デーテ 15. 姪の出戻り

 ある日いきなり朝早くゼーゼマンさんから呼び出しがあって、これはハイディが何事かしでかしたかと、お叱りがあるのかと思い、あわてて訪ねて行ったら、「ハイディが山が恋しくてホームシックのあまり夢遊病になってしまった」と言われたのよ。ハイディも姉のアーデルハイトと同じ夢遊病の気があったということなのかしら。

 最初は、フランクフルトで白パンを買って一日で山に帰るなんて駄々をこねていたけど、案外ハイディもクララと一緒に町の暮らしに慣れて楽しんでいるとばかり思っていたわ。そりゃあ、よそ様のおうちで、ロッテンマイヤー女史に監督されて、厳しくしつけられたりして、多少は窮屈だったかもしれないけど、まさかそんなくよくよと思い悩んで、ほんとうの病気にまでなってしまうなんて。なんて手間のかかる子なのでしょう。

 ゼーゼマンさんは、ものすごい剣幕で、「今日すぐにも引き取って山に返して欲しい」というのだけど、あまりに急な話で私はどうしていいのかわからなかったわ。だって私は毎日シュミットさんの事務所でニューギニア植民地に最近開設した出張所と連絡をとりあって、東アジアや太平洋の島々の物産を仕入れるのに忙しくって、一日たりとも職場を離れることはできなかったし。それに、いったんハイディをアルムおじさんに押しつけて、それを無理矢理連れ出しておいて、親戚づきあいもこれきりだからもう二度とくるなと言われて、もののはずみとはいえど、おじさんに散々あることないこと悪態ついてけんか別れしておきながら、またしてもこの子をおじさんのところに連れて行くなんて、私の面目も丸つぶれで、どうにもつらくてやりきれないと思いました。

 ああ、こんなことなら親切心をおこしてハイディを世話してあげなければ良かったと思ったわ。ハイディのためを思えばこそ、やってあげたことなのに。

 そこで仕事が忙しくて今は離れられないなどと、とやかく言い訳をしたの、実際私も仕事に何日も穴を空けてハイディを山に返しにいくなんて時間の余裕もなかったのだけど。

 ゼーゼマンさんは、「これはハイディが悪いのではなく、自分の家の不始末でハイディが病気になったから山に返して療養させたいのだ。シュミットさんには私から事情を説明するから、君はともかくも早くハイディを連れていってくれ」と言うのだけど、私の立場にしてみれば、せっかく紹介した姪が、ご奉公先をしくじって、里に出戻りになるのを連れ帰るようじゃないの。

 私のアパートは、狭くて人の出入りの多い騒々しいところだから、私がいったんハイディを身請けして、フランクフルトで一緒に暮らすことは、とうてい無理。ハイディは山に帰りたがっていて、一刻も早く返さないと病気がおもくなるというし。

 ともかく途方にくれてしまったわ。

 それで私が姪を引き取りたくなくてごねているようにみえたのかしら、それともなんとなく私の気持ちを察したのか、ゼーゼマンさんは私をそのまま帰してしまわれたの。だけど、そのあと召使いのセバスチャンという人にハイディをアルムおじさんのところへ送り返させたそうよ。それからハイディが山でどうなかったかなんて恥ずかしくて誰にも聞けないし。うまくやっていればいいけど。

 みんなは私を、紹介料ほしさにゼーゼマンさんにハイディを売り渡したとか、ハイディをやっかいもの扱いしてアルムおじさんに押しつけたとか、まるで私ばかりが悪いように言うけど。私のことを理解したうえでみんな非難しているのかしら。親も兄弟もみんな死んでしまって、身寄りと言えば七十過ぎの変人のじいさんと四才の子供だけ。

 子供の育て方だって誰かに教わったわけでなく、毎日悪戦苦闘しながら覚えていったの。ほんとに、人には言えないようなつらいことがたくさんあったのよ。私は針仕事ができるから一人でならいくらでも生きていけるし、良い人がいれば結婚だってしたいのに、姪っ子のハイディのためにどれだけ自分の人生を犠牲にしてきたかわからないわ。私には、ハイディの保護者としての責任があるのよ。文句があるならハイディを養子にもらってから言ってもらいたいわ。

 ああ、なれるものなら、私がハイディのようなお気楽な身分になりたいものよ。三食昼寝付きの文化的な都会暮らし、高級料理に豪華なお屋敷、一家の主と同じ待遇で召使いにはかしづかれて、その上勉強までさせてもらい、何不自由なく暮らせるけっこうなご身分なのに、わざわざトイレもお風呂もない山小屋の不便な暮らしがしたいなんて、酔狂が過ぎるというものだわ。

 

 

 ずいぶん長い女の問わず語りを聞かされたものだ。俺も仕方なく、夜が明けるまで話に付き合ってしまった。彼女が語って聞かせた、いろんな身内話を、俺は半分も理解できなかったが、普段胸につっかえていたことを洗いざらい吐き出して、彼女も満足だろう。

 朝が来てバーテンダーに店を締めますと言われたときには、彼女も、俺もすっかり酔いが醒めてしまっていた。

 あらもうこんな時間、私の話どう、面白かった、続きはまた今度あったときに話してあげるわ、などと言う。勘定を済ませて、二人連れ立って店を出ようと、地上に出る階段に足をかけると、彼女はさすがに足元をふらつかせ、俺はとっさに彼女の腕を取って助けてやる。二日酔いでつらそうだ。

 外はもう通勤客たちが忙しそうに歩いている。俺たちもこのまま仕事に向かわないと。彼女は一度も振り向かず、まぶしい朝の街路の中に紛れて、どこかへいなくなってしまった。なるほど、お互いフランクフルト住まいだし、デーテという名前も、勤務先も教えてもらったのだから、彼女にはまたいつでも会えるだろう。しかし、次に会ったとき、彼女は俺のことを覚えてくれているだろうか。


後書き

この作品はヨハンナ・シュピリ著『ハイディ』と『フローニの墓に一言』2作を参考に再構成したものです。

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