ハイディの成立
ハイディの舞台となったマイエンフェルトやラガーツ温泉などの町はヨハンナ・シュピリにとってほとんど土地勘の無いところだったはずだ。ヨハンナは生まれ育った Hirzel(Zurich郊外。『フローニの墓』などに出てくる)と、14才から住んだ Zurich、16才から寄宿舎暮らしをした Yverdon-les-Bains 以外はあまり知らなかったと思う。 Wikipediaなど見るとまっさきに、ヨハンナが子供の頃、何度か夏休みに Chur で過ごし、それがハイディを書くときの素材になったなどと書かれていて、アルムおじさんの故郷が Chur であるとされているからにはヨハンナは実際 Chur にかなり長い間滞在したことがあるのだと思われる。ただ、ヨハンナの父母や祖父母などを調べてみるに、彼らもみな Zurich の周辺に住んでいるので、Chur に親戚がいたというわけではなさそうで、おそらく彼の父は、スイスの医師として、グラウビュンデン州の州都クールへ、ときどき出張する必要があったのではないか。それで父についてヨハンナも Chur を訪れたことがあったのだと思う。 フランクフルトから Chur まで鉄道が開通したのが 1858年で、そのときにマイエンフェルト駅もできた。さらにチューリヒからマイエンフェルトまで鉄道が作られた。こうして1990年代にはラガーツ温泉が開発されて、保養所などができ… 続きを読む »