深読みとオカルト

> 江戸時代には、和歌の家には、堂上と地下という区別が付けられていた。和歌の用語で、堂上とは、宮中に参内する資格を持つ公家がいて、その中で和歌を詠むのを家業としている公家の流派を言う。当時、どの公家がどの家業を受け持つかということが厳しく決められており、それは世襲だった。笛の家、琴の家、琵琶の家、能の家、歌道の家、書道の家と決まっていた。堂上以外の公家や武家や町人はみないっしょくたに地下と呼ばれた。堂上には「古今伝授」という秘伝が代々伝承されており、これの免許皆伝でなくては流派を継げない。

> 古今伝授とはようするに『古今集』の序文や歌の解釈の秘密を流派ごとに独占的に伝授したものだ。たとえば「 百千鳥ももちどり」という言葉がある。これにはいくつもの解釈があって、普通は「何百何千というさまざまな鳥」、つまり何か特定の鳥を言うのではなく、種々雑多なたくさん群れている鳥のことを言うと考える。しかし、たとえば堂上のある流派はこれを「百匹の千鳥」と解釈する。またその「千鳥」も「シロチドリ」だとか「メダイチドリ」だとか、いわゆる普通のチドリ目チドリ科の千鳥ではなくて、古来は別の種類の鳥を指していたのだ、などと独自の解釈をする。こうして、歌に詠まれるさまざまな言葉を故意に「深読み」し、歌ごとにそれぞれ独特の解釈をして、それが一般人の知るよしもない極意であるとした、いわば「オカルト」「疑似科学」的なものである。契沖や本居宣長などの国学者が古文辞学的に解明したように、そのような解釈は藤原定家やまして紀貫之の時代には存在しておらず、戦国の動乱期に捏造されたものであって、なんら根拠はないのである。

これは、[歌詠みに与ふる物語](http://p.booklog.jp/book/33114)の中の、有料でしか読めない部分に書いたことだが、
「古今伝授」というものは江戸時代まで続いた。
その後、世の中では「和歌」を「短歌」と呼び変えるようになり、「古今伝授」などという古めかしいものも絶えてしまったかのように思われている。

しかし、今の文芸評論というものも、意味不明の深読みをありがたがる、
深読みに深読みを重ねて、自分の世界に行ってしまって帰ってこない、
という点においてはオカルトと何ら変わりない、
と思うことがしばしばある。
新古今から室町末期の正徹辺りまでの和歌を論じるときに、その傾向が強い。
というのは、古今までの和歌というのはシンプルでわかりやすかった。
江戸も末期になってくると、香川景樹とか小沢廬庵、良寛のように、わかりやすい歌が現れる。
しかし、新古今以後の勅撰集の和歌は、歌そのものはともかくとして、それに対して語られる歌論がわけわからん。
つまらん歌にくどくどと理屈をこねているだけとしか思えない。
そんな歌よりも面白いものは江戸時代の文人の歌にいくらでもある。

江戸時代の一部の文人たちは、自分たちの時代の、「現代的」な歌を作り出そうと努力した。
一方で、和歌というものがわからなくなった連中は、過去にこそ真の、究極の歌があるのだ、和歌は死んだ、
和歌は公家社会とともに、応仁の乱の劫火に焼かれて死んだ、などと主張して、
ますますわけのわからぬ、ロジックとも信仰告白ともつかぬ理屈をこねくり回すようになった。
現代とまったく同じだ。

だいたい、和歌を鑑賞するのに、その詞書きや本歌や、いわゆる王朝サロン固有の解釈、などというものを知らねば、
本当には味わいがたい、などと言っているのは、「古今伝授」とまったく同じ論法であって、
そんなもので素人をけむにまいておもしろがっているのではないか、としか思えない。

意味のよくわからない歌というのは、何かの歌合の題詠であったり、絵に付ける画賛であったりする。
そういうものは、一応プロがきちんと調べて解説を加えなくてはわからん。
だが、題詠であろうと、画賛であろうと、そのまま鑑賞してみて、それなりにおもしろみのあるものでなければ意味はない。
そのままで面白いものが、その由来を聞いてみてさらにおもしろみが増すとか、理解が深まるとか、そういうものであり、
だから普通に素人は、そのまま読んで面白いものを愛好しておればよろしいのだ。
ただそれだけのことだ。
いらん格付けをされても迷惑だ。

