惜花
> つれづれと もの思ふことも 忘れけり いくかもあらじ 花を見る間は
> とまれかし 春こそかぎり ありとても 花は日かずを さだめやはする
> いくばくも あらぬさくらの 花ざかり 雨な降りそね 風な吹きそね
> いかばかり 憂き世なりとも 桜花 咲きて散らずば もの思ひなし
> ひたすらに たれうきものと 歎くらむ 春は桜の 花も見る世を
> 桜無き こまもろこしの 国人は 春とて何に 心やるらむ
> 散りがたの 昨日の嵐 けふの雨 いかでか花の たへて残らむ
> さくら花 うれしくもあるか この夕べ 嵐にかへて 小雨そぼふる
> 都べは なべてにしきと なりにけり 桜を折らぬ 人しなければ
散花
> 散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世に何か 久しかるべき
> うぐひすの 鳴くなる宿に 来てみれば 雪とのみ散る やまざくらかな
> うつろふや 今年は花に さき立ちて 散るをば見じと 思ひしものを
> さくら花 花見がてらに 弓いれば ともの響きに 花ぞ散りける
> 残り無き 我が世の春に くらぶれば 散りたる花は すくなかりけり
> 世の中は かくぞかなしき 山ざくら 散りしかげには 寄る人もなし
> 花はみな 散りはてにけり 今よりは 何にまぎれて 春をすぐさむ
> 恨みても かひこそなけれ ゆく春の 帰るかたをば そこと知らねば
> 散りまがふ 花に心の あくがれて 分け入る山の ほども覚えず
浮かれ心
> よしやまた まれなる花の ひと盛り 浮かるる身をも 人な咎めそ
> ひとたびは とへかし宿の 桜花 浮かるるほどの 色はなくとも
> 昔より 神も諫めぬ わざならし 花に浮かるる 春の心は
> 春の野の うかれ心は 果てもなし とまれと言ひし 蝶はとまりぬ
柳
> 青柳に けさ吹く風に 心あらば ことしは花も 乱さざらなむ
> 春風に 身をまかせたる 青柳の 心はいかに のどけかるらむ
> 夕暮れの 春風ゆるみ しだりそむる 柳がすゑは うごくともなし
> 末たるる 柳のいとを つたふ雨の しづくも長き 春の日ぐらし
> ふるさとの 池の堤の 柳原 さすがに春は 忘れざりけり
> 年へたる 鶴の岡べの 柳原 青みにけりな 春のしるしに
> 春きぬと 柳の糸は なびけども くる人もなき 宿のしづけさ
> 都辺は ちまたの柳 園の梅 かへり見多き 春になりけり
> 手弱女の 夜戸出の姿 思ほえて 眉より青き 玉柳かな
> 春雨に 玉ぬく柳 風吹けば 一かたならず 露ぞこぼるる
> そのにほひ その色としも なけれども 春の柳は なつかしきかな
> 大寺の 門辺に立てる 古柳 土掃くまでに 枝は垂れにけり
> 九重も 近くやなりぬ 道広き ゆくてにもゆる 春の青柳
ひな祭り
> をとめごが かしづくみれば いもとせの 紙ひひなとぞ いふべかりける
節分
> 家ごとに なやらふ声ぞ 聞こゆなる いづくに鬼は すだくなるらむ
桃
> 世ばなれて のどかにすめる 山水に このごろ桃の 花も浮かべり
苗代水
> しづの女が 袖うちぬらし 苗代に 水せきかへす 春の小山田
> 苗代の 水の蛙も 釣るばかり 門田の柳 いとたれてける
> せき入るる 水にも花は 流れけり 春のどかなる 小田の苗代
> しめはへし 苗代小田に かげ見えて 年ふる塚の 花も咲きけり
> 仇守る 飛火絶えにし 春日野に ただ新草の もゆるをぞ見る
> 老いまさる ことをいとひし きのふをも もの忘れして 春ののどけさ
> 野も山も かすみこめたる 大空に あらはれわたる 春の色かな
> いづくより 夜の夢路を たどり来し 深山は未だ 雪の深きに
> かすみ立つ 長き春日に 子供らと 手まりつきつつ この日暮らしつ
> この里に 手まりつきつつ 子供らと 遊ぶ春日は くれずとも良し
> この宮の 杜の木したに 子供らと 遊ぶ春日に なりにけらしも
> これぞこの ほとけの道に 遊びつつ つくや尽きせぬ みのりなるらむ
> つきてみよ ひふみよいむなや ここのとを とをとおさめて またはじまるを
> 霞立つ 春野のひばり 何しかも 思ひあがりて ねをや鳴くらむ
> 分けみれば おのがさまざま 花ぞ咲く ひとつ緑の 野べの小草も
山吹
> 山吹の 花ぞひとむら 流れける いかだのさをや 岸に触れけむ
> 棹ふれし 筏は一瀬 過ぎながら なほ影なびく 山吹の花
麦
> すくすくと 生ひたつ麦に 腹すりて つばめ飛び来る 春の山はた
蛤
> いづくにか わが身来ぬると 思ふらむ 市にまろべる 奈多の蛤
燕
> あはれにも のきばの燕 来鳴くなり 去年も巣かけし 宿を尋ねて
> 葉も青く はちすの花の さかりにて 燕飛ひかふ 池の涼しさ
> 語らはむ 友にもあらぬ 燕すら 遠く来たるは うれしかりけり
つつじ
> 明日からは 行き来の人も かざすらむ 岡辺のつつじ 今盛りなり
> 山風に 咲けるつつじは 佐保姫に たが脱ぎかけし ゆるし色かも
> 片岡の 道の小寺の つつじ垣 ほろほろ散りて 人影もなし
惜春
> かかるとき あらじと思へば ひととせを すべては春に なすよしもがな
> その方と 行方知らるる 春ならば せきすゑてまし 春日野の原
> 世の中は 暮れゆく春の 末なれや 昨日は花の 盛りとか見し
> 世の中を 歎く涙は 尽きもせで 春は限りに なりにけるかな
> これやその わかれとかいふ 文字ならん 空にむなしき 春のかりがね
> 今ひと日 あらましかばと 思ふにも 春のかぎりの 雨ぞかなしき
> 飽かで散る 花のまぎれに 別れにし 人をばいつの 春かまた見む
いかばかり 今年は春の 惜しみけむ 惜しみなれにし 人の別れを
真淵
足柄の 関の山路を 越えくれば 夏ぞ桜は 盛りなりける