小室直樹のことはときどき私の「日記」にも出て来るので,
カンの良いひとはもうお気づきかもしれないが,
私は中学生の時に小室直樹に心酔して以来の小室ファンである.
小室直樹は 1980 年「ソビエト帝国の崩壊」で世に知られるようになった.
そのころはわっともてはやされてちょくちょくテレビに出ていたが,
討論会で女流評論家に乱暴な振舞いに及んだ,とか,
田中角栄裁判の検察官どもを送電線に逆さ吊りにしろ,とか,
文部大臣を縛り首にしろ,と言ったとか,
フィリピンの街頭で群衆を前にマルコスを殺せと演説したとかしないとか,
とにかくむちゃくちゃな人なので自然とマスコミには登場しなくなった.
テレビに出てる変人というのはしょせんパフォーマンスとして変人を演じているだけであって,
小室直樹ほどの変人になるとテレビには出せないのである.
その当時の一般的な評判は,奇人変人過激な右翼論客,というところか.
私も当時なぜ小室直樹はあれほどまでに田中角栄を擁護するのか理解できなかった.
今はまあまあ理解できているつもりだが,未だに三島由紀夫がどうのこうの
という当たりはついていけない.
小室直樹はカッパブックスというあやしげな大衆向け新書から
盛んに本を出していたが,
テレビには全然出て来なくなってしまったので,
知名度はどんどん落ちていったと思う.
「田中角栄の呪い」といった怪しげなタイトル,
ある種ふざけた文体など,まともな書物の体裁をとっていなかった.
落合信彦の本と並べて置いてあったりするとさらにうさん臭さが増したりした.
あれはおそらく預言が成就されたあとの,
未来の読者にだけわかるように書いてあったのである.
だいたい落合信彦の本はたいてい絶版になっているが(多分),
小室直樹の本は「ソビエト帝国の崩壊」から「国民のための経済学原論」まですべて今でも手に入るはすだ.
左翼系知識人は小室直樹をあまり相手にしなかった.
彼らは要するに世の中にもてはやされている人間や思想を論破することによって
自分が有名になりたいだけだ.
しかし実際に「ソビエト帝国」が「崩壊」してのちに小室直樹は
再評価されるようになった.
「ソビエト帝国の崩壊」を「預言」したのは小室直樹だけではないとか,
小室直樹が最初ではないとか,
あんなことは誰にだって言えるとか,そういう評価が多かったように思う.
エンジニアリングの世界でもそういう「結果論」
をぶつぶつつぶやくやつは必ずいるのだ.
小室直樹の預言は当たることもあるし外れることもある.
もちろん預言は当たるにこしたことはないが,
もし小室直樹の預言を批判したいのなら,その「方法論」を批判すべきだ.
それから,小室直樹は自分の願望を「預言」することがあるが,
これの的中率は極めて低い.
しかし「預言」とは本来そうしたものだ.
小室直樹があれほど祈願したにもかかわらず,田中角栄は甦らなかった.
fj に「小室直樹」の名前が出て来たのはせいぜい
「国民のための経済学原論」以後だ.
それまで小室直樹という偉大なる預言者を fj は知らなかったのである.
というよりも,fj はマスコミ(あるいはせいぜい大学の講義)から
仕入れたネタを肴にだべる程度のものだから,そんなもんだろう.
私は小室直樹のようになりたかった.
小室直樹のようになるということは,
小室直樹の本を読むだけではなく,
小室直樹だったらこのときどう判断するか,
小室直樹の本と相談することなく自分で解決できるようになることである.
例えば湾岸戦争や金丸の頃はまだ小室直樹がリアルタイムで御託宣してくれていた.
そのとき小室直樹が書いた本やコラムを読む前に,
自分なりに小室直樹だったらどう言うだろう,と考えてみる.
そのあと小室直樹の書いたものを読んでみるのだが,
彼はいつも私の予想と違うことを書いていて,落胆したものだ.
小室直樹の本に「日本資本主義崩壊の論理」というのがあってこれは副題が「山本七平「日本学」の預言」となっている.
山本七平はその最初の著書「日本人とユダヤ人」でこてんぱんに叩かれた.
それというのもイザヤ・ベンダサンという偽名で書いたことと,
最初の著書だったのでいろいろとナイーブな点があったのと,
当時最盛期だった左翼論客との泥沼のディベートに巻き込まれたためであろう.
つっこもうと思えばいくらでもつっこめる本を書いてしまったのが
山本七平の敗因である.
そして死体に鞭打つように,山本七平を攻撃する人は後をたたない.
いいカモにされているのである.
fj でカモにされるのも,山本七平のようなナイーブな人(素人)である.
小室直樹はわが国では「素人の業績を「専門家」は,絶対に評価しない.
況んや,これを採長補短し,健全に哺育するなど,夢想もできない.
その最も不幸な例が,故・山本七平氏である」と言っている.
幸か不幸か,山本七平は「日本人とユダヤ人」で名前を知られた.
で,以後の著作はすべて色眼鏡で見られるようになったのである.
山本七平は知識をひけらかすというところもないではないが
(それはすべての知識人がそうなんであって,
山本七平がとくにひどいとも思えないのだが)
またそそっかしいことを書くこともあるが
(それもまたすべての知識人がそうなんであって,
山本七平がとくにひどいとも思えないのだが)
また説教じみたことを書くこともあるが
(それもまたすべての知識人がそうなんであって,
山本七平がとくにひどいとも思えないのだが)
特に悪意をちりばめて書いているとも思えない.
悪意を抱いている人間が読めば,
悪意をちりばめて書いているように見えることもあるのである.