月別アーカイブ: 2016年12月

日本人が知らない村上春樹

何が言いたいのかさっぱりわからない本だ。 ましかし、少しだけ面白い箇所もあるから引用してみる。 日本在住のスイス人の作家が書いた文章。 > 複雑だったり、抽象的だったりする。新たな文体の冒険も随所に見られる。しかし本質的にはやはりなじみやすいし、感情移入しやすいし。全編でないにせよ、また錯覚と分かっても、誰にでもある程度まねできる日本語だという感覚を抱かせる。 > アメリカ文学の影響をうけた村上の文体を翻訳調と見る人もいるらしい。しかし、25年ほど日本の小説を読みあさってきた僕はそう感じない。 > 彼の日本語が僕にとって理解しやすいのは決して翻訳調だからではない。翻訳調なら、文体の不自然さのためきっとかすかな混乱と違和感を覚えるだろう。・・・あくまで彼の日本語は、僕が昔から慣れ親しんできた芳しい日本文学の中にあり、唯一無二の旋律を奏でている。例えば今回の作品で言えば、こんな表現だ。 > 「吹く風の感触や、流れる水音や、雲間から差す光の気配や、季節の花の色合いも、以前とは違ったものとして感じられる」 > 平明な文体は決して平板な文体ではない。綿密に言葉を選び、その並べ方に工夫を凝らす村上は、平淡な文章から極めて洗練された言い回しまで、実に色彩豊かな日本語の世界を僕らに提示してくれる。 > 彼の小説世界は、誰にとっても分かりやすいものでは決してない。しかし心地よい音声の中を旅する読者は… 続きを読む »

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村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ

[村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ(Ⅰ)](http://elder.tea-nifty.com/blog/2006/05/post_0e40.html) > 少女漫画のように読みやすいということ、食べ物・音楽・ファッションなど衣食住に関する描写が心地よく感じられること、それからさらに何か得体の知れない薄気味の悪さがある 少女漫画のように読みやすい、というのは、そうかもしれないなと思う。 何も難しいことは書いてなく、 書いてあってもそれは表面をなぞるだけで中に入っていくわけではない。ただのBGM。 たとえば、村上春樹には、第一次大戦と第二次大戦に挟まれたチェコスロバキアの人民が幸せであったかどうかなんてことを深く追求するつもりはないのだ。 村上春樹にとってハプスブルク家は中世以来の圧政的・絶対王政的な封建領主であり、ヒトラーは独裁者なのだ。 だからその両者から自由であったチェコスロバキアは自由だったはずだ、と言っているだけのことであり、 実際に自由だったかどうかを考証するつもりもない。単に世界史的にはそのように教科書に記述されている、それで充分なのだ。 ヤナーチェクの音楽がどうだということを語るつもりもない。単にそれらは、読みもしないのに本棚に飾られている革張りの書籍と同じだ。 そして唐突に殺人や自殺やセックスが挿入されるのはまさに少女漫画的展開であり、テレビドラマ的でもあ… 続きを読む »

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陸奥宗光とその時代

岡崎久彦『陸奥宗光とその時代』を読んでいるのだが、 昔読んだときは、ただそのまま感心して読んだのだが、今読んでみるとアラの多いのに気付く。 陸奥宗光の父・伊達宗広は和歌を良く詠んだのだが、 今あらためてみてみると、岡崎久彦が「絶賛」するほどすごいわけでもない。 当時の紀州藩は和歌山から南紀、伊勢、松坂までぐるりと、内陸の大和地方を取り巻いて、紀伊半島の東、南、西を知行地としていた。 本居宣長は従って松坂紀州藩支配の学者であるから、紀州徳川家に召し抱えられて、 のちには養子の本居大平が宣長の代わりに紀州藩に仕え、大平が宗広に和歌を教えたのである。 この本居宣長から出た歌道はそのまま明治の桂園派の一支流となった。 桂園派はもちろん香川景樹を祖とするが、これが宮中御歌所で本居派の歌道や後水尾院以来の堂上和歌と混淆して、明治の桂園派をなしたのである。 そうした流れで見てみると、宗広の和歌はごくふつうの桂園派の範疇にあるといわねばならず、 また典型的な江戸後期の地下の和歌であり、上田秋成もそうであったように、当時の民間歌謡である都々逸や常磐津などの影響を濃く受けている。 ということを歌人でもなく、また江戸・明治期の桂園派に詳しくない岡崎久彦が考察できるはずもなかろうと思う。 > 江戸時代の日本には古学派というものができた。これは江戸時代という、学問が高度に進んだ社会における独特な現象である。… 続きを読む »

