月別アーカイブ: 2014年3月

ひとつの仮説

> 飲む前は飲まじと思ふ 飲めばとくやめんと思ふ されどすべなし 特に最近の傾向だが、 酒を飲まずにいると血圧が 99-65 とかになる。 普通に低いのではなく、 アンカロンやアーチストなどの薬によって心臓を強制的に休ませているせいではないか。 だが、酒を飲んだ翌朝は 139-95 とかになる。 約40跳ね上がる。 この効果は約2日続いてまた血圧は下がる。 血圧と血中アルコール濃度に明らかな相関がある。 人間の体はみんなそういうもんかというとそういうわけではなく、 アルコールを飲むといったん血圧は下がるものである。 そこからやや上昇するということはあってもここまで極端ではない。 それから、酒をしばらく飲まずにいると、 何もしないのに体重は減少もしくは維持する傾向がある。 それでまあ一つの仮説なのだが、 薬を飲んで血圧が 99 くらいになっていて酒を飲んでさらに血圧が 80 とか 70 に下がろうとすると、 私の体はこりゃ大変だということで一生懸命無理に血圧を上げようとする。 同時にLDLコレステロールを大量合成して血中コレステロール値を上げてしまう。 コレステロールを合成しすぎるのは体に良くないがこの際血圧を維持するためには仕方ない。 さらに、ものを食べずに酒を飲むとさらに血圧が下がるというので、 体は余計にカロリー消費を抑制して、余計に痩せなくなる。 つまり、薬と酒の作用で私の体… 続きを読む »

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異同歌

> 我が背子に またも逢はむと 思へばか 今朝の別れの かなしかりつる > 我が背子に または逢はじと 思へばか 今朝の別れの すべなかりつる 明らかに同じ歌であるが、微妙にニュアンスが違う。 こういう歌が、調べ出すとかなりたくさんある。 最初のがおそらくはオリジナルだが、 二番目のほうが明らかにできがよい、と思う。 > 春立たば 咲かむと思ひし 梅の花 めづらしみにや 人の折るらむ > 春立たば 咲かむと思ひし 梅の花 めづらしげにや 人の折るらむ > 春立たば 咲かばと思ひし 梅の花 めづらしみにや 人の折るらむ いずれも貫之の歌。 真ん中が現代人には一番わかり良いが、 三番目のが一番オリジナルに近いか。 こういうのは改変かもしれないしそうでははないかもしれん。 特に古い、詠み人しらずの歌などはそもそも異同歌があって当然だろう。 貫之のも詠草がそのまま残ったのかもしれんし。 後で変えたのかもしれんし。 或いは単なる転記ミスかもしれん。

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赤染衛門

赤染衛門集を一通り読んだ。 実に不思議な歌を詠む人だ。 普通、歌とは、花鳥風月や春夏秋冬、恋や別れなどの、浮き世離れしたことを詠むものである。 ある意味やんごとなき、高尚なものであるという認識がある。 西行も「花鳥風月に感じて三十一文字をなす」というような言い方をしている。 紀貫之が屏風歌職人であったように、 古今集の時代から歌は「文芸」であると考えられていた。 当たり前のようだが、当たり前ではない。 万葉時代には歌は芸能、芸事というよりは、娯楽とか、余興に近かったはずだ。 今で言えば歌謡曲に近い。 江戸時代の都々逸には近いだろう。狂歌と言ってしまうとまた違う。 ある意味漫才や落語にも近かったと思う。 彼女の時代、歌と話し言葉にはほとんど違いが無い。 赤染衛門が「発掘」されたのは後拾遺集であるが、 彼女の時代はそれより少し前の、藤原道長や紫式部の時代である。 この時代までは、こういう素朴で野卑な歌を詠む人はざらにいたのだろう。 しかし身分が低すぎて、自分で歌集を遺したりしない。 そういう歌をわざわざ蒐集する人もいない。 だけど、赤染衛門は大江匡衡の妻だったから歌を記録してもらえた。 さらに後拾遺集の選者は変わり者だったから、 和泉式部や相模などの、 普通の勅撰集の選者ならば選ばないような歌を選んだ。 或いは白河天皇がそういう趣味の人だったかもしれない。 祇園女御と出会う前からそうい… 続きを読む »

