カスタマーレビュー

最近キンドルで本を出すには自分も読んでカスタマーレビューを書いてみるべきだと思い、
いくらか書いているが(主にキンドル本。もちろん自分の書いたものには書かない)、
私の書いたレビューで不評なのは、女性向けの料理本とかで、どんだけ相性悪いのかと思う。
自分の本に書かれるレビューもその傾向にある。
まあ、読者の期待を(悪い意味で)裏切る話を書く傾向にあるのである程度は仕方ないとも言えるのだが、
そんな書き方したら本は売れないだろうな。

後は、なんてのかな。学者が(業績稼ぎのために)書いてるっぽい本を商業的にも売れるようにしようと、
タイトルだとか体裁だとかその他もろもろを編集者とか出版社がいじってて違和感のある本が、
特に最近の新書とかに多いのだが。
こういうのはみんなでどんどんつついたほうがよいのではなかろうか?
著者の取り巻きのよいしょレビューが多いのも良い気持ちではない。
赤の他人ならそんな親切な(著者に都合の良い)書評は書かないと思う。
出版業界も最近はせちがらくなってきたから著者と出版社の不協和音も余計に目立つのかもしれん。
或いは、ネット時代、個人電子出版の時代だからそういうものがろこつに、あらわになってきただけかもしれん。
これまでの出版業界の実態がどんどんさらけだされるだろう。

だがそれを声高にののしっても仕方がないことで、我々がやってみせなきゃならないのは、
個人出版でもそれなりにおもしろいものが書けるという実例を示すことだ。

ちなみに私の本には今のところ知り合いが書いたとおぼしきレビューは一つも無い。
そもそも私が最近小説もどきを書いていることは知っているかもしれんが、
私の筆名を知っている知人はあまりなく、知っていて読んでる人はさらに少ないし、
レビュー書こうかと言われても断っている。
そういう方針で本を書いているのだから仕方ない。
そのためにわざわざ kdp で書いているんだから、としか言いようがない。

往々にして名著というものは、人と違う体験をして人と違うおもしろい話を書ける人がいて、
かたや常識的で脚色や文字校正がうまい編集者がいて、
その組み合わせてでできるものだろう。
実際には大した話を書くこともできない作家がいて、
おもしろくない話をどうにかこうにかだまして売る出版社があるだけなのだろう。

キンドルのおすすめとかもいろいろいじってみたが最近飽きてきた。
ネット書店としてのアマゾンは、今も変化しつつあるわけだが、
こういう実験をしてくれる書店が日本にほとんどない状態ではアマゾン一択にならざるを得んよな。

中には高度な詳しいレビューを書く人がいて、
いったいどんな人なのだろうと興味ぶかい。

ゲーテ

ゲーテの名前はヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテなので、
姓は von Goethe なんじゃないかと思い、英語版やドイツ語版のウィキペディアを見てみると、みんな単に Goethe としか書いてない。

ではゴッホはと見てみると英語版、オランダ語版ともに Van Gogh である。

サンテグジュペリを見てみると、フランス語版では、どちらかよくわからん。
というのは、姓の「ド・サンテグジュペリ」なのか所有格の「サンテグジュペリの」なのかいまいち判然としない。
箱根に星の王子様ミュージアムというのがあるが、
フランス語で Musee du Petit Prince de Saint-Exupery a Hakone
であるが、de de Saint-Exupery とは常識的には言わないだろうと思う。
英語版では単に Saint-Exupery となっている。

フォン・ブラウンとは言うが、フォン・ブラウン運動とは言わない(両者は別人だが)。
TombRaider に出てくるのは Von Croy 教授。

よくわからない。
たぶん西洋でも適当なんだろう。
日本の慣用と西洋の慣用もときどき食い違うようだ。

俺はまだ本気出してないだけ

引っ越しのときに紙の本はほとんど捨ててしまって「俺はまだ本気出してないだけ」もどこまで読んだかすら忘れていたが、
アマゾンのおすすめ商品で教えられて5巻目を買ってみたのだが、
まったく読んでなかったので、5巻目を買ってない上にIKKIの連載もまったく読んでないわけだった。
そりゃそうだな。最近は漫画雑誌を一切読まなくなったから。

それでアマゾンのカスタマレビューなんか読んでると、感動して泣いたというやつがいる一方、
5巻は今までと違ってまるでつまらなかったという人もいる。
別につまらなくもなかったが意外性も少なく地味な話だし、4巻までがおもしろかったというのは確かだと思う。

