トータル・リコール(シュワルツネッガーのほう)をみた。
この映画は何度もみているのだが、初めて通してみてみた。
良く出来た話だと思う。
特に最後まで夢なのか夢じゃないのかわからないしかけ。
途中、あ、やっぱ夢なんだなと思わせといて、
やっぱ現実かもしれないと思わせる絶妙の駆け引き。
味方かと思うと敵、敵かと思うと味方。
自分までもが実は敵だったというひっかけ。
いやーよくできてるなと思う。
Philip K. Dick という人の短編SF小説
We Can Remember It for You Wholesale
が原作になっているという。
つまり原作は映画ほどのボリュームはなかったということだ。
映画の字幕では inspired by と書かれているので、
ざっくり下敷きにしたくらいというのが当たっているのだろう。
原作は明らかに夢では無いという設定でできている。
リコール社で注射された narkidrine という薬のせいで、主人公は削除された記憶を徐々に取り戻す、という設定。
映画のほうでは主人公は自ら記憶を取り戻すことはない。
主人公は単に昔から何度も火星にいる夢を見る、そこにはいつも同じ女性がいる、というだけだ。
リコール社で薬を打たれると火星にいた記憶がよみがえったようにも見えるがそのこと自体が夢だと解釈できなくもない。
最後まで夢かどうかというネタばらしはない。
映画を作ったスタッフの意図でそうしたのだ。
原作は原作として尊重しつつ、より込み入ったしかけに作り替えたのである。
ここまで手をかけておいて最後にやっぱり夢でしたとか、逆に現実でしたなどとネタばらしをするような、
野暮はしまい。
そういうヒントはすべて注意深く消してあるからだ。
ハリソン・フォードの逃亡者にしても原作のテレビドラマはもっとあっさりしたものだっただろう。
それを映画化するにあたってシナリオをみっちりと練り直したのだ。
一人の人間が思いつくには話ができすぎている。
同じことはシャイニングにも言えるだろう。
これが日本だと、原作に手を加えたり、連作にしたりしても、原作を超えることはおろか、
原作の味わいまでも壊してしまうことが多いように思う。
なので、脚本家は原作をなるだけ忠実に、そのおもしろさを殺さないように映画化してもらいたい、
そう願うようになる。
ハリウッドでも、リメイクしすぎてつまらなくなることは多いのだが、
そうではない、それよりか微妙に手前の、ほんとうに面白い作品もたまに出るので、そこが面白いなと思う。