月別アーカイブ: 2012年4月

イギリス王位継承順位

[イギリス王位継承順位](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E7%8E%8B%E4%BD%8D%E7%B6%99%E6%89%BF%E9%A0%86%E4%BD%8D)。 なるほど、男系でも女系でもよいから、 継承順位の下位のほうには、よその国の王とかも含まれてしまうのだな。 だから、継承戦争で、王様がブルボンからハプスブルクになったりハプスブルクからブルボンになったりするわけだ。 その王位継承(領地などの財産相続)の法律の解釈で戦争がおきてそれが継承戦争。 やれやれ。

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王の姓名

現在のスウェーデン王の名前は、カール16世グスタフであり、その前はグスタフ6世アドルフだった。 明らかにグスタフもアドルフも姓ではない。 ベルナドッテ朝とのことだが、ベルナドッテも姓というわけではなさそうだ。 北欧の王の名はこのように即位前は名A・名B・名C・・だったのが、 即位すると名A・X世・名Bとなる例が多いようだ。 わけわからん。 もしかすると、いや、たぶん確実に、西欧の人名には姓という概念が無いか、希薄なのだろう。 姓がないから、親と同じ名前を子につけたがる。 名が姓を兼ねる、もしくは名がどの親の子かを表している。 ある意味、極めて原始的な名前の付け方だ。 で、それでは紛らわしいから、息子の名前が父や祖父やご先祖様までずーっとくっつけて組み合わせたような長い名前になってしまうのだ。 東ローマには姓(というか王朝名)というものが一応あったような気がするが、 もしかすると過去にさかのぼって学術的に王朝名を決めたのかもしれん。 ああもう、わけわからん。 アラブ人の名前が、子の名 ビン(イブン、ベン等とも) 父親の名、となっている方がまだ整然としているわな。 そういや、中国人には姓があるがそれは中国が典型的なエクソガミー(外婚)社会だからだ。 というか、エクソガミーがないところには姓もないか、希薄なのかもしれんな。 そうかそうか、昔、中国には、姓だけがあり、姓は女系で、氏は官位だ… 続きを読む »

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関心の無い時代

南北朝や室町時代が面白くて料理の仕方によればとても良いものができるのは間違いないが、 現代日本人がこの時代に興味を失って実に久しい。 室町音痴になってしまっている。 北条氏はせいぜい時宗までであり、足利氏は尊氏、義満、義政、あと関心が高いのは義昭くらいだろう。 一度そういう状態になってしまうと、人の関心を呼び覚ますまでの労力が半端ないことになる。 剣豪将軍として義輝を掘り起こした人がいてその努力は敬服するに値する。 で、北条氏末期の状態だけど、必ずしも、足利氏宗家支族が北条氏得宗家および支族よりも優勢になったからだとか、 足利氏の方が新田氏よりも優勢だったとか、両統分立がどうしたこうしたとか、 なんかいろいろ理屈は付けられるけど、 やはりどれが決定的というのではない。 そうやって疑い出すと承久の乱で北条氏が圧勝したのもわからんような気になってくる。 やはり、北条氏の治世が長くなって、北条氏や足利氏などが大きく育ちすぎて、人間関係が複雑になりすぎて、 宗家と分家の関係がぎくしゃくしはじめて、 宗家による独裁体制がうまく機能しなくなってきた。 そこへ皇統分立というのが口実になって内乱に発展した、ということだろう。 承久の乱にしても、固定化した身分や社会というものがうざくなったから起こったことではあるまいか。 後鳥羽院と北条氏の力関係というよりも。 権威と権力が未分化な社会から、軍事行政… 続きを読む »

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歴史の連鎖

川越素描で、 > だいたい日本人の好きな日本史というのは戦国か幕末維新である ・・・ それから、神話時代から平安鎌倉まではロマンもあって好きな人も多い。江戸時代は時代劇に使われる機会が多くて親しみやすい。比較的人気がないのは南北朝、室町である。特に建武の新政から応仁の乱までのぐちゃぐちゃした辺りが好きだというのはよっぽどの物好きである。 > どうしても室町の時代背景を書かねばならぬ。特に応仁の乱の頃のひどく人間関係が複雑で、スターもヒーローもアイドルも居ない泥仕合の時代を書かねばならぬ。 > 菜摘自身は、足利将軍家や室町時代がさほど嫌いでもないのだが、一般人はそうではない。嫌いである以前に無知無関心である。そういう連中にくどくどと説明しなくてはならないのが億劫なのだ。先日も清水の「特論」の講義で菜摘がかちんときたことがあった。清水が言うには、「南北朝や室町時代は中世の暗黒時代」である。特に応仁の乱の頃は「政治が廃れた」一方で、逆に能や書院作りなどの日本特有の「文化が栄えた」時代であって、「今の平成の時代とよく似ている」のだそうだ。《だめだよそれじゃあ。財界人や、司馬遼太郎にかぶれた連中がそういうわかったようなことを言うことはあるかもしれないが、歴史の専門家が、室町時代を「政治が悪く文化が栄えた戦後日本に似た時代」などと乱暴に決めつけてしまっては、日本の歴史というものは、永久に理解で… 続きを読む »