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妻が僕を選んだ理由(再)

今もちょっとずつダウンロードが続いており、 一番最初の頃有料で買ってもらったのとプライスマッチで0円で落としてもらったのを合わせて 671。 多いようなそうでもないような。 でも、1000ダウンロードまでいったら少しは祝ってもよいかもしれない。 たぶん「ロマンス」のジャンルで目立っているので、 ダウンロードが減りにくいのだと思う。 そうすると「SF」でも浮上するから、どれ落としてみるかという人が出る。 そう思ったから表紙も「ロマンス」風に変えて、 内容も「ロマンス」風に書き足してみたりした(笑)。 具体的には、メアリーとの会話などの描写を細かくし、 サブキャラのナターシャとの逸話を増やした。 気付いてみるとナターシャはなかなか面白いキャラだ。 ただこれ以上話を膨らませるには私には知識も経験も不足している。 知り合いに結局メアリーはどうなったのかと聞かれたのだが、 彼女は she has vanished であって、 作者としても彼女の結末は undefined なのである。 ディープラーニングの研究者にディープラーニングの仕組みがわからないように、 電脳の海に沈んだメアリーがどうなったか、私にもわかるはずがない。 その他いろんな裏設定があるが、書かずに済ませていることが多い。 読む人が読めばばればれなのだがこの作品は直接的には fallout: new vegas の影響でできたも… 続きを読む »

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和歌の道は花鳥風月から入るべし

根岸に住む人に歌を見てくれと言われて見た。 > 春の朝うぐひすの声は聞かねども根岸の里はのどかなりけり 人の歌を添削するというのは難しいものだ。 私なら、 > うぐひすのはつねはいまだ聞かねども根岸の里に春はきにけり とでも詠むだろうか。 特段良くなったわけではないが、古語を使い、古典の言い回しを使えばこうなると思う。 「根岸の里」というのが、和歌というよりは俳句であまりに有名なフレーズで、 逆に扱いに困るのだが、 実際根岸に住んでいるというのだからしかたない。 > 上野山鳥はなけどもうぐひすの声はいまだにとどかざりけり わかる。でも私なら「とり」はたとえばだが「ももちどり」、 「鳴く」は「すだく」として、 > ももちどりうへのの山にすだけども いまだまじらぬうぐひすのこゑ とでもするだろうか。まあ、そもそもこういう歌をいまさら私は詠まないと思うのだが。 花鳥風月から和歌の道に入ろうというのは今時の人には珍しい。 今はいきなり口語で短歌を詠むでしょう。 いきなり時事問題を扱ったり。 恋人と逢った別れたと。 あれは私は好きではない。 俵万智だっていきなり口語で詠んだとは思えないのよね。 でも彼女の追随者たちはみな、古典をすっとばしていきなり短歌を詠んだ。 でまあ、私が根岸に住んでいたら、写生の歌を詠むと思う。 使い古された単語ではなく、言い回しではなく、 写生によって古いことばに新し… 続きを読む »

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私はもう『妻が僕を選んだ理由』を書き終えたつもりだったが、私の頭の中ではいまだに主人公たちが動きまわっていて、 私は仕方なく彼らの行動を追記しなくてはならない。 彼らが動かなくなったり、別の話で頭の中が置き換わるまでは、彼らによって僕の頭の中は支配されている。 彼らの過激な言動が私自身に影響を与えることがあり、少し困る。特に酔っ払ったときなど。 作者は自分自身を狂わせないと作品を作れないのかと思うこともある。 今年は精神的肉体的限界を感じた年だった。 たぶん外飲みはほとんどしなくなると思う。 私の精神はもう飲酒に耐えられない。きっぱりとやめられるといいんだが。

