宣長の花の歌。おもに桜。

> 花ゆゑも 神のいがきは こえぬべし 咲く一枝の 折らまほしさに

> ことさらに ことしげき世を 逃れても 見るべきものは 桜なりけり

> 老いぬれば 何につけても いとふ身を 花には飽かぬ この世なりけり

> もろともに 花もさびしと 思ふらむ 我よりほかに 見る人もなし

> 思ふどち 花にまどゐを すがの根の 長き春日も 暮るる木の下

> うゑて見る 若木の桜 ならふなよ 老いの春まで 花咲かぬ身に

> 花見れば 千代の春もと 思ふかな ふるにかひなき 山がつの身も

> あはれとも 思はば散るな 桜花 五十路の春も 馴れて見る身を

> 花に暮れ 花にぞ明かす 夜までも 昼見し色の 夢に見えつつ

> ほどもなし 花散るまでは よしの山 捨てぬ憂き世も 捨ててこそ見め

> 咲きしより 花になりぬる 心とて 四方の山辺に 散らぬ日ぞなき

> 夜もなほ 夢路にだにと 見し今日の 花染衣 かへしてぞ寝る

> なかなかに 月もなき夜は さくら花 定かに見つる 思ひ寝の夢

> 語らばや 誰と知らねど 咲く花に とまるも同 じ今日の心を

花を思う

> 花はまだ 咲くとなけれど 宿借りて 名もなつかしき 桜井の里

> 山高み 雲かと見えて をちかたに 咲くは心に かかる桜か

> 願はくは 花のもとにて 千代も経む そのきさらぎの 盛りながらに

花を待つ

> 桜花 まつにつれなき こずゑかな 人たのめなる かすみのみして

> のどかなる あたら春日を 花も見で 咲くを待ちつつ いくか経ぬらむ

> 待ちわぶる 桜の花は 思ひ寝の 夢路よりまず 咲きそめにけり

> 待ちわびぬ 桜の花よ とく咲かば とく散りぬとも よしや恨みし

> 待ちわびぬ けふ色見せよ 桜花 明日は散るとも さらは恨みじ

初花

> 咲きぬやと 野にも山にも あくがれし 心はかへる 庭のはつ花

花と契る

> 待ち侘びて 咲かぬ日頃を 恨むかな いつとは花の 契らざりしを

> 忘るなよ わがおいらくの 春までも 若木の桜 うゑし契りを

飽かぬ花

> めずらしき こまもろこしの 花よりも 飽かぬ色香は 桜なりけり

> かくばかり 飽かぬ桜の にほふ世に 命惜しまぬ 人もありけり

> 桜には 心もとめで 後の世の 花のうてなを 思ふおろかさ

> 世は清く すてたるひとも 捨てかねて 見るは桜の 花にぞありける

> 咲きにほふ 春のさくらの 花見ては 荒振る神も あらじとぞ思ふ

閑居花

> 咲きぬとて 人も見に来ぬ 隠れ家に あたら桜の 花の色かな

> 隠れ家は 人も見に来ず 同じくは 嵐も知らぬ 桜ともがな

異国の桜

> 花咲きて 散らぬさくらの 種しあらば とこよの国も 行きてもとめむ

> たづね見む 死なぬくすりの ありと聞く 島には散らぬ 花もあるやと

> さくらなき こまもろこしの 国人は 春とて何に 心やるらむ

> 世の人は 見ても知らずや さくら花 あだし国には 咲かぬ心を

憂き世とさくら

> 立ちなるる 庭の木陰に 宿ながら 憂き世忘るる 花盛りかな

> いかばかり 憂き世なりとも 桜花 咲きて散らずば ものは思はじ

> ひたすらに たれ憂きものと 歎くらむ 春は桜の 花も見る世を

花を惜しむ

> いくばくも あらぬさくらの 花ざかり 雨な降りそね 風な吹きそね

> 惜しくとも 手折りやせまし 見てもなほ 飽かぬ桜の 花の盛りを

> 老いの世に 若木の桜 なほうゑて いつまでとてか 花を待たまし

> 春ごとに にほふ桜の 花見ても 神のあやしき めぐみをぞ思ふ

> この花に なぞや心の まどふらむ われは桜の 親ならなくに

> 桜花 ふかき色とも 見えなくに ちしほに染める わが心かな

> 人ならば かこちやせまし 初花に 待ちし日頃の 心づくしを

> 桜花 たづねて深く 入る山の かひありげなる 雲の色かな

> 帰らばや 高嶺の桜 飽かねども ふもとの花も 暮れ果てぬ間に

> 吹くも憂し 吹かねば月の 霞む夜を 思ひわづらふ 花の春風

> 照りもせぬ 春の月夜の 山桜 花のおぼろぞ しくものもなき

> 咲く花に 絶えてあらしの 吹かぬ間ぞ 春の心は のどけかりける

> 散るこそは 盛りなりけれ 山ざくら 空吹く風も 花になりつつ

> をりをりに 吹けどこずゑは のどかにて 風もいとはぬ 花盛りかな

> 山桜 匂ひばかりは 散るも良し 今を盛りの 峯の春風

> 山見れば ここもかしこも 盛りにて 心は四方に 散るさくらかな

> この頃の 花の盛りを 今日見れば 今日ぞ盛りの 盛りなりける

> 天照らす 神の御国に 生まれきて さくらの花を 見るが楽しさ

吉野の花

> よしの山 かばかり花の さくや姫 神代にいかに 種をまきけむ

> 故郷も 思ひも出でず たづね入る 花を心の 山の旅寝は

> 咲きぬべき 花のこずゑも 風さえて 面影とほき 春の山踏み

> 花見むと 思ふ心の 誘はずば かばかり深き 山路分けめや

> 盛りかと 見ればよしのの 山桜 まだしき木々ぞ なほあまたなる

> 吉野山 風のにほひを しるべにて 吹き来るかたに 花をたづねむ

> 世をいとふ 心なき身も 吉野山 花咲く頃は 思ひこそ入れ

> さくら花 明日も分け見む 吉野山 けふのしをりの 末をたづねて

> 咲き続く さくらの中に 花ならぬ 松めづらしき みよし野の山

> いくへとも しら雲ふかき 吉野山 おくある花も 咲きやしぬらむ

> たぐひなき 花とはかねて 聞きしかど さらに驚く み吉野の山

> 見わたせば 花よりほかの 色も無し 桜に埋む み吉野の山

> いづれかを 花とは分けて ながめまし なべて桜の み吉野の山

> 暮れぬとも なほ分け見ばや 山桜 月夜よし野の 花の盛りは

> ほどもなし 花散るまでは 吉野山 捨てぬ憂き世も 捨ててこそ見め

> 飽かず見る 心の奥は 果ても無し よしのの花を 分けつくしても

> 奥深く たづね入らずは 吉野山 花や心を 浅しと思はむ

> もろこしの 人に見せばや 日の本の 花の盛りの みよしのの山

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