月別アーカイブ: 2012年3月

雅葉和歌集

玉風和歌集というのをやっていたが、 [雅葉和歌集](/?page_id=4504)という名前に改めた。 玉風和歌集というのは玉葉和歌集と風雅和歌集を合わせた名前なのだが、あまりに露骨なので、 それから、できれば万葉集にちなんで「*葉和歌集」という名前にしたいと思い始めた。 それで「雅びな言の葉を集めた和歌集」という意味で「雅葉和歌集」という名前にしたのだが、 幸いまだこの名前は使われてないように思われる。 順序は逆になるがまたもや風雅集と玉葉集を合わせた名前になってしまったが、まあいいか。 なにしろ室町末期から江戸末期までの歌というのは、めちゃくちゃたくさんあって困るが、 とりあえず、いいやつは全部入れる勢いでやってみる。

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古文漢文

現代日本では古文漢文は相当に衰えてしまっており、受験産業以外にこの分野を支える社会的需要がない、という状況だ。 しかし、あまりにも長い間注目されなかったせいかもしれないが、調べれば調べるほど、 最新の研究による定説の刷新が待たれている分野であると、考えざるをえない。 思うに、江戸時代の漢詩などを読むに、必ずしも、唐宋やそれ以前の古典の用例ではなくて、 むしろ、現代中国語で解釈した方がわかりよいものが、だいぶ含まれていることを感じる。 そりゃそうで、江戸時代といえど、清や朝鮮との交流は、それなりに活発に行われていたのだ。 漢学者や儒学者らは、訓詁学や古文辞学や詩文などばかりもてあそんでいたのではなく、 外交官として、「生の中国語」を駆使して海外事情を学んでいた、はずだ。 詩文がもてあそばれているように思われるのは単に詩文のほうが教材としておもしろみがあったからだろう。 わざわざつまらない勉強をするよりは面白く学んだ方が身につくに決まっている。 それは今の学問となんら変わらない。 詩文や古代の聖賢の話ばかりに没入してしまうのは、儒官としては本末転倒だっただろう。 民間の儒学者にしても、できるだけたくさん弟子は欲しいから、できるだけおもしろおかしい授業をしたのに違いない。 江戸時代は浮き世離れしてたから古文漢文などを学んでいた、はずがない。 実際旗本や与力らの仕事など調べてみると彼らの定… 続きを読む »

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白石詩草

日本古典文学大系に新井白石の詩がのっている。もとは「白石詩草」に収められている。 [早稲田大学](http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko11/bunko11_a1191/bunko11_a1191.pdf) でJPEGとPDFが公開されている。 楷書できちんと書いてあるので読むのは容易だが、意味はわかりにくい。 彼が吉原を詠んだらしい詩がある。吉原だろうと思うが確信できない。 「紀使君園中八首」の中の一つ、「芳草原」という詩で、 春入芳原上 青青襯歩鞋 佳人来闘草 応賭鳳凰釵 吉原に春が来る。素足に青々とした草履を履いた美しい女性がきて草合わせで遊ぶ。鳳凰のかんざしを賭けよう。 まあ、そんな意味であって、吉原だろうなと思う。 題の「芳草原」だが、これは、八首の題を三字にそろえるためであり、意味は「芳原」だろうと思う。 「春入芳原上」だが、「春が吉原の上に入る」というのはわかりにくい。「上」は「ほとり」というような意味かもしれん。 「學步鞋」とは「学童のスリッパ」のことらしい。 「歩鞋ヲ襯ス」と朱筆で訓点がついてたので、「歩鞋」という単語があるのだろうと思う。 「青青歩鞋」だが、新しい若草で編んだ草履、という意味だろうか。 だとするといかにも春らしいが。 「紀使君園」というのがよくわからん。朱筆が入っていて「紀」「使君」「園中」と切れる… 続きを読む »