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砧から渋谷へ

1Q84を頭から読み始めて、とりあえず第1章を読んでみた。 ヤナーチェクのシンフォニエッタから第一次大戦後のチェコスロバキアの話がでる。 ハプスブルク家の支配とヒトラーの侵攻のはざまでつかの間の平和を楽しんでいる。 この歴史認識からして私にはステレオタイプに見える。 わざとなのか?それともほんとうにそう思っているのか。 ハプスブルク家がいようといまいと、ヒトラーがいようといまいと、 中欧の小国はパワーポリティクスにふりまわされて、ひとときも安らぎなどなかったはずだ。 さらに日本で大正が終わり昭和になって「日本でも暗い嫌な時代がそろそろ始まろうとしていた。モダニズムとデモクラシーの短い間奏曲が終わり、ファシズムが幅をきかせるようになる。」 などと書いている。 わざとなのか。わざとこんな陳腐なことを書いてみせているのか。 青豆という人がそういう考え方をする人だといいたいのか。 それとも作者が本気でそう思っているのか。 大正を美化しすぎているし、昭和を、戦後民主主義史観でしかみようとしてないようにみえる。 それから、砧から渋谷へ、タクシーで行く、しかも首都高に乗ってという話なのだが、 まああり得ないことだと思う。 よほど土地勘がないのか、タクシーに乗るのが好きならともかく。 砧は確かに不便なところだが、少し歩けば新玉川線か小田急線がある。 タクシーが渋滞に巻き込まれたのが3:45。待ち合… 続きを読む »

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未捕狸算用皮

kobo ではまだ1冊もダウンロードされてない。 なんか設定がマズイのかなと思って、ジャンルを3つに増やし、説明も書いてみた。 しかし、ジャンルが大分類と中分類しかなくて、小分類は著者には指定できない。 表紙も文章も一瞬でアップロードできて一瞬で反映される。 KDPの「はがゆさ」を知っている人にとっては意外な感じがするだろうと思う。 やはりアマゾンという外圧がなければ KDP のようなものは自然と日本で生まれるはずがないのだと思う。 Puboo にはお世話になったが今は使ってない。 カクヨムは、今後使わない予定だ。伊勢物語は気が向いたら書き足すと思うけど。 私は一太郎メインで書く人なので、一太郎とカクヨムで両方執筆するのは結局は手間だ。 発作的に何か書きたくなったとき、特に短篇の場合、カクヨムや小説家になろうは便利かもしれないが、 後できちんと書こうというときに邪魔になる。 なら最初から一太郎で書いてKDPで出すのがよい。 とにかくアマゾン様のおかげで、『妻が僕を選んだ理由』は無料本の中で今も良い位置につけている。 この状態はいつまで続いてくれるのかな? あまり期待しないほうがいいかな。 もし1ヶ月あまりも、 アマゾンkindle無料本「SF・ホラー・ファンタジー の 売れ筋ランキング」の1位に居座り続けたら、 私は何か勘違いしてしまうかもしれない。 でも要するに、ジャンル別で1位… 続きを読む »

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初出・初版一覧

私が最初に本を出したのは実は1990年で、出版社は工学社だった。共著だった。 それから新紀元社とかオーム社から出したが、これらも皆共著だった。 出版社からわかるように、当時は技術書しか書かなかった。しかも、いつも私の名前は共著者の中で最後だった。 そんなこともあって私は死ぬまでに単著の一本くらいは書きたいとずっと思っていた。 1. 『アルプスの少女デーテ』初出2004年9月、某Wiki(匿名) 2. 『超ヒモ理論: もし俺がヒモになったら』初出2011年4月Puboo(「山崎菜摘」名義、原題『超ヒモ理論』) 3. 『スース』初出2011年6月Puboo(「山崎菜摘」名義) 4. 『将軍放浪記』初出2011年8月Puboo 5. 『西行秘伝』初出2011年8月Puboo(原題『山家物語』) 6. 『川越素描』初出2011年8月Puboo 7. 『司書夢譚』初出2011年9月Puboo 8. 『安藤レイ』初出2011年11月Puboo 9. 『将軍家の仲人』初出2012年8月Puboo(原題『新井白石』) 10. 『紫峰軒』初出2013年1月Puboo 11. 『エウメネス1 ― ゲドロシア紀行 ―』初出2013年3月KDP(原題『エウメネス』) 12. 『巨鐘を撞く者』初出2013年4月KDP 13. 『特務内親王遼子』初出2013年7月ブログPDF版 14. 『古今和歌集の真相』初… 続きを読む »

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