アミオダロンというのはアンカロンという薬のジェネリックで、
そのアミオダロンを以前は1日2錠飲んでいたが、
甲状腺ホルモンが異常になったので、
つまりアミオダロンにはヨードが含まれていてヨードを過剰摂取すると甲状腺がやられて、
甲状腺炎になってしまう(バセドー病みたいなものらしい)らしいんで、
1日1錠に減らした。

アミオダロンは心室細動や心房細動を抑える薬で、
以前は1錠飲んでいたこともあったが2錠にすると
BNP(心臓に負担がかかると出てくるホルモン)
の値がとても小さく(つまり正常に)なり、心房細動もほとんど出なくなる。
でアミオダロンを減らしたので BNP はまた増えて、ほぼ常時心房細動が出るようになった。
心房細動は30歳頃の健康診断でも出てたことがあるので、
たぶん出たり出なかったり、ずっと昔からそういう調子で、
年をとるほど出る、そんな体なのだろう。
だから私は(戦争になって供給が絶えて)
アミオダロンを飲まないと心室細動を再発して死んでしまうのだろう。
心房細動は命に別状はない。ただ血の流れがよどんで血栓ができやすくなるので(血栓が脳の血管に詰まると脳梗塞になる)、
血を固まりにくくする薬を飲まなきゃならない。
ワーファリンとかがそれだ。しかしワーファリンは納豆が食えなくなる(納豆に多く含まれるビタミンKがワーファリンを効かなくする)ので、イグザレルドという新薬に替えてもらった。
そのせいか採血をするときにときどき血が止まらなくなる。
私の周りではそんな人はあまり見ない。
今までは脱脂綿で五分押さえるだけだったのだが、
今度から包帯を巻かれることになってしまった。

心室細動は致死性のもので何の前触れもなくいきなりくる。
アミオダロン1日1錠でも心室細動は一度もおきてないので、
仕方なくアミオダロンは1錠で済ませている。

私はICDを入れられてしまったのだが(その話は「安藤レイ」に書いた通り)、
免許の更新に行ったら、ICD を入れている人は、
半年に一回診断書を出さなきゃいけないと言われ、
病院に通う上に警察署にも通わなきゃならんのはめんどくさいので、
それにそもそもいつか乗ることもあるかもしれんが普段はまったく運転せず、
車も持ってないので、
「運転経歴証明書」というものに替えた。
つまり私はもう車の免許をもってないから車には乗れなくなってしまった(取り直せば乗れるわけだが、そんなめんどくさいことはするまい)。
とりあえずしばらく身分証はこれでもたせてそのうちパスポートを取って期限切れしないようにする。

24時間ホルターというので心電図を取られたのだけど、
心房細動は心電図に細かなノイズが入るのかというとそういうわけではなく、
1分間に400回くらい心臓を拍動させようするのだが、心臓はそれを適当に間引いて、
適性な心拍数にする機能があって、
それは私の場合今のところ正常に働いている。
ところが適当に間引いた心拍というのは間隔がランダムになるのでそれが心房細動。
心臓がほんとに1分間に数百回も拍動してしまうのが心室細動。
心拍が速すぎて血管が心臓から出ていかなくなるから要するに心臓が止まったのと同じ状態になる。
心室細動は AED で直る(ことがある)。
体に埋め込んだ AED が ICD。

心拍の間が空きすぎるときには ICD がペースメーカーの役割をしてペーシングしてくれる。
ICD はペースメーカーを兼ねているのだが、私の場合は、
ペーシングが常時作動しているのではないのだが、夜寝ている間に心拍数が50よりか下がってる時があって、そのときペーシングが起きているのが、ホルターの心電図に記録されていた。
今まで一度も ICD は作動(除細動器として心臓に強い電気ショックを与える)してないのだが、
ペーシングはたまに起きていたのだなあとあきれた。
アミオダロンを2錠飲んで心房細動を止めればその必要もないのだが、
また甲状腺炎にはなりたくないし、いろいろ難しい。
結局機械と薬の両方に頼ってバランスをとっていくしかないらしい。
まったくとんだ重病人だ。

フローニの墓

訳者は著者ではないので作品をずけずけと批評できる立場にいる一人であるはずだが、私の場合「フローニ」を「ハイディ」の謎解きのために無理やり訳し、それでもまだ謎が解けきれないから続く数編も訳して読んでみたので、純粋に「フローニ」という作品を読んだとは言えないかもしれない。

「ハイディ」をある程度知ってはいるが深くは知らない普通の人に「フローニ」を読んでもらうと、だいたい同じような印象を持つようだ。
つまり、ストーリーは別に面白くはない、しかし、文章にある独特の雰囲気があって、なぜか最後まで読んでしまう、と(ストーリーは面白くなく独特の雰囲気はあるが最後まで読む気にならないものは、ありがちだが、単につまらないということよね)。