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鈴屋集巻三

宣長の「鈴屋集」を読む。宣長には「石上稿」というものが別にあった。 思うのだが、「鈴屋集」と「石上稿」はもともと重複のない別の歌集だったのではないか。 「石上稿」は日々の歌道の鍛錬の記録として、時系列に書かれている。 「鈴屋集」はもともと二十首とか五十とか百くらいの比較的短い歌集の集まりであって、 詞書きもなしに、ただ興の向いたときに一気に書いたものだったのではないか。 このようなものとしてはたとえば「吉野百首」などの例が残っている。 最晩年になって子供たちに家集を残してくれと頼まれて、 「鈴屋集」という名前もつけて、 題の無いものについては改めて題をつけて、 題の種類で整理をして、「石上稿」の中でも比較的良いものもその中に含めた。 成立過程はそんなところではなかろうか。 なんでそう思うかと言えば、「鈴屋集」には、「石上稿」的なつまらぬ歌もだいぶ混じっている、 また、おもしろい歌とおもしろくない歌が混ざっている。 おもしろい歌は、だいたい、題の最初に来ていることが多い。 つまりこれは題詠という形で、整理した時に、 面白い歌と面白くない歌が混ざってしまったことを意味すると思う。 孝明天皇の「此花集」など見るに、やはり、 面白い歌というのはある一時期にまとまって詠まれるものであって、 私個人の体験も、それに近い。 それを題で序列して配置換えしてしまうと、わけがわからんようになってしまう… 続きを読む »

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現実逃避

小説というのは、だいたいが現実逃避なんだなと思う。 現実逃避と言って悪ければ、非日常を描くのが小説。 漢詩や和歌などが、比較的、日常的な感情をそのまま形にするものであるのに対して、 小説の本質は非現実であることが多い。 短い詩形のもの、和歌や五言絶句、七言絶句、ルバイなどは、 表現をそぎ落として、感情をありのままに現したものなので、逃避や欺瞞、作為などの要素が入りにくい (「白髪三千丈」などの誇張表現や技巧は使われるかもしれんが)。 ただし、俳句は短すぎて、感情の表現にはもはや用い得ない、と思う。 ファンタジーは現実逃避だ。 ただしごくまれに、SFなどには、現実よりもはるかに過酷な仮想世界を作り出して、 現実よりもはるかに過酷な仮想実験を行おうとする人もいる。 たとえばスタニスワフ・レムのような。 だが多くの場合、現実をそのまま受け入れられない人が自分の都合の良い世界、 都合の良い世界観の中に没入するためにある。 宗教のようなものかもしれない。 仏陀の教えは、もとは辛い現実に直接向き合うものだったが、次第に、 世の中に負けてもいいじゃん、仮想世界に逃げてもいいじゃん、みたいな方向へいった。 つまりはファンタジー化していった。 大乗仏教なんかまさにそうだ。 時代小説は、現代社会の愚痴みたいなもんを、江戸時代みたいな、割と現代に似た社会に投影して、 しかしそれはやはり仮想世界であって、… 続きを読む »

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「過」には平仄で言うと「箇」と「歌」の二種類があり、 「箇」の方は過ぎる、の他に誤りとか罪の意味がある。 「歌」の方は過ぎる、の他に立ち寄る、訪れるの意味がある。 「百代の過客」などと言うが、この「過客」は、通り過ぎるとも訪れるとも解される。 ややこしい。 しかしいずれにしても「旅人」という意味になる。

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レジ袋

最近、レジ袋ってなんて便利なんだろうと思い、バッグには欠かさず入れて携帯する。 レジ袋を大事に使うと、レジ袋を消費したい人たち(レジ袋生産者)にも、 レジ袋を撲滅したい人(マイバッグ生産者、ゴミ袋生産者)にも、 環境保護団体(環境保護を飯の種にしている人たち)にも嫌がられるから、 ほとんどマスコミで報道されない。 普通の人には便利この上なくてもマスコミにとって報道価値がなければ報道されない。 積極的に認知されることも称賛されることもない。 しかし、レジ袋ほど薄くて軽くてかさばらなくて金のかからないものはない。 マイバッグを千円も二千円も出して買うなど何かの陰謀だろうと思う。 第一、マイバッグを持ち歩こうなんて思わないけれど、レジ袋なら自らすすんでバッグに常備したくなる。 レジ袋をもらわなくて代わりに2円もらうよりは、2円でレジ袋を買うと考えた方がずっとお得だ。 タダでくれるならなお良い。 レジ袋を10円で売るところもあるが、そういうところでは、持参したレジ袋を使えばよい。 使い捨て傘も最近は安くてものすごく品質がよくなっている。 思うに、使い捨て傘やレジ袋の存在を社会が積極的に認知すれば世の中もっと良くなるはず。 レジ袋をなくそうという運動こそ現代社会における最大の陰謀の一つだ。 同じ意味で wordpress ってとても便利だと思うが、マスコミでそんな話が出たためしがない。 wo… 続きを読む »