江戸時代の景樹、廬庵、良寛の歌ではなぜいけないのか、「新続古今」とか「新後拾遺」とか、
そんな「糟粕の糟粕の糟粕の糟粕ばかり」舐めているようなことをして何が楽しいのか、と思ってしまう。

『歌詠みに与ふる物語』を有料にしているのは、歌論など無料にしてもどうせ読んでもらえないと思っているからだ。
読めば十分わかると思うが、読んで分かる人がいるとも思えない。
読んでもらえない、読んでも理解できない評論をわざわざ書く趣味はないのだが。

photoshop esc

putty-jp でリモートログインして vi いじってたら、escキーが効かないことに気付く。
はて、escキーが効かないぞ、壊れたかなとキーボードをつなぎ変えてみたのだが、やはりだめ。
putty-jp のせいだろうかと escキーを使うソフトを他に考えてみると、word でコピペしたときのバルーンみたいのを消すのに使うなと思い、
word 2010 を起動してみるが、やはり esc が使えない。

で、原因は photoshop のせいだった。なんと photoshop 起動中には esc が使えなくなる。

photoshop cs2 + windows vista。

Autodeskのサイトのフォーラムで、
[Photoshop Causes ESC Key to stop working in Revit Arch 2011 & 2012](http://forums.autodesk.com/t5/Autodesk-Revit-Architecture/Photoshop-Causes-ESC-Key-to-stop-working-in-Revit-Arch-2011-amp/td-p/3014258)
などとある。

> I believe this was a known problem with Photoshop that was fixed in version CS5

うざい。CS5にしろとか。
他にも日本語のフォーラムでちょくちょくみかける。
はげしくうざい。

psvita

iphone や android や ipad や tablet などは買う気がしなかったので、
psvita wifi モデルを買ってみたんだがね。
完成度がいまいちだよね。

psp も持っているのだが、主に用途は mp3 を聞くため。ごく希にゲームをやることもあった。
ゲームはサルゲッチュか塊魂くらい。
ゲーム機として使う気は最初からなかった。
買ってみて思ったが ipad や tablet pc よりは小さいが、
psp やスマホよりはでかい。
psp とほとんど同じ大きさかと思ってたが違った。
でも、このくらいでかい方が文字が打ちやすくて良いとは言える。

mp3 の転送にめっちゃ時間がかかる。32GB のメモリを買ったせいでもあるが。
psp の頃はせいぜい 4GB どまりだった。
mp3 を削除しようとすると途中で固まる。困るんだよなあ。

どうも、先にハードウェアをリリースしておいて、
ファームウェアは随時更新、ソフトは随時投入という戦略らしいからなあ。
まあ、psp も2台買ったし。
ハードも買い換える必要があるかも。
iphone や ipod ユーザだって買い換えてるだろ。
お互い様だよな(笑)。

しかし、良い時代になったよな。
クラシック曲なんてネットからダウンロードし放題。
思うに、やはり遅く生まれれば生まれるほど得だよな。
医療技術は進むし。
歯医者に通ったり病気に罹る確率は明らかに減る。
年金や医療費で老人に搾取されて若干貧しい生活を強いられるとしても、やはり若い人の方が恵まれている、
と言えば言えないか。

で、思うのだが、WiMAX ルータを1台持っておき、
タブレットとノートPCと携帯を使い分けるのが一番合理的だと思うんだ。
タブレットはvitaでも可。
携帯はできればWiFiにして欲しいよなあ。
通話機能だけで十分なんだけど。

