随筆第一巻 松乃落葉 契沖云、和歌は人ごとに胸中の俗塵を払ふ玉箒なり。
我が国の神道は即ち漢土(もろこし)の神道なり。 昔は天照大神の神霊、大殿にましまして、神宮・皇居、無差別と言へり。 祀の礼は補臣の掌る所にて、朝政はみな、神徳を以てぞ行はれし。 唐虞三代の礼は、尚書三礼に載りたり。 大政はみな宗廟にて行なはる。 宗廟の制作、大やう後の世の朝堂に等し。 祭祀の礼を治め、神霊の命を受けて行なはれければ、異国・本朝、神聖の道は同一揆なり。 後の世に官職分かれて、中臣・斎部の司るところは、即ち漢土の大宗伯の職にて、祭祀の礼を司れり。 朝政の中に一職にてあり。 大宗伯に準じて神祇伯とは名付けられぬ。 人事は皆、天のなす所なれば、天地神明の感応ならでは治まらず。 政事みな神明の命を受けて行ひたまへば、王道・神道、差別なく、治世安民の道にてぞあるべき。 『易』に「聖人設神道而治天下」と言へる、これなり。 上古は淳朴にて礼文いまだ備はらず。他(ひと)の国も我が国も、世の初めはみな神の代にてぞ有り。 人の代に移りてぞ、人の礼儀有りけり。 漢土は土地広大なればにや、風気早く開けて、我より先に礼文備はりけるこそ、唐虞・夏・商を歴(へ)て、 周の代に至りて、礼文成就完備して、人道の規矩定まりぬ。 我が国中古の世、古今の移り行く事を深く考え知りたまひて、はるかの海をしのぎて使者を参らせ、漢土の礼儀を移したまひてこそ、我が国の礼文、天地に交へて恥ぢざる事に成りてけり。 世々の律令・格式、今もあれば、漢土の礼文移されたる事は、紛ふべくもなし。 然るを、古への神道と言ふ事を知らで、我が国の神道は異国と異なり、その道はかうかうなれと言ふ、いかでかかる事あるべき。 神明は霊妙不測の威徳ましまして、天に等しく人智の及ばざる所にてこそあるべきに、身は社、心は神にあるものを、などと言ひて、神道の奥義なりと思へり。 即ち即身即仏の禅理なり。 神は我にありと言へば、神壇宗廟は廃すべきか。 鬼神なきに似たり。 勿体なき事ならずや。祭祀の礼を慎みて、神明の感応をなさしめ、国土の福を致すこそ、その職の道なるべけれ。