、ありとあらゆるパターンの水に関わる歌を詠んでいる。清少納言が「春はあけぼの」「夏は夜」「秋は夕暮れ」「冬は早朝(つとめて)」というなら、西行は「春は春雨」「夏は五月雨」「秋は時雨」「冬は雪」と言うに違いない。 「五月雨の頃」以外に「五月雨の空」「五月雨の晴れ間も見えぬ雲路」「五月雨に水まさるらし」「その五月雨の名残りより」「五月雨は野原の沢に水越えて」「五月雨に小田の早苗やいかならむ」「五月雨に山田の畦の瀧枕」「五月雨は行くべき道のあてもなし」「五月雨の軒の雫に玉かけて」「五月雨の頃にしなれば」「五月雨に干すひまなくて」「五月雨はいささ小川の橋もなし」「水底に敷かれにけりなさみだれて」「五月雨の小止む晴れ間のなからめ… 続きを読む »
小沢正夫氏は『古代歌学の形成』で『古今』の序について網羅的に分析している。彼の説を要約するならば、『古今』の序はまず「真名序」が書かれ、これをもとに紀貫之が「仮名序」を書いた。「真名序」に関しては藤原公任が著した『和漢朗詠集』にも裏付ける記述がある。また、その内容は「仮名序」が「『古今集』の内容に精通し、これに愛情をもった文章」であるのに対して、「真名序」は「事務的・官僚的」で「微温的でよそよそしい態度」であって、「貫之以外の人、例えば普通に言われている淑望あたりが書いたと考えてさしつかえない」と言っている。「仮名序」に関しては壬生忠岑が書いた『和歌体十種』に貫之が序を書いたという記載があり、「六義」にこだわるなどの特徴が見える。私も小沢氏に概ね同意する。なるほど、貫之は「真名序」を和文にして、「仮名序」を書き、六義について若干敷衍したであろう。しかし貫之がやったことはそこまでで、今に残る「仮名序」はそこから誰かがさらに大幅に書き足したもののように私には思える。なぜならその書き足したとおぼしき部分に疑惑の文言「あきのゆふくれ」が含まれるからだ。 「秋の夕暮れ」を最初に歌に詠んだ人は平兼盛。光孝天皇の子孫で、村上天皇の御代に臣籍降下して平姓を賜った(光孝平氏)。赤染衛門は兼盛の娘であるという説もある。 浅(あさ)茅(ぢ)生(ふ)の 秋(あき)の夕(ゆふ)暮(ぐ)れ 鳴(な)く虫(むし… 続きを読む »
浅草寺はかつての千束池の南端に位置していて、千束池が埋め立てられた後も、浅草寺の西側には池が残されていた。浅草寺の北側のほうが南側よりも標高が低い。つまり隅田川とは逆方向に、南から北へ、吉原や山谷のほうへ水は抜けていっていたのだろう(今もたぶんそうなのだろう)。 今も場外馬券場と浅草寺の間はくぼんでいてここに雨水が集まるようになっているようにみえる。ここにも昔は池がありそのほとりに凌雲閣という塔があった。花屋敷ももとは湿地だったのだろう。 逆に浅草寺の東側、隅田川の西岸は小高くなっていて、ここに待乳山(真土山)がある。 石浜、真土山、浅草、鳥越岡はいずれも隅田川沿いの自然堤防なのだろう。その外側に千束池があった。
定年退職したら Windows も Mac も使わず Linux だけで生きていきたいと思っていて、Ubuntu 23.10 が出たから upgrade してみたのだが立ち上げたとたんになんかめんどくさくなってやっぱ Windows でいいかなどと考えてしまう。 Davinci Resolve はプロジェクトファイルを完全にデータペース化してるっぽくて、個別のファイルにプロジェクトを保存したり読み込んだりするには export したり import したりしなくてはならない。めんどくさいようだがこれは賢いやり方だ。逆にUnityはアセットをすべて個別のファイルで持っていて、そのそれぞれに .meta とかいうファイルを作って、さらに一時ファイルとかキャッシュとかをやたらと作りまくって、その上機能を package とかいうものにバラバラに分けてしまっていて、それを package manager とかいうものでオンラインで管理している。一つのプロジェクトが無数の細かなファイルでできている。これは一つ一つのアセットを個別にいじれるから便利なようではあるが、OSのファイルシステムに恐ろしく負荷をかけている。ファイルシステムがスタンドアローンで閉じていればまだ良いが、これがネットワークドライブとかファイルサーバーみたいに分散しているととんでもなく負荷が高まる。さらに Unity のライセ… 続きを読む »
ちょっとヒマができたので赤羽に行ってみたのだが、浅草で言えばホッピー通りみたいなところだった。立ち飲み屋がほとんどなく、ほぼ座り飲みの店ばかりで、ちゃんと調べていけば立ち飲みもあるんだろうけど、ここではそこまで店舗のテナント料が高くはないのかもしれない。 それを言えば浅草にも立ち飲み屋が多いわけではない。たいていは座り飲みの店だ。 昼飲みの聖地などと言われているけれども、上野、浅草あたりにも昼飲みの店はたくさんあるし、さがしさえすれば高円寺あたりにもあるわけだ。雰囲気としてはやはり浅草に似てて、あまりタバコ臭くもなく、おっさんばかりではなく、若い女二人連れなども多いところも似ている。これが上野ガード下となるとおっさんばかりで極めてタバコ臭い。 湘南新宿ラインを使えば、新宿から赤羽まで14分で着く。それに比べて新宿から浅草はなんだかんだで30分はかかるわけで、赤羽まで飲みに行くのは案外悪くない。なんなら赤羽に部屋借りて住むというのもアリかなとは思う。賃貸物件を見ると下町だけに古くて安い部屋はいくらでもあり、浅草あたりよりはずっとマシだ。