楠公別子図

頼山陽詩集など読んでいると、「楠公別子図」という題で「海甸の陰風、草木腥し」というのがある。
乃木将軍の「山川草木転た荒涼、十里風腥し新戦場」によくにている。
ちょっと驚いた。乃木希典が頼山陽の詩を読んでないわけがなく本歌取りのようなものか。
そう思って読むと乃木将軍の詩は頼山陽に比べると軽いというか、新聞の三行広告的というか、明治の軍人的な勇ましさがみえるように思えてくる。
郭沫若が「日本人が作った漢詩の最高傑作である」と絶賛したそうだが、さて。
私もずっとそういうもんかと思っていたが。
そうしてみていくと「金州城外立斜陽」の辺りも菅茶山「送別」の中の「斜陽満古城」から来ているのかと疑われるくらいだ。

「嗚呼忠臣楠氏之墓」と言ったのは、頼山陽の詩ではなく、明朝の儒学者・朱瞬水で題字は水戸光圀だったのだな。