万年筆

万年筆はやはりある程度高いものを買わなければダメだ。1000円以下の安いものだとキャップの先が取れてしまったりする。万年筆のキャップはちゃんと閉まらないとペン先が乾燥して書けなくなってしまう。

それからシースルー(スケルトン)のやつはかわいいけど、良いものは少ない。たぶん買わない方が良い。

カートリッジ式のほうが絶対実用的で経済的なんだけど、やはりわざわざ万年筆を使うのであれば、インクボトルから吸い込むやつが欲しい。ここはどうしても譲れない。

そうするとだいたい、店頭の実売価格が3000円くらいのやつで、シンプルで、ぴったりキャップが閉まるタイプのものを買いたくなる。逆に1万円以上するような万年筆は偉そうで好きになれない。

おなじ理屈で、あんまり安いmidiキーボードもすぐ壊れるからダメだ。たぶんオモチャと楽器では設計思想が違うんだろう。安いやつは結局楽器として作られているのではなく子供のオモチャとして作られていて、だからUSBのインターフェイスとかスイッチとかセンサーに金がかかってなくてすぐにダメになってしまうんだろう。

パソコンのキーボードもmidiキーボードもどちらもUSB接続でキーがたくさんついてるものなのに、パソコンのキーボードがそんな頻繁に壊れたという話をきいたことも実際見たこともない。

女性専用空間

女性が「女性専用空間」を守りたいという運動をするのは良いとして、そこにある本質的問題ってのは、まさに、女性だけに社会的リソースが使われすぎているっていうことなはずなんで、そこをなんとかクリアしてもらいたいと思うね。女性のエゴをどこまで認めてやる必要があるのか。

江戸時代だとそもそも銭湯は混浴だったし、明治以降も『伊豆の踊子』なんか読んでると、別に男と女がきっぱりわかれて入浴している感じではない。公衆便所というものも昔は非常に不潔だったのが、バブル期に急にきれいになった印象がある。

ホテルとか高級百貨店が、きれいなトイレを、特に女子に対して提供するというのは別に良いとして、公共の空間にトイレを置くときは、まず第一にその面積をどうシェアするのかっていうことが問題になると思う。私のイメージだと男はトイレに行っても済ませることを済ませてさっさと立ち去るんだが、女子トイレには小便器も無いし、化粧したり、長くいすぎて面積も要するように思えるんだよね。

でも地方自治体や公共交通会社にしてみれば、いまやそんな女子にばかりリソースを割きたくないんだと思うんだよ。多目的トイレを作るにしても、男子トイレか女子トイレを削らないと新しく作れないとか、とにかく女子トイレにやたらと費用がかかるってことが、今起きてるほんとうの問題なんじゃないの。トランスジェンダーとかよりもさ。女子トイレにできる長蛇の列。あまりの回転率の悪さ。事実なんだよね。女が男より社会的リソースをたくさん使っているという、隠しようのない、紛れもない事実。

でも政治家とか自治体とか鉄道会社ってそういうことを直接は言いたがらないじゃん。女はトイレ長いんだよって言えば女性差別だって言われる。女は話長いんだよって言った政治家みたいにね。女性の側もそういう問題があることは知ってるはずなのに敢えて議論の場に持ち出さないじゃん。マイナンバーカードだってそうだよね。社会のリソースを使っているのならその社会のルールなりマナーなり守って、リソースをシェアしよう、どこまでなら許容範囲なのって議論を直接すりゃいいだけじゃないのかな。

定年とアカウント

勤め先からもらっているアカウントでyoutubeに動画上げたりメイルやりとりしたりしているんだが、定年退職するとyoutubeはともかくとしてメイルアカウントは消えてしまうわけで、それはもう7年後に迫っている。だから今から個人用と仕事用できちんとアカウントを使い分け始めなきゃいけないと思っている。さらに定年後はこの筆名と実名も、区別なくそうと思っている。区別しているのはなんやかんや書き散らかして職場に迷惑かけたりしないためでもあるんだが、仕事やめたらもうそういう遠慮も要らんだろう。

実名にともなう肩書きは多少、筆名でやっている活動を広めるため役立つかもしれないし、実名でやっている仕事に筆名でやっている活動も多少は業績として加えられるかもしれない。しかし今はそれをやる勇気がない。定年になったら両方の業績リストを一つに統合する、くらいのことはやるかもしれないが、それ以上に何か宣伝したりすることはないと思う。

ともかく、仕事を辞めたあともしばらくはだらだら趣味で執筆活動は続けると思うんで、そのための準備は着々としておくつもり。

株は、始めて1年半くらいだが、この銘柄、そろそろ底値かなってところを狙って買うのが、脳汁がどばどば出て楽しいんだと思っている。で、だいたい底値か、底値より10円高いくらいで買っていることが多い。底値を見誤ったときはナンピン買いしてる。

