月別アーカイブ: 2016年5月

「ヨハンナ・シュピリ初期作品集」だが、 相変わらずアマゾンではまったく売れていない。 だんだん中古が値崩れしてきているがそれでも売れない。 ところが紀伊國屋書店やツタヤのオンラインショップではときどき在庫切れしたり入荷したりしているから、 多少は売れているらしいのだ。 アマゾンで中古だけものすごく高値で売られていた時期があって、 その頃、わざわざアマゾンで高い中古を買うくらいなら、 普通の書店で新品を買った方がよい、などとツイートしたことがあって、 それを見た人がアマゾンを避けているのかもしれないと思い、 そのツイートは削除した。 それで、ツタヤに「あわせて買われている商品」というのが15冊あって、 ということは、 少なくとも「ヨハンナ・シュピリ初期作品集」は現時点でツタヤオンラインで15冊売れた、ということになる(もしかすると書店売りのデータも含まれているかもしれない)。 多いような少ないような。よくわからない。 ともかくツタヤで本を買う人は思ったより多いのかもしれない。 中古は別として新品を買うならアマゾンでもツタヤでも同じはずだが、なぜかツタヤで買われている。 それで合わせて買われた本なのだが、 どちらかと言えば日本文学の本が多く、 洋書の翻訳物は2冊しかない。 いったいどんな人が買っているのだろう。実に不思議だ。 ツタヤで買う人というのはたぶんリピーターだろう。 私の本だけ… 続きを読む »

カテゴリー: 未分類

ハイジのこどもたち

シャルル・トリッテン著「ハイジのこどもたち」を読んでいるのだが、 アルムおじさんの名はトビアス・ハイムというらしい。なるほど、アルムおじさんの息子の名前はトビアスだから、その父の名もトビアスである可能性は高い。 トビアス・ハイムはオーストリアで傭兵をしていた。そのときにマルタ・クルーゼという女性と知り合い、二人の男子を産んだ。トビアス・ハイムとマルタ・クルーゼは二人して財産を使い果たして、離婚した。そのときトビアス・ハイム、つまりアルムおじさんは長男のトビアスを、マルタは次男を引き取った。このマルタが引き取ったほうの子はオーストリアの陸軍大佐となり、クルーゼ大佐と呼ばれる。クルーゼ大佐の妻はマリーという名で、クルーゼ大佐はパリ駐在武官となってパリに住んでいる。もしかするとマリーはフランス人かもしれない。クルーゼ大佐とマリーの間には、ジャミー(ジャンヌ-マリー)、マルタという二人の娘がいる。ジャンヌ-マリー(Jeanne-Marie)は明らかにフランス女性の名である。 一方で、ハイジはペーターと結婚して、トビアス、マルタリという男女の双子を産む。トビアスの洗礼名はトビアス・ペーター・ナエゲリ、マルタリの洗礼名はマルタ・ブリギダ・ナエゲリ。これによってペーターの名前は、ペーター・ナエゲリというのであろう、ということがわかる。 ちなみに名前に「リ」をつけるのは「ちゃん」づけするみたいなも… 続きを読む »

堅信礼の贈り物

ヨハンナ・シュピリ処女作出版の経緯についてはこちらの記事に詳しく記されている。 > Johanna Spyri und Bremen: ein Beitrag zu den schweizerisch-hansestädtischenLiteraturbeziehungen und zu den schriftstellerischen Anfängen der “Heidi”-Autorin 後書きに書いた通り。ほんとはもっとたくさん書きたかったが、あまりに「後書き」が長すぎてもかっこわるいので、必要最小限しか書かなかった。中途半端に書いておくとあとで自分も忘れてしまって困るので整理しておく。> Autor(en): Richter, Dieter Dieter Richter はドイツ語学者。 > Zeitschrift: Librarium : Zeitschrift der Schweizerischen Bibliophilen-Gesellschaft = revue de la Société Suisse des BibliophilesBand (Jahr): 31 (1988)Heft 2 「Liberarium」という、スイス愛書学会(?)から出ている論文誌に載っているらしい。 > Die kleine Schrift… 続きを読む »

