月別アーカイブ: 2013年6月

ランゴバルド族

[この図](http://en.wikipedia.org/wiki/File:Lombard_Migration.jpg)のように、 ランゴバルド族はわざわざスカンジナビアからイタリアまで移動してきたのだという。 まあ、普通に考えると、ゲルマン民族の移動というのは、ノルマン人による南イタリア征服と同様に、 中央アジアの遊牧民族に圧迫されたローマ人とかフランク人が、 ヨーロッパ辺境の種族を傭兵として雇って連れてきたのが自立したのだろう。 [この地図](http://en.wikipedia.org/wiki/File:Italien_zur_Langobardenzeit.jpg)で、oströmische reich とあるのは東ローマ帝国。 Reich des Franken はフランク王国。 Burgundia はブルグンド王国。 その他、Liguria、教皇領、Neapolis などが、ランゴバルド族の国からは除外されている。 ランゴバルド族の国としては、 Neustria、 Austria、 Tuscia、 Spoleto、 Benevento がある。 Neustria はフランク人の故地 Austrasia に対する新しい土地、という意味で、 [この地図](http://en.wikipedia.org/wiki/File:Frankish_Empire_481_to… 続きを読む »

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Regnum Italicum

カール大帝のフランク王国から遺産分割でイタリア王国というのができたが、 イタリア王の血統が絶え、東フランク王オットー1世がイタリア王を兼ねることとなり、 オットーが神聖ローマ皇帝を称することによって、 神聖ローマ帝国となった。 この時期、Kingdom of Lombardy と言う言い方は間違いであり、 Kingdom of Italy という言い方は正しいが、 神聖ローマ皇帝がイタリア王を兼ねているから、実質イタリア王国というものはないのに等しい。 ノルマンコンクエストが始まる直前の南イタリアやシチリアは一部がアラブ人、 一部がギリシャ人の領地であり、 残りのカプア、サレルモ、ベネヴェントは神聖ローマ帝国外のイタリア人(ランゴバルド族)の国だった。 南イタリアのノルマン人による征服は、おそらくは、神聖ローマ皇帝がノルマン人を雇って行わせたものだろう。 神聖ローマ皇帝はローマ帝国の後継を標榜しているから、イタリアに干渉するのが好きなのだ。 ノルマン人はノルマンディから神聖ローマ皇帝の保護の元、陸路でイタリアに向かったと考えるのが自然だろう。 オットー1世がイタリア王となっても、住民や領主はランゴバルド族だったのに違いない。 オットーは、フランク王国の騎士やらに、ランゴバルド族やギリシャ人やアラブ人が支配する土地を占領するように命じた。 そう考えるのが一番つじつまがあいそうだ。 マ… 続きを読む »

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kindle

紙の本と違い kindle では斜め読みや飛ばし読みがしにくい。 無意識的に昔私は紙の本をかなりざっと読んでいたらしい。 適当にとばして、一番最後の解説や後書きを先に読んだり、 真ん中辺りを拾い読みしたりしてたらしい。 それで一冊読んだ気になっていたらしいのである。 kindle ではそういう雑な読み方はできない。 1ページずつ読んでいくしかない。 そうすると私はすぐに眠くなるか読む気がなくなるらしい。 逆に文章を校正するにはkindleは向いている。 丁寧に読んでいくしかないからだ。 今まではワープロで打って紙に印刷して赤ペンとか緑ペンなんかで校正していたが、 その作業を完全にkindleでやるようになった。 少なくとも、紙とトナーの節約にはなる。 誤字脱字などものすごく気付く。 kindleはどんな長編でもかさばらず重くならないから、 長編小説を読むのには適した媒体ではあるんだろうが、 紙の本よりも長い文章を読むのが疲れる。 私のkindle本でも長いやつはレビューを書かれない傾向がある。 レビューというのは一気に読んだ勢いで書くものだろうと思う。 中編くらいの、さっと読みやすい分量の小説、 もしくはマンガのようなものが、 結局は kindle には向いているのかもしれんなあと、 少なくとも売れやすいのではないかと思う。