低迷してる株は怖くなって売ってしまうことが多い(で、持ち直してくると手放したのが惜しくなる)。その場合も、いつも買値よりは1円でも高く売るようにしている。要は、銘柄単位でも全体でも損するのが怖いだけなんだけどね。一部は損しても全体で得してればOKというのがほんとの相場師なんだろうけど、私はそれで給料もらってるわけじゃないしね。好きなようにやる。

調子の良い株は基本放置。1000円以上値上がりしたら売ると決めているのだがまだ私の保有株でそんなに上がったのはない。

短期で元手を回転させて利ざやを稼ごうというやり方はしてない。基本的に、銀行預金や郵便貯金だとほとんど利子が付かないから、株に資産を移しているだけ。そりゃまあ儲かればうれしいだろうが、年に10万20万程度儲かったところで時給換算すれば誤差程度、お小遣い程度だ。それを言えばkindleもそうなんだが、とりあえず株は貯金の一部としてやってる。そういうやり方でこれまで特に損もしてないので、このままこういうやり方を続けると思う。

投信の積み立てNISAとか言うのはすかん。他人任せで勝手に上がったり下がったりするからみててイライラするだけ。貯金の仕方としては優れているとは思うけど、私には要らない。というかなんでNISAとか税金で優遇して、金融取引で20%も税金取るんだよ、むしろ金融税もNISAもやめろ、余計な仕組みを増やすなよ、と言いたい。

株価が下がっているのは、業績が悪いからとか、なんか不祥事を起こしたからとかっていう場合はほとんど無いと思うんだよね。たいていは、ダウが下がったとか日経平均が下がったとかおかしな流行病が流行ったとか、大株主がまとめて処分したがってるとか、あんまその銘柄に関係ない理由。業績が悪いというか、もうその会社がやる気なくて、新規開拓もしない、新商品も出さない、後はもうだらだら株価を下げるだけみたいなところは買わないけど、たまたま下がってるだけだろって思えるようなところは買ってる。底値付近で買っておけば後はしばらく放置できるから楽。逆に上がってる最中に買うと、いつ下がるかとずっとビクビクしてなきゃいけないから嫌かな。下がらないだろうとわかっててもただ単に右肩上がりな株も、私としては手が出しにくい。なぜかというとそれは上にもう書いた通りの理由。

日本株というか日本企業ってほんとに手堅く守りに入っちゃってるところ多いよね。それでじりじり株下がってても気にしない。経営者がとにかく失敗を恐れている。そんな会社めちゃめちゃ多い気がする。でもまあシャープとか東芝見てるとそういう気にもなるかもね。

しかし、競馬やパチンコよりも株のほうがずっと面白いし儲かるチャンスも多いと思うんだが、なぜみんな博打をやりたがるんだろうね。まあそう思う人はさっさと株をやってるわけだよな。それで、経営者になって人を雇ってフランチャイズやったり無人餃子売ったり。そういうことしたい人はするんだろうが、そこまで本腰で経営とか人付き合いとかやりたくなきゃやっぱネットで株やるんだろうな。

底値がわかりゃ苦労はないわけだが、まず、ガッと売りにくるやつがいて、そこでいちいち反発が入る株は、落ちっぱなしではなく、底を打って回復に転じやすいと思う。それでもやっぱガッと売りに来る奴がいて、それが1ヶ月も2ヶ月続くと、なんかしらんがすごく売りたがってる大株主でもいるんかなってなってしばらく様子見になることもある。

逆に底値打ってすぐに回復する株もある。そういうやつをちまちま買っとく。今のところは1銘柄100株で止めて、ナンピン買いしたときだけ200株とか500株とか買って、だいたいは後で100株に戻して、いろんな銘柄を広く浅く買う。

ま、ともかく、狼狽売りだか、資産家が死んで財産を処分しようとしてるのか知らんが、業績が特に悪いわけでもなく、下がる理由も大してないのに下がってるのはどんな理由かは知らんが売りたがってる奴がいるので、そいつに売りたいだけ売らせて、そうすると反発が来て、攻防が始まって、売買がすごく小刻みになるから、そのへんで買えば良いんじゃないって思ってる。ほんとにダメで落ちてる株は攻防が無いからみてりゃわかると思う。とかいうのはやっぱネットでリアルタイムに売買が見られるからできる技であって、昔みたいに新聞の株式欄を一日一回見るみたいなやり方ではできないよね。だから、私のやり方は基本的には放置だが部分的にデイトレみたいなもんだな。こういうやり方してる人っているのかしらんが。ずーっとデイトレで張り付いてるってのは全然やりたくない。

結婚式

シャイニングを、原文と和訳を見比べながら読んでいるのだが、なかなか面白い。これによると、キリスト教徒の伝統的な結婚式では、神父(牧師)が新婦の父親に

Who giveth this woman?