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大塩平八郎と王陽明

大塩平八郎の詩に 春暁城中春睡衆 遶檐燕雀声虚哢 非上高楼撞巨鐘 桑楡日暮猶昏夢 というのがあるが、これは王陽明の「睡起偶成」という詩 四十餘年睡夢中 而今醒眼始朦朧 不知日已過卓午 起向高樓撞曉鐘 にちなむのであろうと今気付いた。 大塩平八郎は「小陽明」と自称していた。

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甲陽

洛陽とか漢陽などと言う。 洛陽は洛水という川の北にあるからである。 武漢の漢陽は漢水の北にあるからだし、ソウルを漢陽とも言うのは、漢江が南に流れている都市だからだ。 「陽」とは本来は、北が高く南が低い土地のことで、南に川が流れていて北に山があれば自然とそういう地形になる。 日当たりが良い土地のことを「陽」と言う。 中国では昔からそのような地形の場所に王城を築くことが多かった。 で、甲陽だが、この地名は神戸にある。 要するに、六甲山の南麓にあるという意味だろう。 「甲陽軍鑑」の「甲陽」も、おそらく同じような理屈で名付けたのではないか、 甲府盆地の北側の辺りを言うのではなかろうかと思うが、そのような説を見かけない。 実際、武田信玄の居城である「躑躅ヶ崎館」というのは、甲府盆地の北側、県庁舎や山梨大学よりもさらに北のあたりにあった。 荻生徂徠の詩に「還館口号」というのがあり、 甲陽美酒緑葡萄 霜露三更湿客袍 須識良宵天下少 芙蓉峰上一輪高 やはり、葡萄畑というのは、日当たりのよい「甲陽」にあるのではなかろうか。 緑色の葡萄酒というのは、おそらくは白ワインのことではなかろうか。 白ワインはやや黄色味を帯びているので、緑と表現しても良いかもしれん。 「芙蓉峰」は富士山のこと。 新井白石の「春日作」という詩でも、 楊柳花飛江水流 王孫草色遍芳洲 金罍美酒葡萄緑 不酔青春不解愁 とある。「金罍」… 続きを読む »

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科挙に関する誤解

[八股文と五言排律](/?p=9880)の続きだが、 [明代初期の八股文について](http://ci.nii.ac.jp/search?q=%E6%98%8E%E4%BB%A3%E5%88%9D%E6%9C%9F%E3%81%AE%E5%85%AB%E8%82%A1%E6%96%87%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6&range=0&count=&sortorder=&type=0) に非常に詳しく述べてあるが、ごく概略を言えば、明末清初の学者・顧炎武は、 > 経義の文、流俗、之を八股と言う。蓋し成化以後に始まる。天順以前は経義の文、伝注を敷衍するに過ぎず。或いは対にし、或いは散にし、初めは定式無し。 と明確に記している。 つまり、明初には、そもそも八股文などというものはなかった。 しかし、 wikipedia 「八股文」には、 > 洪武帝は軍師の劉基とはかって、科挙には朱子の解説による四書を主眼とした。これは洪武帝や劉基が朱子学を奉じており、この学派が四書を重視していたためである。こうして宋題と代わって難解な教典である五経は二の次とされた。そして明朝期の受験生は答案の書き方として、八股文が指定された。 などと書かれている。 これでは、明の高祖朱元璋が軍師劉基と計って朱子学に基づいて四書を八股文で課した… 続きを読む »

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