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歌合

日本歌学大系第七巻、まだ読んでる。なかなか面白い。 佐佐木信綱の解題もじっくり読んだ。 戸田茂睡「梨本集」面白い。いままで知らんかった。 「梨本集」に[天徳歌合](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%BE%B3%E5%86%85%E8%A3%8F%E6%AD%8C%E5%90%88) とか高陽院歌合とか出てくるのだが、 この時代の歌は勝っても負けてもほぼすべてが勅撰集に採られていて、その勝負のレベルも極めて高くて驚く。 こういうものがあったから、明治時代まで歌合という遊びが残ったのだろう。 田安宗武は歌合をひどく嫌っている。 万葉時代には歌合などなかったという理屈。 わからんでもない。 しかし近世では、もはや、歌合とか歌道などという人工的な仕掛けがなければ和歌というものは延命できない状態にあった。 人工呼吸器、生命維持装置のたぐいだ。 それをいきなり外せというのは酷だ。 生命維持装置が無くても生きていける方法を先にみつけてから言うべきだろうと思う。 おそらく日本人がみな自然と和歌を詠めたのは人麻呂の頃から上の天徳歌合のあった村上天皇くらいまでのことだろう。 民衆の関心は静かに和歌から離れていった。 昔の良い歌は一般人がたまたま良く詠んだ歌が後世に残ったもの。 今の良い歌は絵師がうまく巧んでかいたもの。 確かにそういう違いはある。 だが… 続きを読む »

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医療産業

1月から酒を飲み始めて4月にはけっこう花見などで飲んだりしたのだが、病院の検査はすべてOK。 飲酒の影響はまったくなかった。 まあ、こんくらい飲んでも大丈夫なわけだな。 きちりんで検索すると二番目に吉林省が来るのは笑えるが、 それはそうと、 [医療を基幹産業に](http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120420) 等と言っているのだが、 思うに、日本だけで考えると、医療や介護や年金などは大きな負担なのだが、 日本が世界に先駆けて老人大国になり、以後よその国も多かれ少なかれ、日本と同じ路をたどる。 そのとき日本の最先端の医療技術や介護実績の蓄積が海外に売れるだろう。 だから、案外、たとえば私が老年となったときは日本産業は安泰かもしれん。 公務員がーとか地方自治体がーとか公共事業がーとか国の赤字がーー、などと言っているが、 結局日本の国家財政を蝕んでいるのは医療費である。 それは、患者になった私が身に染みて知るところだし、 また若くしてその恩恵を多大に受けることとなった。 医療と介護の境目は曖昧だ。 救済すべき患者とただの年寄りの境界も曖昧だ。 本来介護の範疇に入るものでも、ゴネれば医療として認められるかもしれん。 救済すべき患者と、単なる過剰診療の患者の境界も、実際曖昧だ。 そういうカテゴリーのあやうさがある。 病院だけでなく地方行政においても、そのカテ… 続きを読む »

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俊成2

> 山桜散りに光を和らげてこの世に咲ける花にやあるらむ いいねえ。「この世に咲ける花にやあるらむ」。しびれる。 > つくづくと濡れそふ袖におどろけば降るとも見えで春雨ぞ降る いいねいいね。「降るとも見えで春雨ぞ降る」。すごく良い。 同語反復がうまく効いている。 これも初句不要。七五七七のほうがしまりがあるだろう。 > 花の散る山川堰ける苗代に賤が心も満つべかりけり 普通? > すみれ咲く浅茅が原は踏み分けて問ふ人無きもさもあらばあれ 「問ふ人無きもさもあらばあれ」。いいなあ、こういうすっとぽけた言い方する人だったのだなあ。 > 志賀の山松にかかれる藤の花浦のさざ波越すかとぞ見る 叙景のようだが、しかしあり得ん誇張された光景だわな。 > 藤の花雲にまがひて散る下に雨そぼ降れる夕暮れの空 > いにしへをしのぶ心をそふるかな御祖の杜ににほふたちばな > 我が魂もあくがれぬべし夏虫の御手洗川にすだく夕暮れ > あはれさを人見よとても立てざらむけぶり寂しき賤が蚊遣り火 > 野辺に置く同じ露とも見えぬかなはすの浮き葉に宿る白玉 > 思ふこと今はみな尽き果てぬらむ御手洗川にみそぎしつれば > 眺むれば心さへこそあくがるれしぐるる頃のむらくもの空 > なぞやかく眺むる方も霧こむる深山の里に心澄むらむ > ふもとにはまた時雨とや思ふらむ深山の里はあられふるなり > 奥山の岩根の苔ぞあはれなるつひには… 続きを読む »