と尋ねて、それに

I do.

と答えるらしいんだが、つまりこれは女は父の持ち物から夫の持ち物となるという、完全な家父長制の、というかゲルマン法に基づく儀式であって、「バージンロード」というからには処女の娘を夫となる男のところへ連れて行くのは父でなくてはならず、従って新婦の母親はいなくてもよいし、新郎の父もいなくてよいことになる。

この箇所、和訳では「この男にめあわすために、この女を渡すのは誰か?」「われこれを行なう」となっていてしかも傍点までふってある。日本でも昔は教会でこういうふうなセリフを使ったのかもしれない。そのまま訳しちゃわけわかんないから略さずに言うセリフを探し、さらにそれを古風な和訳に置き換えたのだろう。翻訳者の苦労がわかるね。

若い頃はすくなくとも酒を飲めばハメを外してストレスの発散になったのだが、今は逆に外で酒を飲むとハメを外さないようにモノをなくさないようにと我慢して飲むからストレスをため込んでしまう。家で飲むときには安全でしかも適量しか飲まない(350mlのビール2本とハイボール1杯くらい)。外で飲むとどうしても飲み過ぎてしまうししかもハシゴまでしてしまう。

要するに年を取ってメンタルも弱くなったし、体力も落ちたし、酒にも弱くなったし、酒を飲むと自分がどうなるかってこともほとんど全部経験し尽くしていてこれ以上新しいことなんて(自分自身がまったく別人にでもならんかぎり)ないってわかってるわけだ。自分という形ができあがってしまってその形の中で酒を飲まなきゃならんという窮屈さがある。自分という殻が邪魔だし、自分の周りの環境も邪魔だし、つまり自分自身が邪魔なわけだ。犬がうるさいのも自分のせいだしタバコが臭いのも自分のせい。すべて、他人のせいでもあるが同時に自分のせい。これはもうわかりきっている。じゃどうしたら良いんだよっていうとどうにもできやしない。ここまでこじらせてしまうと手の付けようがない。

いろんなことをくよくよと気にするようになったのも年のせい。人の言うことをいちいち深読みしてちゃ外飲みはできんのだろう。年を取ったおかげでいろんなことが予測できるようになってしまった、先回りしてわかるようになってしまった、ということは良いことでもあるのだろうが、メンタルにはきつい。

トップページのタイトル

トップページだけ、タブに表示されるタイトル(つまり titleタグの中身)を「ページのタイトル – サイトのタイトル」ではなく「サイトのタイトル」になるようにしてほしいと言われ、いろいろやってみた結果、function.php に

add_filter( 'pre_get_document_title', 'change_document_title' );
function change_document_title( $title )
{
  if( is_home() )
  {
     $title = blog_info('name');
  }
  return $title;
}

と加えれば良いだけだった。あと、SEOプラグインがタイトル管理してる場合があるのでその時はそのプラグインを無効にしなくてはならない。

アマゾンのレビュー

『特務内親王遼子』なのだが、特に読まれた形跡はないのに(読破した人がいるとは思えないのだが)レビューに星1つついてて、コメントは無し。おそらく平安文学的、ないしは女性週刊誌的「内親王」のイメージで読み始めたがそのイメージとまったく合わないことが書かれていたので、読むのをやめて星1つを付けたのだろう。あるいはこれが、近代東アジア史のパロディになっているので、それが生理的に気に入らなかったのかもしれない。

同じことはおそらく『江ノ島合戦』にも言えて、ただ単にタイトルのイメージで面白そうだなと思って読んでみたら期待外れだったのだろう。

『ヨハンナ・シュピリ初期作品集』もそうだろう。ハイディに対するイメージと違う、そういう反発で低い点を付ける。

これはもうしょうがない。私の場合世の中にもう読みたい本がなくなったので自分で書き始めたのであり、その辺にありそうな本を読みたい人が読んでも面白いはずがない。気難しい、世の中が嫌いで人間が嫌いなおっさんが書いたものなので、一般人が読んで不快なのはしょうがない。

『妻が僕を選んだ理由』は23個もレビュー(コメント無しを含む)がついてて、なんでこれがそんなに読まれたのか不思議だが、おそらくこれも単にタイトルに興味が引かれたというだけなのだろう。