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昔のつぶやき

2009年頃のつぶやきなんだが、 今更検索しても出てこないのでここに再掲する。 我ながらすっかり忘れている。 “6787222833”,””,””,”2009-12-18 00:00:00 +0000″,”web”,”松田聖子とかけてハマチと解く。心は、ブリっ子。”,””,””,””,”” “6787260383”,””,””,”2009-12-18 00:00:00 +0000″,”web”,”松本伊代って長野県なんだか愛媛県なんだかよくわからない名前だな。”,””,””,””,”” “6758550374”,””,””,”2009-12-17 00:00:00 +0000″,”web”,&… 続きを読む »

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勅撰集編纂

再び[民葉和歌集](/?page_id=4504)編纂にはまり始めたのだが、 一応これは、新続古今和歌集で途絶えた21代にわたる勅撰集を孝明天皇が復興して、 つまり22代目の勅撰集を作るという設定で私個人が歌を集めているわけ。 [仮名序](/?page_id=4505)によれば万延元年十二月三日(西暦1861年1月13日)奏覧という設定で、 なんで万延元年かと言えば、良く覚えてないが、 安政の大獄があって桜田門外の変があった直後ということで、 たぶん水戸浪士の歌まで入れちゃおうという気分だったと思う。 ただし私が詠んだ歌は万延元年より当然後で、 選者である田中久三がその時代に生きているはずはないんだが(笑)、 そこはフィクションとして許してもらう。 むろん江戸時代に詠んだとしておかしくない歌だけを入れている。 なぜ孝明天皇にしたかというと、たまたま孝明天皇の御製集を読んでいた時期だったからとしか言いようがない。 最初は明治天皇が勅撰集を編纂したらという企画だったが、時代が新しすぎる。 だって石川啄木とか若山牧水とか与謝野晶子まで入ってきてもうわけわかんなくなる。 孝明天皇は万延の後、文久、元治、慶応と存命だったから、も少し後にずらすこともできた。 しかし、万延元年より下るともう完全な幕末維新となって、 有象無象な武士の歌が沸いてくる。 それも私には何か気持ち悪い気がする。 まあそれ… 続きを読む »

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とりよろふ

「とりよろふ」は万葉集に「大和には群山あれどとりよろふ天の香具山」という形でしかでてこない。 岩波古語辞典はあっさり「不詳。気持ちや生活のよりどころとする意か」とある。 「とりより」から派生したのは明らかであり、こちらは用例が多い。 原義は「手づるをつかんで近くに添うこと」、らしい。 「うつり」に反復・継続の接尾語「ひ」がついて「うつろひ」となるように、 「とりより」に「ひ」がついて「とりよろひ」。 そうしてみると、大和にはいろんな山があるが、 それらの山々がとりよろふ天の香具山、 つまり、大和の山々の中でも、中心的な位置、存在、代表であるところの天の香具山、 となるだろうか。天の香具山自体は、高くもなく、平凡な山であるが、その名の通りに何か特別な意味を持つ山である、 ということだろう。 > 忘れ草 忘れな草と とりよろふ 野の八千草に まどひぬるかな はて、これは誰の歌であったか。 あれ? わからんぞ。 あ、わかった。やはり自分で詠んだのだ。 > とりよろふ 天の香具山 よろづよに 見るとも飽かめや 天の香具山 宣長の歌だが、単なる枕詞のように使ってあるな。 > 日の本や こまもろこしと とりよろふ よろづの酒を 飲みてしやまむ これは私の歌なのだが。 こんな使い方していいのだろうか。 うーん。不適切な気がしてきた。

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秋成

秋成の擬古文は、宣長のような堅苦しさもなく、なめらかですばらしい。 > みかどに立てば、世をまつりごち、庵のどかに住みなしては、あまねく病に験ある薬を舐めわきて、 惻隠とかの心をいたせしとや。 「まつりごち」は「まつりごと」を活用させた語だが、源氏物語に出る。 「あまねく病にしるしある薬」とは酒のことであるらしい。 なんかしびれるな、こういうのを美文というのだろう。 やはり秋成はちゃんと読まねばならぬ。 馬琴とか春水とか京伝とかは差し置いてまず読まねばならぬ。 秋成は文法とか仮名遣いなどがやや乱調なのだが、そこもまた彼の味か。 秋成と宣長の長所を合わせれば完璧な擬古文ができあがるだろう。 源氏物語の文体を現代にそのまま復活させることはできない。 秋成や宣長の文体は近世なので、なんとか現代風にアレンジすれば、今でも使い物になるんじゃないか。 そのうちこのブログでも実践してみるか(笑) それはそうと、 しばらく酒を飲まずにいると低血圧になるようだ。 血圧計で測ってみてもそうだし、 朝寝起きが悪くなるし、 立ちくらみもする。 おそらくついでにコレステロール値も下がるのではないか。 毎日何キロも歩いてみたり、断食まがいのことをしてみても、あまり効果がなく、 結局酒をやめれば体調が良くなるということか。 血圧高い方が寝覚めも良いし活発に動けるが早死にする。 低血圧なくらいな方が長生きする。 … 続きを読む »