新撰和歌2

「新撰和歌」みてるとけっこうわけのわからない歌とか、あまり面白くない歌も含まれている。 わけのわからない歌を「古今集」などで確かめてみると、 貫之本人のせいか途中で写した人のせいかは知らないが、間違っているものも多い。 「古今集」に比べれば「新撰和歌」のほうが雑な印象だが、 そりゃまあ、「古今集」はいろんな人がきちんと校正した結果が今日に残っているわけだから、 それにくらべて貫之の私撰集のほうにあらがあるのは仕方がないのかもしれない。 で、「本朝文粋」が藤原明衡によって後冷泉天皇の時代に成立していたのは間違いないことだし、 その中に紀淑望による「古今和歌序」が当初から収められていたのもうたがいようがない。 でおそらくこれはもともと「序」として書かれたのではなくて、後で「本朝文粋」の「序」の章にまとめられたのであろうということがうかがえる。 そして「序」は「詩序」と「和歌序」に分かれており、 「詩序」には一から四がある。 和歌序は * 古今 * 新撰 * 奉賀村上天皇四十御筭 * 中宮御產百日 * 女一宮御著袴翌日宴 * 左丞相花亭遊宴 * 賀玄宗法師八十之齡 * 讚法華經廿八品 * 春日野遊 * 泛大井河各言所懷 * 泛大井河詠紅葉芦花 となっており、みな漢文である。 歌合の序はもともと仮名で書かれたものもあって、仮名序というものがもともとなかったわけではない。 古今仮名序の初出は… 続きを読む »

カテゴリー: 未分類

新撰和歌 巻第四 恋・雑 荓百六十首 (2/2)

> 281 おもふどち まとゐせるよの からにしき たたまくをしき ものにざりける > 282 人はいさ 我はなき名の をしければ むかしもいまも しらずとをいはむ > 283 わが身から うき名のかはと ながれつつ 人のためさへ かなしかるらむ > 284 あまぐもの よそにも人の なりゆくか さすがにめには 見ゆるものから 異本歌、いづくにか世をばいとはむ世中に老をいとはぬ人しなければ > 285 いづくにか 世をばいとはむ 心こそ 野にも山にも まどふべらなれ > 286 月夜には こぬ人またる かきくもり あめもふらなむ わびつつもねむ > 287 おそくいづる 月にもあるかな 足引の 山のあなたも をしむべらなり > 288 露だにも なからましかば 秋の夜を たれとおきゐて 人をまたまし > 289 ながれても なほ世の中を みよしのの 滝の白玉 いかでひろはむ > 290 いまはとて かれなむ人を いかがせむ あかずちりぬる 花とこそ見め > 291 ひかりなき たにには春も よそなれば さきてとくちる もの思ひもなし > 292 色見えで うつろふ物は 世のなかの 人の心の 花にぞ有りける > 293 あまのすむ さとのしるべに あらなくに うら見むとのみ 人のいふらむ > 294 いろもなき 心を人に そめしかば うつろはむとは おもはざりしを > 295 ふる里… 続きを読む »

