月別アーカイブ: 2013年11月

カスタマーレビュー

最近キンドルで本を出すには自分も読んでカスタマーレビューを書いてみるべきだと思い、 いくらか書いているが(主にキンドル本。もちろん自分の書いたものには書かない)、 私の書いたレビューで不評なのは、女性向けの料理本とかで、どんだけ相性悪いのかと思う。 自分の本に書かれるレビューもその傾向にある。 まあ、読者の期待を(悪い意味で)裏切る話を書く傾向にあるのである程度は仕方ないとも言えるのだが、 そんな書き方したら本は売れないだろうな。 後は、なんてのかな。学者が(業績稼ぎのために)書いてるっぽい本を商業的にも売れるようにしようと、 タイトルだとか体裁だとかその他もろもろを編集者とか出版社がいじってて違和感のある本が、 特に最近の新書とかに多いのだが。 こういうのはみんなでどんどんつついたほうがよいのではなかろうか? 著者の取り巻きのよいしょレビューが多いのも良い気持ちではない。 赤の他人ならそんな親切な(著者に都合の良い)書評は書かないと思う。 出版業界も最近はせちがらくなってきたから著者と出版社の不協和音も余計に目立つのかもしれん。 或いは、ネット時代、個人電子出版の時代だからそういうものがろこつに、あらわになってきただけかもしれん。 これまでの出版業界の実態がどんどんさらけだされるだろう。 だがそれを声高にののしっても仕方がないことで、我々がやってみせなきゃならないのは、 個人出版… 続きを読む »

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ゲーテ

ゲーテの名前はヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテなので、 姓は von Goethe なんじゃないかと思い、英語版やドイツ語版のウィキペディアを見てみると、みんな単に Goethe としか書いてない。 ではゴッホはと見てみると英語版、オランダ語版ともに Van Gogh である。 サンテグジュペリを見てみると、フランス語版では、どちらかよくわからん。 というのは、姓の「ド・サンテグジュペリ」なのか所有格の「サンテグジュペリの」なのかいまいち判然としない。 箱根に星の王子様ミュージアムというのがあるが、 フランス語で Musee du Petit Prince de Saint-Exupery a Hakone であるが、de de Saint-Exupery とは常識的には言わないだろうと思う。 英語版では単に Saint-Exupery となっている。 フォン・ブラウンとは言うが、フォン・ブラウン運動とは言わない(両者は別人だが)。 TombRaider に出てくるのは Von Croy 教授。 よくわからない。 たぶん西洋でも適当なんだろう。 日本の慣用と西洋の慣用もときどき食い違うようだ。

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俺はまだ本気出してないだけ

引っ越しのときに紙の本はほとんど捨ててしまって「俺はまだ本気出してないだけ」もどこまで読んだかすら忘れていたが、 アマゾンのおすすめ商品で教えられて5巻目を買ってみたのだが、 まったく読んでなかったので、5巻目を買ってない上にIKKIの連載もまったく読んでないわけだった。 そりゃそうだな。最近は漫画雑誌を一切読まなくなったから。 それでアマゾンのカスタマレビューなんか読んでると、感動して泣いたというやつがいる一方、 5巻は今までと違ってまるでつまらなかったという人もいる。 別につまらなくもなかったが意外性も少なく地味な話だし、4巻までがおもしろかったというのは確かだと思う。 最初のもちこみの担当者が人生300年に感動してオカマになり、 次の担当者が女で一転作品を酷評して落ちこむ、あたりまでがおもしろかったといえばおもしろかった。 以前、[青野春秋の謎](/?p=45) というものを書いたのだが、この作家は、単行本にかなり暗くてシュールな若者の葛藤みたいな短編をいくつも載せていた。 従って、5巻がそっちのほうに引っ張られて暗くて地味な話になったのは予測できなかったわけでもない。 で今は「五反田物語」などという、自伝なのか私小説なのかしらんが、さらに悩める若者的なものを書いているらしい、読んでないからしらんが。 でまあ青野春秋という人が男性か女性かは不明で年齢も不詳で、未だに極めて謎な… 続きを読む »

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将軍家の結婚

将軍家の結婚という本があって、私が書いた将軍家の仲人とかなり近い。 比べて読めば私がどこを創作したかわかっておもしろいだろうと思う。

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脂肪と筋肉

腹に付いた脂肪が落ちると食欲も減るというのは事実だろうと思う。 つまり、脂肪が付いていればそれだけ自重が増えるから動くための筋肉が必要になる。 脂肪を落とせばそのためについていた筋肉も落ちる。 よって基礎代謝はさらに減る。 やせるのはよいが基礎代謝が減るのはよろしくない。 筋肉は重いから筋肉はなるだけ減らさないのがよい。 となるとやはり運動をするしかないのだが、 自重が少ないと運動をしてもあまり効果がないと思われる。

