秘境駅

「秘境駅」DVD見た。
いろいろ言いたいことはあるのだが…。
たぶんカメラマンやスタッフは半素人。制作費も極少。
ホームに降り立つカメラマンの手ぶれが哀愁をさそう。
あまり期待せず見れば吉か。
しかし無人駅というて駅員が居ないだけでなく乗降客も住民も居ないというのはすごい。
車でも徒歩でもたどり着けない。
無人島と同じ。
「奥大井湖上駅」とか。あり得なくねー。なにこれ。

「憲政会」「政友会」「大政翼賛会」などのような戦前の「~会」というタイプの政党名は、戦後では全く無くなり、もっぱらやくざの組名に使われるようになったように見えるのは面白いことだ。
戦前の政党は一種侠客や国士の集まりのようなところがあり、やくざ組織と未分化だったかもしれない。
しかし戦後は政治組織が西欧やソ連など海外の影響を強く受け、国粋的な雰囲気はやくざ組織の中に受け継がれたのかもしれない。
だいたい今時「~会」みたいな名前の政党を作ればなんとなく右翼っぽくて敬遠されるのかもしれん。

ゲバラ関連のDVDをだらだら見る。
原題は Fidel and Che だが邦題は「チェ・ゲバラ&カストロ」となっている。
日本では「ゲバラ」でなくては売れないのかな。
淡々とキューバ革命とか。
まー、もうちょっとアメリカ帝国主義的手法を導入しても良いのでは、と思った。

もう一枚の方は原題は Che, un hombre de este mundo となっており、よくわからんが「チェ 世界のための人」とか訳せるのだろうかな。
ドキュメンタリーだがはっきり言っておもろない。

FF7のDVDも見せてもらう。
ストーリー的にはさっぱりわからんがすごい映像ではある。
作りたい人が作りたいように作ったというか。
ハリウッドに丸投げしてハワイで制作して大コケしたから、今回は旧ファンに対象を絞り込んでオタクに徹したというところか。
なんちゅうか絵的には鬼武者とかデビルメイクライぽい。
ファンタジーとかそういう世界にはまるで感情移入できない私でした。

夜中に目が覚め混濁した意識で「なんで自分はこんなとこでこんなことやってんのだろう」と考えるのが嫌。

だんだん目が覚めてきた。
そしてだんだん腹が立ってきた。
金を使ったり人を使ったりするのが激しく馬鹿馬鹿しい。
みんな困っているはずなのだが、たいていとことん問題がこじれるまで放置する。
全員がはっきり問題を認識し、いらいらし始めると、やっとこさ物事が一挙に解決されていくが、人より先に問題を発見して心配する人間はむなしさを感じるだけ。
たぶんそれが私に馬鹿馬鹿しさとか虚無感を感じさせる元だと思う。
心配性で先読みしながら問題を回避するのが好きなタイプの人はきっと中間管理職には向いてると思うが、本人はたまったものではない。
そもそも人や金を動かすのがめんどうくさいから先読みしているだけのことで、先読みすればするほど手間が増えるのなら最初から知らんぷりした方がまし。

太陽のない街

徳永直「太陽のない街」とか読み始めたが、
これはやばくないか。
小石川に植物園があり、これに沿った谷に千川という川が流れているが、
ここが昔は「東京随一の貧民窟トンネル長屋」で、梅雨と秋の長雨には必ず千川ドブが氾濫し、
労働争議が起きた印刷会社は今も同じ場所に存在するらしい。
物語冒頭、摂政宮殿下(昭和天皇のこと。時代設定は大正末期)が行啓したという、
「高師」とは東京高等師範学校、つまり戦後の東京教育大学→筑波大学付属小学校辺りのことか。
「太陽のない街」は「蟹工船」と違いDVDが出てるらしい。
案外蔦屋で手に入るかも。

小泉劇場

「小泉魔術」とか「小泉劇場」とか本質の見えてない報道が多すぎる。
マスコミって相当馬鹿だな。
みんな公務員に嫉妬しているだけだよ。
官僚体制や役人天国をぶっつぶしたいだけ。
不況続きで鬱憤がたまってただけさ。
それをやってくれるなら民主党でも良かったのさ。
あとは、やはり、足して二で割って結局なにも判断せず、何も決断しない、みんなに責任を分散して誰も責任取らない、そういうやり方はいかんと思ったんじゃないの。
戦前の大政翼賛会や東条内閣がまさにそうさ。
難局をばっさり解決する勇気もなく、誰も責任取りたくなくて、ああいうものをこさえてしまったのさ。
寄り合い所帯の最たるもので、その総大将がどうやって判断したり、また責任をとったりできようか。

今の小泉内閣はおもしろいよ。
今までの日本のどの独裁政権とも違う。
きちんと国民の信任を得ているし、責任の所在も発言の出所もみな明確。
手順もきちんと踏んでるし逃げも隠れもしてない。
そういうのに誰もなれてないから怖がってるが、今までいかなる独裁政権もそうやって正面玄関から堂々と権力の座に着いてはおらぬ。
まあ大丈夫だろう。