カテゴリー: 未分類

紀淑望

古今251 「秋の歌合しける時によめる」または新撰和歌12。 > 紅葉せぬ ときはの山は ふくかぜの おとにや秋を ききわたるらむ 和漢朗詠集巻頭。 > 逐吹潛開、不待芳菲之候。 > 迎春乍変、将希雨露之恩。 > 内宴進花賦 五言でも七言でもない。なんだこれは。 > 吹(かぜ)を逐(お)ひて潛かに開く、芳菲の候を待たず。 > 春を迎へて乍(たちまち)に変ず、まさに雨露の恩を希はむとす。 芳菲は草花の香り。 新古今1866「猿田彦」 > ひさかたの あめのやへぐも ふりわけて くだりし君を われぞむかへし これも謎の歌だな。 これで紀淑望の知られている歌や詩は全部かな? 古今集真名序 > 夫和歌者、託其根於心地、發其華於詞林者也。 人之在世、不能無為、思慮易遷、哀樂相變。感生於志、詠形於言。是以逸者其聲樂、怨者其吟悲。可以述懷、可以發憤。 動天地、感鬼神、化人倫、和夫婦、莫宜於和歌。 和歌有六義。一曰「風」、二曰「賦」、三曰「比」、四曰「興」、五曰「雅」、六曰「頌」。 若夫春鶯之囀花中、秋蟬之吟樹上、雖無曲折、各發歌謠。物皆有之、自然之理也。 然而神世七代、時質人淳、情欲無分、和歌未作。 逮于素戔烏尊、到出雲國、始有三十一字之詠。今反歌之作也。其後雖天神之孫、海童之女、莫不以和歌通情者。 爰及人代、此風大興、長歌短歌旋頭混本之類、雜體非一、源流漸繁。譬猶擴雲之樹、生自寸苗之煙、浮天之… 続きを読む »

カテゴリー: 未分類

新撰和歌 巻第四 恋・雑 荓百六十首 (1/2)

> 202 しのぶれば くるしきものを 人しれず 思ふてふこと たれにかたらむ 古今519。題知らず、読み人知らず。 > 203 人しれず おもふこころは 春がすみ たちいでてきみが めにも見えなむ 古今999 「寛平御時歌たてまつりけるついてにたてまつりける」 藤原勝臣 > 204 久かたの あまつそらにも あらなくに 人はよそにぞ おもふべらなる 古今751。題しらず、在原元方。「あらなくに」→「すまなくに」 > 205 たれをかも しるひとにせむ たかさごの まつもむかしの ともならなくに 古今909。題しらず、藤原興風 > 206 おとにのみ きくのしらつゆ 夜はおきて ひるはおもひに けぬべきものを 古今470。題しらず、素性、「けぬべきものを」→「あへずけぬべし」 > 207 わがうへに つゆぞおくなる あまのがは とわたるふねの かいのしづくに 古今863。題しらず、読み人しらず。「かいのしづくに」→「かいのしづくか」 > 208 よし野がは いはなみたかく 行くみづの はやくぞ人を おもひそめてし 古今471。題知らず、貫之。 > 209 世のなかに ふりぬるものは 津のくにの ながらのはしと 我となりけり 古今890。題知らず、読み人知らず。 > 210 足引の 山したみづの うづもれて たぎつこころを せきぞかねつる 古今491。題知らず、読み人知らず。 > 2… 続きを読む »

カテゴリー: 未分類

新撰和歌 巻第三 別・旅 荓二十首

> 181 たちかへり 稲葉の山の みねにおふる まつとしきかば 今かへりこむ 古今365、題知らず、行平 > 182 あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさの山に いでし月かも 古今406、「もろこしにて月を見てよみける」「この歌は、むかしなかまろをもろこしにものならはしにつかはしたりけるに、あまたのとしをへてえかへりまうてこさりけるを、このくにより又つかひまかりいたりけるにたくひてまうてきなむとていてたちけるに、めいしうといふ所のうみへにてかのくにの人むまのはなむけしけり、よるになりて月のいとおもしろくさしいてたりけるを見てよめるとなむかたりつたふる」安倍仲麿 > 183 おとは山 こだかくなきて 郭公 きみがよはひを をしむべらなり 古今384「おとはの山のほとりにて人をわかるとてよめる」貫之 > 184 ゆふづくよ おぼつかなきを たまくしげ ふたみのうらは あけてこそ見め 古今419「たじまのくにのゆへまかりける時に、ふたみのうらといふ所にとまりてゆふさりのかれいひたうべけるに、ともにありける人人のうたよみけるついてによめる」藤原兼輔 > 185 人やりの みちならなくに おほかたは いきうしといひて いざとまりなむ 古今388「山さきより神なひのもりまておくりに人人まかりて、かへりかてにしてわかれをしみけるによめる」源さね > 186 わたのはら やそしまかけて… 続きを読む »

