カオス

昨日は友人が遊びにきた.聞き取りにくい携帯電話で話をして,僕が「松陰神社前で待つ」と言うと,「改札はどこにあるのか」と聞くので,「世田谷線の駅に改札なんかない.ホームしかない」と言うと,なんか納得できないふうだった.世田谷線には終点の三茶と下高井戸にしか,改札はない.彼は世田谷線のことを時代錯誤だとかアナクロだとか言った.それはひどい.せめてレトロとかアンティークとか言ってやれば良いのに.世田谷線の電車の内装は,壁も床も板張りだ(樹脂のもいくらかはある).

吉田松陰の墓にお参りした.もう日が暮れて神社の門が締まってたので,こそこそと入りこんだ.安政の大獄で,みな三十代で(つまり僕くらいの年で)獄死したのだった.吉田松陰はちょうど三十才で死んだ.思い残したことややり残したはあったのかなかったのか.僕なんていまじゃ Linux くらいしか生きる楽しみがない(Linux だって別にしいて生きていたいほど好きなわけではない).などとふと思った(単に落ち込んでるだけかも…).つい一週間ほど前に携帯電話を買った,とても便利だ,などというので,つき合っている人でも出来たのかというと,そうだと白状した.ふむ.それじゃ簡単に死ぬわけにもいかないね.

僕が死んだら親が悲しむだろう.僕はつくづく退屈な人間なので,彼女が出来ても話すことがない,遊びにいくところがない,それで納得してくれるならつきあっても良いのだが,それだといっしょにいる甲斐がないから,何もしない方がましかもしれぬ.困ったものだ.そもそも僕は電話をしても長電話はしない.たまにすることがあっても特殊なケースで,それを毎日繰り返すなどというのは,あり得ない.これからそういう性格になることもないと思う.昔からそうかというとそうでもなくて,中学生のころまではよく話す方だったのだが.

僕のカオスのとらえ方はちと違っていたようだ.カオスというのは,力学系の話なので,
初期値によって挙動が全く違ってしまうようなのをカオスと言うのだと言う.それはまあそうなのだが.カオスというのは無秩序に近いものであり,無秩序と秩序の間にあるのは複雑系というのだそうだ.ふーん.