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Manfred del Vasto

Manfred del Vasto は Adelaide del Vasto の父、というしかほとんど知られてないのであるが、 Manfred という名は Man + Fried (平和な男)という意味であるから、 ラテン系ではなくゲルマン系の名前であることは確かである。 del Vasto の Vasto は南イタリアの地名であり、 ノルマンコンクエストの結果、ノルマン人が獲得した土地の領主になったということであり、 それまで彼は marquess of Western Liguria であったはずだ。 当時のリグリア(今のジェノヴァ地方)は、 Obertenga (東)、Arduinica (西)、Aleramica (真ん中)の三つの辺境伯国に分かれていたとあるから、 マンフレッドはおそらく Manfred del Arduinica などと呼ばれていたはずだ。 彼は [Aleramici](http://en.wikipedia.org/wiki/Aleramici) というフランク王国に由来する、リグリアやピエモンテを治めていた一族に属するらしい。 生粋のイタリア人、というわけではない。 当然 Aleramica という地名と同源だろう。 ジェノヴァは、リグリアのほぼ中央だから、 Aleramica に生まれた自治都市国家、のようなものだったと思われる。 リグリアが三つの… 続きを読む »

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坑夫

『坑夫』を何年かぶりに再読したのだが、 やはりこれはずいぶんへんてこな小説だ。 坑道に入ってから出てくるところまでが一番面白いところだが、それまでが異様に長い。 で、坑から出てくるとあっという間に終わってしまう。 どうでもよさそうなことがくどくどと書いてある。 漱石はつまり、わざと小説らしくない小説を書くためにこんな仕掛けにしたのだろうが、 どうも迷惑だ。 もう少し書きようがあるんじゃなかろうか。 も少し推理してみると、前半の異様に長い前振りはこれは漱石自身の体験を脚色したものだから、異様に詳しい。 で、銅山の話は誰かから取材したもので漱石本人は銅山に登ったことさえない。 だからさらっと書いてしまっている。 そういういくつかのネタを適当につなげた結果こんな具合になったのではなかろうか。 これはまあ自分の体験にも基づくわけだが、自分が実際に経験したこととか実際に取材したことというのは、 つい詳しくなるが、 そうではない箇所も補完して書かなくちゃならない。 そういうところはまあ、つい短くはしょってしまいがちだ。 明らかにそんなふうな小説というのは世の中にざらにある。 自分の小説も、だいたいそうだといえばそうだ。 想像で書いたところ。wikipedia や google earth で適当にすませたところなんかは、 正直自信がない。 出版社がついてて編集とか担当もいれば、そこちょっと話薄… 続きを読む »

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BNP上昇

ええっと、そんで、心室細動でICUに入れられたのが2011年10月27日なんだが、 11月29日には退院して、 それからずっと順調に回復していて、 実はもう完全に良くなってたんじゃないかと思って、 薬を飲むのもサボりがちだったのだが、 いきなりBNPが250台になってしまった。 たぶんアンカロンという薬を飲み忘れることが多かったせいだと思う。 アンカロンは強力な不整脈を抑える薬なので、 この薬が効いているとBNPは5くらいまで下がるらしい。 正常値は20以下。 100を超えると心不全の確率が高い。 > 非常に強力な抗不整脈作用がある反面、新たな不整脈や、肺線維症など重篤な副作用が多いのが欠点です。 日本では、専門医により、他の薬が無効な致死的な不整脈に限り用いることになっています。 なんかまあ恐ろしい薬だな。 私の場合不整脈が出たら死ぬしかないから、つまり致死的な不整脈ってやつだから、 しかたなくアンカロンを飲んでいるわけだ。幸い副作用は出てない。 よくわからんのだが、私はもともとBNPが高い体質だったのではなかろうか。 BNPは普通の血液検査では調べないから、昔どのくらいだったかってことはわからんのだが。 これからもずっとアンカロンは飲み続けなくてはならなさそうだ。 次回の検査でBNPが下がっていればいいのだが。 コレステロール値も相変わらず高い。 まあ死ぬまで節制しなさいってこ… 続きを読む »

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まあ、鐘というものは、銅鐸かなんかみたいにして、美術館に展示してあっても、絵的にはほとんど意味がないのであり、 鐘楼に吊してあって、鐘撞き棒が吊してあって、実際に普段鳴らしている状態で設置されていなくてはならんのである。 写真とは現実ありのままではない。 説明であり記号なのである。 これは京都南禅寺の鐘楼であるが、藪の中にあって、鐘楼の中に鐘がほとんど隠れてしまっている。 これでは、絵的に鐘楼だということがわからないので、困る。 雰囲気は悪くないのだが、残念だ。 鎌倉建長寺。 悪くない。 絵的にはこのように手前に鐘撞き棒があってその奥に鐘があって、その奥に鐘楼の柱があって、 理想的にはその背景は江戸時代の町並みが欲しい。 或いは、江戸時代には存在しなかったオブジェが映り込まなければそれでもよいのだが、 この写真の場合には観光客が入ってしまっているのが、まずい。 早朝などに撮ればよかったのかもしれない。 またこの鐘楼は、屋根が藁葺きなのもなかなか良い。柱も古風だ。 鐘楼全体を写真に収めようとするとどうしても鐘が小さく見えてしまう。 なので、鐘に対して鐘楼があまり大きすぎない方が絵的には良いのである。 鐘楼がでかすぎるとどうしても鐘だけを撮影しなくてはならなくなる。 また、鐘楼がでかければでかいほど、背景に余計なものが映り込んでしまう。 鎌倉円覚寺。 悪くない。 非常に荘重な感じ。 し… 続きを読む »