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山吹

兼明親王 > 小倉の家に住み侍りける頃、雨の降りける日、蓑借る人の侍りければ、山吹の枝を折りて取らせて侍りけり、心も得でまかりすぎて又の日、山吹の心得ざりしよし言ひにおこせて侍りける返りに言ひつかはしける > 七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞあやしき 「道灌」(落語)では「あやしき」が「かなしき」になっている。 あやし、とはこの場合見苦しい、みっともない、お恥ずかしい、心苦しい、申し訳ない、と言った意味ではなかろうか。 山吹の枝を出したというのは、謎かけのようなものだっただろう。 太田道灌のほうの話では、和歌の教養がない、ということになっているようだが、 三代集ならともかくとして、こんなマイナーな後拾遺集の歌まで覚えるのが室町時代の関東で要求される教養だったとは思えない。 普通の歌人ですらしらなかっただろうと思う。できの悪い作り話としか言いようがない。 太田道灌について江戸時代に捏造された伝説は所詮この程度のものだが、江戸っ子たちには受けがよかったのだろう。

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宗武と在満と馬淵

修身の教科書には「松坂の一夜」というのがあって、戦前は、賀茂真淵と本居宣長は理想的な師弟関係ということにされていた。 賀茂真淵は、本居宣長の師だというので、やはり権威付けされた。 田安宗武もまた賀茂真淵を師としたので、戦前の権威付けの中で批判しにくいされにくい位置に居たわけだ。 本居宣長と田安宗武は、共通点を探す方が難しいくらいなのだが。 それで、田安宗武の死後、「天降言」が遺臣等によって編まれ、さらにそれが「悠然院様御詠草」にまとめられた。 ちらと読ませてもらったが、そんなに分量のあるものではない。 最初の辺りに秀歌らしきものがまとめてあり、後は時系列の詠草のようだが、まさに「詠草」と言うのにふさわしいレベルだと思う。 窪田空穂は田安宗武を西行にたとえたというが、窪田空穂はほんとうに西行がわかっていたのか。 > 山里はまだ消えやらぬ雪のうちにうぐひすのみぞ春を知らする > 山里に春や遅くもたちにけむむらむら残る去年のしら雪 > 五月雨の空なつかしくたちばなの匂ひをさそふ軒の夕かぜ > 千代ふべき君がかざしのためとてやさかり久しきにはの白菊 > うすくこく色づくにはのもみぢばはしぐれもことに心あるらし > こと草はうつろひかはる庭のおもに秋をぞ残すしらぎくの花 などはまあまあだ。 ただ、少しオリジナリティがあるようにも見えるが、よく見ると典型の範疇に収まっていて、すごくすごいわけで… 続きを読む »

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俊成

まあなんというか、俊成というのは、 [五社百首](http://tois.nichibun.ac.jp/database/html2/waka/waka_i046.html)とか、 実にわかりやすい、平明な歌を詠むよね、定家と違って実にわかりやすい。 しかし文章がどうしてあんなに長くてわかりにくいのかなあ。 家隆もそうだな。この二人は近いとみて良いのかもしれん。 たとえば、 > 手弱女の夜戸出の姿思ほえて眉より青き玉柳かな 「眉より青き柳」というのがすごいね。 柳眉という言葉がこの当時からあった証拠なのだろうが、用例がよくわからん。 > 一木だににほひは遠しもろこしの梅咲く嶺を思ひこそやれ 遠く唐の嶺に咲く梅を思いやるという、陳腐だがなかなか詠めない歌だな。 > さらねども難波の春はあやしきを我知り顔に鴬の鳴く 俊成は、初句が軽いのが多いね。七五七七だけで十分意味が通るのが多いと思う。 文脈的にこの「あやし」は、 自分には理解できず「あや」と思う気持ち、 知りがたいがなんとなく心牽かれる気持ち、という意味だろうな。 夫木抄には、 > さらねども難波の春はあやしきに我告げ顔に鴬の鳴く となっている。 > いざや子ら若菜摘みてむねせり生ふる朝沢小野は里遠くとも 「あささはをの」がよくわからんが、たぶん朝沢小野だろうと思う。 なんか良い歌が多すぎて調べきれんね。 てか、定家の歌がどれもひ… 続きを読む »

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