エウメネス

エウメネス6は未だに全く読まれないのに、エウメネス1はちょこちょこ読まれるという現象が続いている。
とりあえず今後私にできることはエウメネス1の文章をできるだけ磨くことくらいだと思われる。
改めて読んでみるとまだ誤字があるのには驚かされる。
一太郎からWordに変換したことによって、いままで気づかなかった誤字が見つかるようになった。
人間の知覚は不思議なものだ。なぜ今までわからなかったのだろう。

小説は読まれない

今回『エウメネス6』を出してみて思ったのだが、私としては話を完結させねばならないという半ば義務感と、そろそろ決着を付けなきゃいつまでもきりがないという気持ちもあって書いたわけだが、待ち望んでいた人は誰もおらず、読みたがる人もいなかった、ということがほぼ明らかになった。
もちろんきちんと広報したわけではないので、もしかしたら第1巻から5巻まで買っていて、6巻が出れば買おうと思っていたがまだ気づいてないという人もわずかにはいるのかもしれない。そのうち気づいて買ってくれる人がいるかもしれない。でもまあそういう人は稀であろう。

これまで5巻まとめて買ってくれた人はたぶん「積ん読」で買ってくれたのか、あるいは、『ヒストリエ』の参考文献として必要な箇所が読めればよいと思ってまとめ買いしたのか、だいたいそんなところだと思う。

50万字の小説をわざわざ読む人はほとんどいないと思う。よほど話題になって読んでおかなきゃいけないかなと思って読む人はそりゃいるだろう。しかし私の場合はほとんど無名だ。50万字ちゃんと読む人がいるとはとても思えない。

エウメネス

エウメネスを新人賞に応募したのが 2012年12月。
落ちたので kindle で出したのが 2013年。

その後なぜかエウメネスばかりが売れるようになり、といっても大したことはないのだが、他のはだいたい出して少し読まれたら失速していくんだが、エウメネスだけはぽつぽつ買われてて、続編が読みたいというレビューもあったんで、続編を書いた。
それでエウメネス2とエウメネス3を出したのが 2016年6月とか7月。

おそらくは『ヒストリエ』の副読本もしくは世界史の勉強のために読まれているのだろうと思う。それ以外あまり理由がおもいつかない。

それからエウメネス4とエウメネス5を出したのが2017年の8月とか11月。このへんからかなりフィクションを交えて膨らますようにした。というより、イッソス、ガウガメラあたりまでは勢いでかけるのだが、そこから先はエピソードを羅列しただけでは書きようがなく、フィクションで補間しないと話として成立しない。
ペルシャがまたよくわからない。少なくとも日本語の文献だけではほとんど何もわからず、日本人にも感心が薄いところ。でも、ペルシャを書かねばアレクサンドロスは書けないのだから、書けるようになるまでずっと構想を練っていた。それでやっと完結編エウメネス6を書けたのが 2021年8月。

アレクサンドロスの死やディアドコイ戦争については書く気はもともとなかったので、これでおしまい。

完結して、全6巻そろってこれからも順調に売れ続けるようなら出版社に話を持って行くなり、最悪自費出版でもしようと思ってる。
トータルで1万部も売れれば話に乗ってくるとこはあるんじゃないか、などと思ってるのだが、どうか。

エウメネス6は今までとはかなり違った構成になったと思う。村上春樹みたいに心象風景を延々と書くようなものを書いてみたかったが、結局そうはならなかった。
私の場合まず、歴史的な骨組みを書いて、そこに補助線を引いて増築し、そのあと心理描写などを肉付けするんで、どうしても「シンプルな文体」とか「シンプルな構成」になってしまう。

この先膨らますとすればどうしてもアマストリーが主人公になりそうないきおいで、でも以前にそれに近い『エウドキア』を書いてしまってるので、アマストリーについて書けば書くほど『エウドキア』に近づいていくだけだと思う。どうしても私が書くと話がそっちのほうへふくらんでいってしまうのだなあ。
登場人物の数は圧倒的に男が多いが女もけっこう出てくる。人物の描写で言えば男女半々くらいで、主要な女キャラも、オリュンピアス、アマストリー、ラオクシュナ、アパマ、シシュガンピス、バルシネ、アルトニス、ピュティオニケ、フリュネなど、ほかにもアルテミシア、シャンムラマートなどけっこういて、なぜ私がアレクサンドロスの小説を書くとこうなるのか、自分でも不思議だ。

2012年12月の原稿を今更ながら読んでみると、いかにも拙い。味わいが足りない。それでもこれが、少しずつでも売れたからこそ、手を加え、校正し、文章を練り直し、続編を書き、全部で50万字の作品になった。読者の反応がなければ書かないし、書けなかっただろう。
といって大してもうかったわけでもないし、読まれたわけでもない。
これからもっと読まれてくれると良いのだが。
しかし、ブログはやはり書き残しておくべきものだな。昔何やってたかもうすべて忘れてしまっているから。