どうしたものだろうね。

朝の騒音

年を取ってSNSというものがメンタルをガリガリ削ってくるので見るのが嫌になった。最近のSNSってのが、ごく普通の人がただ単に書きたいことを書いてるのでなくて、なんかなまじプロの書き手がいて、より多くの人に読まれようと巧んで書かれるようになり、そういう人のツイートなり動画なりがよけいに目立つようになってきて、それって昔のテレビや新聞と同じじゃん、マスコミと根っこはまったく同じじゃん、自分が見るのも嫌だったのと同じことを一般人がやるようになった、そういうメディアができただけじゃんってことになり、見るのが苦痛になってきた。

なんかものが書きたきゃ、心静かにブログでも書いているほうがよいと思えるようになってきた。

朝は耳栓をしていることが多い。

3:00頃新聞配達のバイクが来る。うるさい。早朝ですらない。深夜だ。もしバイクで新聞配達するんなら昼間にやればよい。深夜に配達するんなら、音のしない何かでやってもらいたいがそれはそれで暗闇の中事故を起こしてしまうから危険なのだろう。そもそも新聞自体が無くなってしまえば良いのに。

犬の鳴き声。つい最近、いや1年くらい前か。近所のどこかが犬を飼い始めた。早朝犬の散歩をする。でかける時と帰ってくるときに吠える。うるさい。やかましいというのではなく、カンに障る。小型犬でたいして大きな声ではない。そんなのカラスの鳴き声のほうがうるさいだろうと思うかもしれないが、この小型犬というものが完全に人間のエゴで作られた生き物であり、犬は人間に媚びるしか生きていくすべがない。人間のほうはただ可愛いというだけの理由で衝動的に飼っている。そういう人間と犬の関係性が嫌でたまらないからカンに触るのだ。イノシシを狩る時に連れて行く犬とか、鼠を狩る猫ならまだわかる。単なる愛玩動物。存在自体が嫌いだ。

これは何度も書いたことだが、若い頃は犬が多少吠えていても気にもとめなかった。賃貸で二階に住んでいて一階で犬を飼っていることもあった。ところがずっと後になり隣の家で1:00頃必ず犬が鳴く。新聞配達が来ると必ず1時間くらいずっと鳴き続ける。それがもううるさくて仕方なかった。それ以来犬が大嫌いになったし、新聞配達も嫌いになった。

後、雨戸の開け閉め。あんなもの必要無くないか。だいたい隣の家は4箇所雨戸を開ける。だから1回ガラガラっといったらあと3回同じ音を聞かされる。それが嫌だ。

とにかく年をとるのはやっかいだ。こんなに生きるのがめんどくさくなるとは。

銭湯

最近割と銭湯を利用するのだが、グーグルマップで調べて入り口に灰皿を置いているようなところには行かないようにしている。

東京都の共通入浴券を買った。

15時から17時くらいまでは、開店そうそう待ち構えてやってくるじいさんとか謎の職業の人たちで込んでいるが17時以降はいったん客が引いてガラガラになるところが多いように思う。繁盛している店は二階建てにしたりサウナ付けたりしてるんだが、私はそういうのは要らん。

ほぼすべての店にボディーソープとシャンプーがあるが、ものすごく薄めてあってストレスがたまる。特に泡タイプにしている店はどんなに出してもぜんぜん効き目がない。それで近頃は Biore 1 という、ボディーソープもシャンプーもリンスも全部一緒になった洗剤を使っている。割高なのかもしれんが、とりあえずこれで十分な気がする。

マスクはしているのに路上でタバコふかしてるじいさんとかもうわけがわからない。手の消毒なんかもまったく意味はない。そういう連中がいるから3年間もコロナで騒いでたわけでもうどうしようもない。

どことはいわんが営団地下鉄の改札の向かいにたばこ屋があってそこでいつもたばこを吸っていてくさい。またこれもどことはいわんが地下鉄の駅ビルの裏、ビルの側は禁煙なんだが道挟むと禁煙ではないらしくそこでいつもその駅ビルで働いている連中がタバコを吸いにきている。

どことはいわんが、某スーパーで、タバコと酒は二十歳になってからってわざわざ店内放送してるところがあるんだが、アレなんで要るの。なぜスーパーでアナウンスする必要があるの。酒買いに来たやつが不愉快な気持ちになると思わんのかね。タバコなんかと一緒にされちゃ迷惑だからもうそのスーパー行くのやめるわ。

まったくスーパーにしろ百貨店にしろ駅にしろ電車にしろどうでも良いアナウンスをくどくどくどくど聞かされるのほんとつらい。まじコロナ後遺症だわ。ほんとアナウンスが嫌になった。