家政婦のミタ

『家政婦のミタ』を、私は実際に見たのでなく、wikipedia で読んだだけなのだが、普通のテレビドラマにしては異様にストーリーが複雑なのに驚く。
これは『家政婦は見た!』という先行するテレビドラマシリーズのオマージュであり、
さらに『家政婦は見た!』には松本清張の原作『熱い空気』(1963年)があるという。
つまり、いわゆる「家政婦モノ」というドラマのジャンルの集大成であり、
ある意味で、アニメ界のエヴァのような作品なのかもしれない。

wikipedia を読んだだけで判断するのもどうかと思うが、しかし、シナリオというのは別に配役が決まって映像化すればわかるというものでもない。
プロットだけを判断するには十分だとしてだな。
これはただ一人の作家が書けるようなシナリオではないのだろう。
多くの人のこだわりが凝縮したものなのだ。
だから傑作となり得たのだろう。

一方で、普通のテレビドラマがどれほど適当に作られているかがわかるというものだ。
普通のテレビドラマがなぜつまらないか、
面白いドラマを作ればちゃんと視聴率が取れるのだ、ということが如実にわかった現象だと言える。

Turin と Trino

1849年のノヴァーラの戦いを調べていたのだが、ピエモンテには Turin (州都)のほかに Trino という地名もある。
紛らわしい。実に紛らわしい。特にイタリア語で Turin は Torino と書く。ほとんど同じではないか。

セルジューク戦記主な登場人物

[主な登場人物](http://p.booklog.jp/book/32947/page/805486)は書きかけて放っておいたのだが、とりあえず書いてみた。『セルジューク戦記』は今のところ私の書いたものの中ではもっとも複雑な話で、自分でももう忘れていた。

これとは別にセルジューク族の系譜があり、それらを併せると百人は軽く超える。登場人物をみんな数えたら(名前の出てこない人や参照されているだけの歴史上の人物なども入れて)二百人はいくだろうと思う。むちゃくちゃ話を広げたからな。

ガエータ、ナポリ、カプアなどの地名が出てくるのだが、それも忘れていた(笑)。

ポー川

ふと地図を眺めていて気付いたのだが、オーストリアのギュライ軍は、ポー川が氾濫して水田が水浸しになったから、
ノヴァーラで足止めを食ったのではない。
なぜかというに、ミラノからトリノまでは、ポー川を渡らなくてもたどり着くことができるからだ。
ギュライが渡れなかったのは、ノヴァーラとヴェルチェッリの間に流れている、
ポー川の支流のセージア川でなくてはならない。

また、水田が水浸しになったのは、ピエモンテ軍がわざと川を決壊させていたからだ。
おそらくピエモンテ軍は大雨で水かさが増しているのを知っていて、オーストリア軍を挑発したのだろう。
或いは、四月から五月にかけて、アルプスの雪解け水で、田んぼは勝手に水であふれるのかもしれん。
ピエモンテ側では予測の範囲内ではなかったか。

それから、ナポリとテアーノとガエータの位置が間違っていたので、直す。
いじりまくりだな。

ピエモンテの鉄道

[Turin–Genoa railway](http://en.wikipedia.org/wiki/Turin%E2%80%93Genoa_railway)によれば、トリノからジェノヴァまでの路線は、
国費によって1853年に完成している。

[Turin–Modane railway](http://en.wikipedia.org/wiki/Turin%E2%80%93Modane_railway)によれば、スーザからトリノまでの路線も、
1854年には完成している。

[アレッサンドリア駅](http://en.wikipedia.org/wiki/Alessandria_railway_station)は1850年に開業している。

[カザーレ駅](http://en.wikipedia.org/wiki/Casale_Monferrato_railway_station)は1857年に開業している。

[ノヴァーラ駅](http://en.wikipedia.org/wiki/Novara_railway_station)は1854年に開通している。

[ヴェルチェッリ駅](http://en.wikipedia.org/wiki/Vercelli_railway_station)は1856年に開通している。

ナポレオン三世は、スーザからアレッサンドリアまで来たのだろうか。
船でジェノヴァまで来て、そこから鉄道でアレッサンドリアまで来たのかもしれない。
どちらかわからん。
おそらくフランス軍はその両方から来たのだと思う。だから、アレッサンドリアが集結地に選ばれたのだ。