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はつきりした形をとる為めに

[はつきりした形をとる為めに](http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3749_27331.html)。 これもまた短くてわかりやすい文章である。 > 私の頭の中に何か混沌たるものがあつて、それがはつきりした形をとりたがるのです。さうしてそれは又、はつきりした形をとる事それ自身の中に目的を持つてゐるのです。だからその何か混沌たるものが一度頭の中に発生したら、勢いやでも書かざるを得ません。さうするとまあ、体のいい恐迫観念に襲はれたやうなものです。 これは私にはよくわかる。 何か頭の中にたまったよくわからないものに形を与えたいので書く。 それは一種の強迫観念とも言える。 旧約聖書のヨナのような預言者や、イスラムの始祖モハメッドが啓示を語るような強迫観念、という意味だろうと思う。 > あなたがもう一歩進めて、その渾沌たるものとは何なんだと質問するなら、又私は窮さなければなりません。思想とも情緒ともつかない。――やつぱりまあ渾沌たるものだからです。唯その特色は、それがはつきりした形をとる迄は、それ自身になり切らないと云ふ点でせう。でせうではない。正にさうです。この点だけは外の精神活動に見られません。だから(少し横道にはいれば)私は、芸術が表現だと云ふ事はほんたうだと思つてゐます。 まあ、だから、芥川が表現と言っているのは、おそらく宗教的な言葉… 続きを読む »

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小説の読者

[小説の読者](http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3794_27310.html)。 これは他の芥川の文章よりもずっとわかりやすいと思う。 今の小説の読者は、 * まず小説の筋を読んでゐる * 次に、描かかれた生活に憧憬を持つてゐる * 次に、読者自身の生活に近いものばかり求めてゐる ストーリーがおもしろいから読む。 ミステリーやラノベなどであろう。 次に、自分の日常から遠く離れたものを読む。 ファンタジーのことだろう。 次に、自分の日常生活に近いものを読む。 普通の現代小説、通俗小説のことだろう。 しかし芥川は自分が小説を読むには、それ以外の要素があるといい、 > では何が僕の評価を決定するかと云へば感銘の深さとでも云ふほかはない。 という。 で、 > この何かに動かされる読者の一群が、つまり読書階級と呼ばれるのである。或は文芸的知識階級と呼ばれるのである。かう云ふ階級は存外狭い。おそらくは、西洋よりも一層狭いだらう。僕は今、かう云ふ事実の善悪を論じてゐるのではない。唯事実として話すだけである。 としめている。 普通、芥川の文芸論と言えば、谷崎隆一郎の間で交わされた [文芸的な、余りに文芸的な](http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/26_15271.html) とか [続文芸的な… 続きを読む »

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芸術その他

最近は自分で読んだ方が人に解説してもらうより話が早い(ことが多い)。 青空文庫をいろいろ拾い読みしているのだが、 芥川龍之介の[芸術その他](http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/4273_6753.html) > 内容が本で形式は末だ。――さう云ふ説が流行してゐる。が、それはほんたうらしい嘘だ。 まあ、彼がいつも言っていることだ。 ストーリーのおもしろさがまずあって文章のうまさは後だという説に、芥川はいちいち反論している。 > 芸術は表現に始つて表現に終る。 別の言い方をしてみている。 ただこの言い方はいかにもいやらしいから、 > しかし誤つた形式偏重論を奉ずるものも災だ。恐らくは誤つた内容偏重論を奉ずるものより、実際的には更に災に違ひあるまい。 などと言い訳している。 > 危険なのは技巧ではない。技巧を駆使する小器用さなのだ。小器用さは真面目さの足りない所を胡麻化し易い。 言いたいことはわかる。 > 芸術の境に停滞と云ふ事はない。進歩しなければ必退歩するのだ。芸術家が退歩する時、常に一種の自動作用が始まる。と云ふ意味は、同じやうな作品ばかり書く事だ。自動作用が始まつたら、それは芸術家としての死に瀕したものと思はなければならぬ。僕自身「龍」を書いた時は、明にこの種の死に瀕してゐた。 この[龍](http://www.aozora.g… 続きを読む »

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ゴミ屋敷

いわゆるゴミ屋敷というのがあるが、それを片付ける清掃業者もいてその話を聞いた。 自分のうちをゴミ屋敷にしたまんま死んじゃう人ってのは割と金持ちが多いらしい。 ゴミの中に万札などを差し込んでいたり、いわゆるタンス預金みたいなのが遺族も知らずに出回ったりする。 清掃業者が猫ババできないように必ず監視員が付くそうだ。 ソファの隙間などには硬貨がよく貯まっているそうである。 おもしろい話題だがこのままでは小説のネタにはならん。膨らませるにも限りがある。 なんかの素材にはなるかもしれんが。

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和泉式部、相模、赤染衛門

後拾遺集で大きく採り上げられた女流歌人、和泉式部、相模、赤染衛門は、 相模だけが後拾遺集初出で、後は拾遺集初出。ただし一首ずつ。 > 性空上人のもとに、よみてつかはしける 和泉式部 雅致女式部 > 暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥に照せ山のはの月 > 大江為基あづまへまかりくだりけるに、あふぎをつかはすとて 赤染衛門 > 惜むともなきものゆゑにしかすがの渡ときけばただならぬかな 和泉式部は大江雅致の娘、 赤染衛門は大江匡衡の妻、 相模は大江公資の妻であって、みな大江氏つながりなのが興味深い。 大江氏は学者の家柄だから歌が詠めておかしくない。 相模は拾遺集に採られるには若すぎる。 和泉式部なら30歳くらいまでに詠んだ歌。 赤染衛門が一番年寄り。 初出はともかくとしてこれら三人を勅撰集に抜擢したのは藤原通俊に他ならない。 もしかするとすでに当時和泉式部らは有名な歌人ではあったかもしれない。 しかし、主流派とはみなされてなかった。どちらかと言えば色物扱いだったのだろうと思うよ。 通俊と大江氏になにかつながりがあるのだろうか。 まったくわからない。 難後拾遺を読んでみたいが、どうやら群書類従に写本しかないらしい。 まあ、読めないな。 もっと修行を積まないと。

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