小泉首相は憲政の常道を演じて見せてるだけで、首相就任以前の発言どおり行動してるだけなので、小泉周辺が不確定要素なだけで彼自身はきわめてわかりやすい。
ところがマスコミには魔術的に人心を操っているように見えるらしいな。
おもしろすぎ。
自分たちが普段策を弄し人心をもてあそんでいるから他人もそう見えるだけさ。

坑夫

夏目漱石「坑夫」も小林多喜二「蟹工船」も描いている世界は同じ、
作家によって描き方はだいぶ違うがな~と思った。

どうも夏目漱石の「坑夫」というのは、
反小説だとか、
漱石作品中では異質な存在だとか、
取材してたまたま他に題材がなくてうっかり使っちゃっただけとか、
軽視される傾向にあるが、私は夏目漱石の中では一番好きかもしれない
(他を全部読んだわけじゃないが)。
で、ごくかいつまんでいうと
「比較的育ちがよく教育もきちんと受けた自意識過剰な若者が若気の至りで失敗する」という、
「坊ちゃん」「三四郎」「こころ」などと共通のパターンでできていて、
おそらく一連の自画像的作品の一つであって、
特に「坊ちゃん」とはうり二つな構造になっている。
夏目漱石はああいう偏屈な人だから、あまりに小説っぽくないんで、
実は小説のつもりで書いたのでないとか言い訳してるのに過ぎない。
これだけの長編を時間と労力かけてただ埋め草に書くはずはなく、
やはり自分でおもしろいと思い人にも読ませたくて書いたに違いない、と思う。
虚心に読めばただそれだけのことに思えるのだが、そういう読み方をした人はあまりないようだ。

昭和史発掘その2

昭和史発掘を未だに読んでいるのだが。
ていうか昭和史を全然知らなかったことに愕然とするよ。
だいたい小中高で昭和史なんてやらんし。
やれないし。
トラウマだし。日本人の。
石原完爾は大それたやつくらいの印象しかないだろ普通。
東条英機は無能だから首相になってA級戦犯になったのだな。
だから彼がほんとうのA級戦犯じゃないというのは明らか。
田中義一はかなりやばい。
というか松本清張はよほど田中義一に恨みがあるのだろうな。
その怨念が伝わってくるよ。
今は戦争前の世相に似てるとか言うが、
似てなくはないと思うが、深刻さの度合いがまるで違うよね。
当時はプロレタリア運動やるのもそれを弾圧するのもどちらも理があった。
今は無い。明らかに無い。どちらでも良い。

小林多喜二「蟹工船」が無性に読みたくなってきた。
ていうかすでに映画化されているよね。
今更入手困難だと思うが。

昭和史発掘

松本清張「昭和史発掘」など読む。
面白いがねちっこい。
さすがに元朝日の記者…。
本田勝一よりはましだが。

昔の日本は農村だったわけですよね。
株式会社とか大企業というものはない。
ほとんど自営農家。
もしくは小作。
もしくは個人商店。
田舎で一番大きな会社というのは役場か学校か郵便局。
戦後なら農協や漁協。
地方自治体くらいしかまともな雇用環境を提供できなかった。
民間企業の力が今ほど強くないから、
田舎の人間はみんな地域ごとにコミュニティを作って生きていくしかなかった。
今は違う。
民間の大企業がどんどんでかい店舗や工場を建てていく。
そういうところのサラリーマンになればとりあえず安泰。
車社会になったから4車線以上のでかい道路沿いが栄え、
或いは特急や急行が止まる駅の周辺の住宅地に人が住み着く。
人間関係も町の構造もどんどん変わっていく。

個人商店は赤字でも黒字でもないから法人税は払わない。
土地ももってりゃ家賃も払わない。
冒険もしないから急に倒産もしない。
年金もそれなりにもらえる。
となればこれは民間企業の形はしているが公務員と大した違いはない。
いや本質的にはニートと変わりない。
淘汰圧にさらされることなく滅びることもないが発展もない。
特に悪いことをしているわけではないが社会に貢献しているわけでないのは確か。
そういう個人経営の商店や農家が日本中の田舎にものすごくたくさんある。
ほんとはそれがすごい問題なんじゃないかという気がする。

1929年世界恐慌の頃農村の収入の4割は絹だったそうだ。
今じゃ考えられないな。
絹のような輸出用の高級消費財が一番打撃を受けたわけだ。
たしかに田中義一から226事件までの話は面白いな。
浜口雄幸についてはほとんど書いてない。
城山一郎は「男子の本懐」で浜口雄幸についてかなりポジティブに書いているが、
松本清張は農村を困窮させクーデターを招いたダメな宰相という書き方しかしてない。
まー結果的にはそうだな。
しかし田中義一はひどい。
こんだけ失政に汚職だらけじゃ国会が荒れ右翼が暴れ、
首相がばたばた暗殺されるわけだよなあ戦前の日本って。