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山ノ内と扇ガ谷

たまたま梅雨の晴れ間で日差しが強くて良い写真が撮れそうなんで、 世界遺産に相手にされなかった鎌倉に行ってみた。 JR横須賀線北鎌倉駅辺りが山ノ内であり、 その南隣、北鎌倉駅と鎌倉駅の間くらいが扇ガ谷。 地名表記は「山ノ内」と「扇ガ谷」であって、「山内」でも「山之内」でも「扇谷」でも「扇ヶ谷」でもない。 だいたいにおいて上杉氏は「山ノ内」上杉氏と「扇ガ谷」上杉氏が有名なのであって、 それぞれ鎌倉にいたときは山ノ内、扇ガ谷をもともとの本拠地としたのである。 その地名が未だに現役で使われているというのはやや驚きもある。 まあ、歴史的に有名だから今もその地名が使われているということもあろう。 山ノ内と扇ガ谷の間は小高い山であり、亀ヶ谷坂切通しという狭い山道が通っている。 山ノ内というところはつまりは関東管領上杉氏の本拠地であるから、 でかい寺がある。 つまり、円覚寺と建長寺。 どちらにも国宝の鐘がある。 建長寺の鐘は五代執権北条時頼が、 円覚寺の鐘は九代執権北条貞時が作らせたものだ。 鐘というものは案外古いものはなくてかつ国宝で現在も使われているものが、 こんなに近くに二つもあるというのは珍しい。 珍しいんですよ、これは実はね。 京都にも三つ国宝の鐘があるらしいのだが、 どうも今は使われてないらしい。 飛鳥の法隆寺や薬師寺も昔ながらの鐘が使われているとはとても思えない。 奈良の興福寺や東大… 続きを読む »

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恋と女の日本文学

丸谷才一『恋と女の日本文学』は、 簡単に言えば本居宣長を攻撃するのが大好きな丸谷才一が宣長を攻撃するために書いた本である。 丸谷才一という人は、戦後民主主義のホルマリン漬けみたいな人であって、 思想的には大江健三郎や井上ひさしなんかに近い。 國學院大學にいて国文学にものすごい影響を受けているくせに左翼だからものすごく屈折している。 で、本人は本居宣長を攻撃しているつもりなんだが、 誰も怒ってくれない、放置プレイ状態だからますます彼の論説は過激になっていく。 宣長はただ一般論として儒学を攻撃しているのではない。 彼は実際に講義を受けた堀景山を批判しているのだと思う。 彼は凡百の儒者に過ぎなかった。 その講義があまりにもつまらなかった。 堀景山は反面教師としてそうとう宣長に影響を与えたのだろうなと思う。 > 中国人は偽善者で嘘つきだ。それが中国文学の原理である。 (p.72) ここで「中国人」を「堀景山」に読み替えると意味がすんなり通ると思う。 当時の儒学者、武家というものは、多かれ少なかれ偽善者で嘘つきだった。 「蘆わけ小舟」は景山に学んだ宣長の卒業論文のようなものだった。 普通は恩師のことを褒めなくてはならないのだが、 宣長は景山の人柄はともかくとして学問や思想に決して共感できないところがあり、 それを批判したのだろうと思う。 もちろん、宣長は景山なくして契沖に出会うことはなかった… 続きを読む »

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改暦

『明治天皇記』明治4年正月には、寅の刻四方拝、などと書いてあるが、 明治5年正月には午前4時四方拝、とある。 グレゴリオ暦への改暦は明治5年12月3日の翌日を明治6年1月1日とすることで行ったとされるが、 すると時刻の方が先に西洋風に改められた、ということか。 寅の刻というのは天皇が江戸にいるときは江戸の、京都にいるときは京都の日の出・日の入りを基準にしたのだろうか。 電信や無線で一瞬で情報が伝わるようになると、地域で時刻が異なるのははなはだ都合悪かっただろうし、そもそも精度が悪かっただろうな。

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