デーテ 13. 都会の仕事

 母が亡くなった夏、 フランクフルトから、今お勤めしているシュミットさんのご一家が、はるばる汽車を乗り継いでラガーツに保養に来られたのよ。ご当主のシュミットさんと奥様とご子息。また、シュミットさんの伯母で、ゼーゼマン家に嫁いだゼーゼマン夫人。

 あなた、新聞記者だから、シュミットさんやゼーゼマンさんたちの御一家のをことを詳しく知りたいでしょ。私がしゃべったって言わなきゃ教えてあげるわ。

 昔、シュミットさんのお父さんやその兄弟たちは、まだこれからという若さで、癌を患ったり結核に侵されたりして亡くなってしまった。残された子供たちはまだ若い。

 ゼーゼマン夫人の旦那様もやはり貿易先のニューギニアでマラリアに罹って亡くなってしまった。ゼーゼマン夫人にはたった一人の息子、ゼーゼマンさんがいらっしゃったけど、この子もまだ若い。

 それでシュミット家とゼーゼマン家の長となったゼーゼマン夫人は、残された就学中の子供らを養育して、大学を卒業するまで面倒をみて、シュミット家とゼーゼマン家の合弁会社を作り、それを今日の規模まで大きくした。つまり、シュミット・ゼーゼマン・ニューギニア商会はゼーゼマン夫人お一人で作り上げたようなものなの。ほんとうにゼーゼマン夫人は、男まさりの活動家で、商才のある方だと思う。そのかわり、いつもドイツ中、鉄道でせわしなく移動していらっしゃるのだけどね。

 実際、今のドイツというところは、いろんな新しい産業が興ってきて、どんな仕事を始めても面白いように儲けが出て、おばあさまのような人にとって、一代で財を成す絶好の機会に恵まれた国だと思うわ。

 ゼーゼマンさんも、シュミットさんも、統一ドイツの恩恵をうけて、ここ十年か十五年くらいの間に急に富裕になられたのよ。もともとフランクフルトはドイツ同盟経済圏の商品流通の拠点で、ここで商社を営んでらしたのだけど、ドイツが統一されてから、にわかに植民地経営が盛んになって、ハノーファー王国のハンブルクやブレーメンなどの、北海に外港を持つ町に支社を構えて、アフリカやニューギニアなどにドイツが新たに獲得した植民地や、さらにアジアの中国やインド、日本などとも船便で交易するようになった。

 今ではシュミットさんもゼーゼマンさんも立派に成長なさってそれぞれ仕事を継いでおられるので、ゼーゼマン夫人は、自分は自分で、好きな仕事をしたり旅行をしたりして、あまりフランクフルトの屋敷には居着かないで、悠々自適に暮らしていらっしゃる。

たまたまラガーツに保養所が開設したというのを聞き及んで、こちらまで甥のシュミットさん家族を連れて遊びにいらしたの。

 私がそのシュミット家の人たちの担当になってお世話してあげたらゼーゼマン夫人に気に入られちゃって、「あなたのようによく気がついて働き者の女性を是非うちで雇いたい、フランクフルトの屋敷で家政婦として働いてくれ」と言われたの。フランクフルトと言えばドイツ一の、いや世界一の大商業都市よ。私も山育ちで噂だけはいろいろ聞いていたけど、自分がそんなところに行くことになるとは、考えたことさえなかったわ。

 去年、ゼーゼマン夫人にお誘いを受けたときは、ラガーツの旅館に住み込みで働き始めたばかりで、ご奉公の支度金をだいぶ前借りしていたものだから、急には辞められなかったのだけど、その翌年の夏にもゼーゼマン夫人がまた温泉にきて、今度こそは一緒に来てくれっておっしゃるの。お給金も何倍にも増えるし、そもそもこんな田舎の湯治場で仲居の仕事なんかしてるよりは、ずっと楽しい暮らしができるよって。そのころには私も、こちらで借りていたお金をすっかり精算できるめどがたっていたの。やっと運が巡ってきたと思ったわ。

 でも、気がかりなのはハイディのことだった。私はゼーゼマン夫人に言ったの、「私にはハイディという姪がいて、その子を養わなくてはならないから、その子も一緒にフランクフルトに連れてきてもよろしいでしょうか、」って。

 そしたら、「一人子供が付いてくるくらいわけのないことだが、その子には他に身よりはないのかい、」と。

 私はお答えしましたわ。「祖父が一人おります、私の義理の叔父にあたります、」と。

 「そんならその子はそのおじいさんに育ててもらえばよい、あなたもいつまでもコブ付きだと、婚期を逃してしまうよ、おじいさんなんてのは、老い先短いのだから、孫娘の相手でもしているのがちょうどよい。あなた自身のためにも、その娘さんのためにも、そうした方がよい。その方があなたもばりばり仕事ができ、楽しく遊べて絶対良いから、」と。

 でまあ、私も生まれてずっと地味な山里暮らしをしていたから考え方もちぢこまってひっこみ思案になってしまっていたのだと思うけど、まあアルムおじさんに今更子育てなんてできるのかしらと不安もあったけど、ゼーゼマン夫人のおっしゃることはまったくもっともだと思った。ハイディは五才になってだいぶ世の中の物事も理解できるようになっていることだし。ハイディの実の祖父で、トビアスの父の、アルムおじさんがハイディの一番近い身寄りなのだから、もともとおじさんが養うべきだったのよ。これ以上私ばかりが苦労を背負い込むのは不公平というものだわ。おじさんも親族としての責任を自覚すべきよ。そんなふうに思えるようになった。

 デルフリの親戚や友達には大反対された。身内を捨て故郷を捨てて都会暮らしするってことが、田舎娘たちには理解できないのよね。特に、こちらの村に嫁入りしたばかりで、まだなんにも知らないバルベルという人には。あんないたいけな子を偏屈爺のところに置き去りにするなんて、あまりにもひどい仕打ちだなんて言われたけど。いったい何がわかるというのよ。人のうちの事情なんて、所詮他人様にはわからないものよ。

 アルムおじさんにも、もう顔を見せるなとまで言われたけど、姪のハイディのことを忘れたわけじゃなかったわ。だって私がもっと稼いでお金持ちになった方がハイディに良い思いをさせてあげられるし、落ち着いたらアルムおじさんのところから引き取ってまた面倒をみてあげようと思っていたの。

 そうして、ハイディを預けて、もとから少ない財産はすべて処分して、単身フランクフルトに移り住んだのよ。

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