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連歌はつまらない、連歌が和歌をつまらなくした元凶ではないか。

知らぬことにわざわざ首を突っ込むのは危険なのだが、 なんとなく、 和歌をつまらなくしたのは連歌ではないか、と思い始めた。 秋成とか宣長とか真淵とか景樹とか蘆庵というのは、 やはり他の歌人たちとは何かが違う。 特に誰か一人と言えば秋成が良い。次に景樹か蘆庵だが、宣長の歌が私は好きだ。 契沖もやや面白い。 宣長と契沖は二人ともつまらぬ歌を大量に詠んだ人ということになっているが、 彼らよりつまらぬ歌人ならいくらでもいる。 秋成らは、自分も一生懸命良い歌を詠めば必然的に後世評価してもらえるのではないか、 名が残るのではないかと思えるくらい、 同時代の他の歌人と比べると、歴然と違う。 吉田兼好はかなりつまらない。 面白いエッセイを書くくせに見るべき歌はほとんどない。 ま、ある意味清少納言や紫式部もそうだが。 頓阿がまたつまらない。 一生懸命に彼の良い歌を探しているつもりがいっこう見つからない。 正徹と肖柏はわりと面白いが、 宗祇はかなり面白くなく、 藤原惺窩もつまらない。なんだこの人とか思う。 だが、細川幽斎や木下長嘯子や松永貞徳は割と面白い。 後水尾天皇は面白いが霊元天皇はつまらない。 霊元院は小説に書いたからなんか良い歌はなかろうかと探してみたがいっこうに見つからない。 田安宗武は良いのもあるが悪いやつの方が多い。こういう人は一番信用できない。 つまり、吉宗の息子だからというのもあるが、… 続きを読む »

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真白嶺と芝山

最近また和歌を詠もうと思いリハビリしてる。 > しもふさと むさしを分くる すみだ川 かへり見すれば 富士の真しらね と > しもふさと むさしを分くる すみだ川 かへり見すれば 富士の芝山 のどちらがよいか悩んでいる。 「真しらね」は「真白嶺」だが、どうも不思議と用例が少ない。 秋成の歌に > 箱根路の 雪踏み分けて 真しらねの ふじの高嶺を 空にみるかな というのがあるが「富士の真白嶺」とやった人はまだいないらしい。 かたや、「富士の芝山」というのは万葉集に出て、便利とみえて、その後もいろんな人が使っている。 加藤千蔭 > あづま路に まづくる春の 日の影を 雪に待ちとる 富士の芝山 > うらうらと 富士の芝山 霞む日に 田子の浦舟 ゆたに漕ぐみゆ 明治天皇の歌にも > あづまにと いそぐ船路の 波の上に うれしく見ゆる ふじの芝山 とあり、昭憲皇太后の歌にもあったはず。 どっちがいいかね。

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新撰萬葉集

最近書かれた記事らしい。これはすごい。 [新撰萬葉集](http://blog.goo.ne.jp/taketorinooyaji/e/4b3885fc912985be2e9f75b453195335)、 [新撰萬葉集 下](http://blog.goo.ne.jp/taketorinooyaji/e/a90bbc2df67dcfad96ffe3b271dc51c3)。 歌は、是貞親王家歌合と寛平御時后宮歌合を合わせたようなもので、 それに、大して良いできとは思えない七言絶句がついている。 そりゃそうと [和歌データベース](http://tois.nichibun.ac.jp/database/html2/waka/waka_kigo_search.html) が落ちてるっぽいんだが、 なんとかしてくれ。 なんだ、 [メンテナンス中](http://www.nichibun.ac.jp/ja/announce/side/2014/03/22/s001/index.html) なのか。 びびったわ。 違う、こっちだ。 [2014年3月19日 保守作業に伴うDB停止のお知らせ](http://www.nichibun.ac.jp/ja/announce/side/2014/03/19/s001/index.html) [寛平御時后宮歌合](http://blog.goo.ne.jp… 続きを読む »

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