カテゴリー: 未分類

新撰和歌 巻第三 賀・哀 荓二十首

> 161 わが君は 千代にましませ さざれ石の いはほとなりて こけのむすまで > 162 なくなみだ 雨とふらなむ わたり川 みづまさりなば かへりくるがに > 163 わたつ海の はまのまさごを かぞへつつ 君がいのちの ありかずにせむ > 164 ちのなみだ おちてぞたぎつ しら川は 君が代までの 名にこそありけれ > 165 しほのやま さしでのいそに すむ千鳥 君が御代をば や千代とぞなく > 166 うつせみの からを見つつも なぐさめつ ふかくさのやま けぶりだにたて 古今831 僧都勝延(ほりかはのおほきおほいまうち君身まかりにける時に、深草の山にをさめてけるのちによみける、空蝉はからを見つつもなぐさめつ深草の山煙だにたて)。 > 167 かめのをの 山のいはねを とめておつる たきのしらたま 世世のかずかも > 168 ねても見ゆ ねでもみえけり おほかたは うつせみのよぞ ゆめにはありける > 169 いにしへに ありきあらずは しらねども ちとせのためし きみにはじめむ > 170 あすしらぬ わが身なれども くれぬまも けふは人こそ こひしかりけれ > 171 ふしておもひ おきてかぞふる よろづ代を 神ぞしるらむ 我が君のため > 172 花よりも 人こそあだに なりにけれ いづれをさきに こひむとか見し > 173 わすれがたき よはひをのぶと きくの… 続きを読む »

カテゴリー: 未分類

新撰和歌 巻第一 荓序

> 玄番頭従五位上 紀朝臣貫之上 > 昔延喜御宇、属世之無為、因人之有慶、令撰萬葉集外、古今和歌一千篇。 更降勅命、抽其勝矣。 伝勅者執金吾藤納言、奉詔者草莽臣紀貫之 云云。 未及抽撰、分憂赴任、政務餘景、漸以撰定。 抑夫上代之篇、義尤幽而文猶質、下流之作、文偏巧而義漸疎。 故抽下始自弘仁、至于延長、詞人之作、花實相兼而已、今之所撰、玄之又玄也。 非唯春霞秋月、潤艷流於言泉、花色鳥聲、鮮浮藻於詞露、皆是以動天地感神祇、厚人倫成孝敬、上以風化下、下以諷刺上、雖誠假名於綺靡之下、然復取義於教戒之中者也。 爰以春篇配秋篇、以夏什敵冬什。 各各相鬪文、両両雙書焉、慶賀哀傷、離別羈旅、戀歌雜歌之流、各又對偶、惣三百六十首、分爲四軸、蓋取三百六十日、關於四時耳。 貫之秩罷歸日、將以上獻之、橋山晚松、秋雲之影已結、湘濱秋竹、悲風之聲忽幽。 傳勅納言亦已薨去。 空貯妙辭於箱中、獨屑落淚于襟上。 若貫之逝去、歌亦散逸、恨使絶艷之草、復混鄙野之篇。 故聊記本源、以傳来代云爾。 「始自弘仁、至于延長」 弘仁(810 – 824)、嵯峨・淳和天皇の時代。 延長(923 – 931)、醍醐・朱雀天皇の時代。 以下は他人による註釈か? > 中納言兼右衛門督藤兼輔 承平三二十八薨五十七 中納言兼右衛門督 藤原兼輔 承平三(933)年二月十八日薨去、五十七歳。 > 醍醐帝 延長八九十九崩四… 続きを読む »

カテゴリー: 未分類