最初のもちこみの担当者が人生300年に感動してオカマになり、
次の担当者が女で一転作品を酷評して落ちこむ、あたりまでがおもしろかったといえばおもしろかった。

以前、[青野春秋の謎](/?p=45)
というものを書いたのだが、この作家は、単行本にかなり暗くてシュールな若者の葛藤みたいな短編をいくつも載せていた。
従って、5巻がそっちのほうに引っ張られて暗くて地味な話になったのは予測できなかったわけでもない。


で今は「五反田物語」などという、自伝なのか私小説なのかしらんが、さらに悩める若者的なものを書いているらしい、読んでないからしらんが。

でまあ青野春秋という人が男性か女性かは不明で年齢も不詳で、未だに極めて謎なひとなわけで、
新人賞を取った作品というのも入手困難なのでよくわからんわけだが、
どちらかといえば、少女漫画、というか女性作家が書くような純文学に近いものを書くひとなのだろうと思う。
で、編集からなんか軽いギャグ漫画でもかいてみるかと言われて書き始めたら異様に人気がでてしまったのだが、
この企画というかアイディアは本人というよりは編集の人のものではなかったろうか。
或いはシズオは編集の人が担当した誰かのことだったかもしれない(アシスタント時代の同僚とか、持ち込み仲間の一人かもしれんわな)。

でまあ、この本を買うとアマゾンのおすすめに「最強伝説 黒沢」とかが出てくるんだけど、
シズオは福本伸行や古谷実が描くような人物ではまったくないし、
苦役列車的な人物でもないし、
それらと比較してもしょうがないし(1巻のレビューにはそんなのが多かったが)、
そもそも作者はそんなものと比較されてもうれしくもなんともないと思う。

まあシズオを読んでたのは私も小説を書き始めて新人賞に応募してたころだったので、新人賞の仕組みとかよくわかりました。
ようは新人賞は若者しかとらない。
右も左もわからん未成熟な新人を出版社が都合の良いように育てて恩を売る仕組みになっている。
それは正社員という形で若者を搾取する日本の会社と同じだし、
政治の世界もそうだし、
ともかく新人は未完成でなくてはならない。
編集やライターは表にはでてこないで実を取る。
写真家とか絵本作家とかほとんど99%まではそう。
実力者を中途採用すれば本人にだけメリットがあり、会社や担当の旨味は少ない。
日本の社会は結局そんなふうにできている。
なんのことはない、夏目漱石の「坑夫」に出てくる飯場の搾取の構図と何も変わっちゃいない。
牢名主がいて、新入りがいる世界だ。

たまにほんとにすごいやつもいるが、それも本人の才能というよりは、偶然おもしろいネタに遭遇したというだけであって、
ま、ほとんどは運みたいなもんじゃないかな。
一万人とか百万人の人が地面掘り返してりゃ一人くらいは鉱脈にぶち当たる、そんなものであり、
一生懸命地面掘りゃいいって話ではない。

で、作者は、最後は編集にもらったネタは捨てて(そりゃそうだろう。これからもシズオみたいなマンガを死ぬまで描き続けるわけにはいかない)、本人が書きたいような漫画を書いて、本人の好きな終わらせ方をした。
事実は、作者と編集の合作だったわけだから、その編集の部分を切り捨てるとあの5巻のようなストーリーにならざるを得ない。
いつまでもヘタウマなわけでもなく、ずいぶん画力はついてきたのに、いつまでもヘタウマな絵でシズオを描き続けるのは苦痛だっただろうと思う。
そうすると4巻までの愛読者は引く。
逆にお涙ちょうだいな人情話が好きな連中には5巻だけ受けた。
そういうことではないかね。

脂肪と筋肉

腹に付いた脂肪が落ちると食欲も減るというのは事実だろうと思う。
つまり、脂肪が付いていればそれだけ自重が増えるから動くための筋肉が必要になる。
脂肪を落とせばそのためについていた筋肉も落ちる。
よって基礎代謝はさらに減る。

やせるのはよいが基礎代謝が減るのはよろしくない。

筋肉は重いから筋肉はなるだけ減らさないのがよい。

となるとやはり運動をするしかないのだが、
自重が少ないと運動をしてもあまり効果がないと思われる。