その独特の雰囲気というのは明らかに訳者である私の文体のせいではない。
逆に私がそのヨハンナの独特の言い回しの影響をうけた、のは確かだ。
もちろん私もそれに気付いてはいたが、うまく表現できない。
しかし周りの人も同じようなことに気付いているとすれば、やはりそこが「フローニ」のおもしろさであって、もしかすると私は宝石の原石を見つけたのじゃないか、という気にもなる。
その雰囲気というのは当然「ハイディ」にもあるんだが、アニメにも表れてはいるが、残念ながら十分に表現されているとは言えないと思う。
その雰囲気というのはアルムおじさんやデーテのあたりに濃厚にただよっていて、つまりそれらのキャラクターに何らかの実在のモデルがいることを暗示しているのだ。
そしてそのモデルを作中に描写するときにヨハンナは奇妙な、達者というよりはぎくしゃくした表現をして、そこが何かしらの味になっている、と思う。

> man ihr das Äußerste in dieser Richtung hätte zutrauen können, wenn nicht die schelmischen Mundwinkel von unten herauf sich wie darüber moquirt hätten.

たとえばフローニの容貌を描写しているこのとても訳しにくい部分。
特に moquiren という単語がわからんし(ラテン系の言葉をドイツ語の動詞化したものだが、調べてもわからん。しかたなく口がへの字に曲がってると訳した)、
das Äußerste in dieser Richtung
もよくわからん(目が賢そうなわりに鼻がとても純朴で、その印象がちぐはぐだ、ってことを言いたいらしいのはなんとなくわかる)。
あるいは

> Drüben standen die dunkeln Felsenspitzen des Pilatusberges auf dem lichten Abendhimmel, und die Hügel umher lagen so lockend grün im Abendschein.

「ピラトゥス山の薄暗い断崖絶壁が明るい夕空の上に浮かび、夕焼けの中、心があこがれるような緑色の丘があたりに横たわっていた」
などのような自然描写。
so lockend grün は「心があこがれるような緑色」とでも訳すしかないではないか。

しかしながらヨハンナの作品にはとても退屈なものも混じっていて、そういうものにはたぶんそういう何か屈折した、「魔法をかけるような」描写が盛られてないのだろうと思う。

世の中にはチェックとストライプのシャツが溢れかえっており、
それ以外の柄の襟付きのシャツというのはほとんどないか、あっても高い。
とにかくもう絶対チェックとストライプのシャツは着ないぞと思えば、
6千円とか7千円とか、或いはうん万円のシャツを買うしかない。
あるいは、古着であろうか。
なんでこんなことになってしまっているのだろうか。

まともかく年齢的にも立場的にもTシャツばかり着るわけにはいかないので、
襟付きのシャツが必要だな、チェックみたいにださくなく、
ストライプみたいにありきたりじゃないやつが着たい、と思うがそれには金がかかる。

それで実家に眠っていた父の服をサルベージしたのだが、
そのほとんどがチェックでもなくストライプでもなく、
今時どこにも売ってないような柄の服ばかりであり、
一生かかっても着つぶせないくらい大量に出て来た。
時代が違うというのもあるのだろうが、いったいどこでこんな服を買ったのだろう、
どこでこんな服が売られていたのだろう。
そしてなぜ現代ではこれらの服はまったく作られなくなったのだろう。
非常に不思議だ。
ともかくこれだけのシャツを今買うとしたら数十万円はする。

シャツだけでなくズボンにも金がかかる。
ズボンはジーパンはいとけば安くで済むが、
ズボンも実家から送ってもらうことにした。
金がかからないのは良いことだ。
ズボンのほうが消耗が速いからいくらあっても困らない。
シャツはさすがに置き場に困る。

国を救った数学少女

まあまあ面白い。
特に出だしのノンベコの話は面白いが、
突然スウェーデン人の話に切り替わり、
交互にストーリーが進展していく。
まあそれも最初のうちは我慢して読んでいたが、
だんだんに話が拡散して行く。
鄧小平やブレジネフやカーターが出てくるあたりで飽きる。
なんだ何でもアリのどたばたものかと。
それが面白いと思える人には良いのかしれんが。
私としては南アフリカ共和国の話で完結しててネルソン・マンデラが大統領になるあたりで終わってれば(そしてそういう歴史的経緯がきちんと描かれていれば)良かった。
いろんなことつまみ食いなんかしたくなかった。

著者はスウェーデン人のようだがスウェーデンの話が特につまらない。
中国人とかその他もろもろの話も一応最後で伏線回収されるのだが、
いろんなことを書きすぎて、だんだんにネタバレしてきて、
西洋人視点の支離滅裂なごたくが並べてあるだけに見えてくる。
西洋人は帝国主義やら植民地支配やら人種差別を今は反省していると必死に言いつくろっているようで、逆にそれが嫌みに感じる。

まあともかく悪い本ではない。
世の中の本がどれもこれくらい面白ければ退屈しのぎに困ることはないのにと思う。
「火星の人」もそれなりに楽しめたし。
こういうエンタメ系の小説で面白いのが、
日本の作品にはまるでない。
まるで思いつかない。

カーリルで検索してみても、所蔵館の多さにしても何にしても、比較的最近の本であるせいもあるのか、貸し出し中ばかりですべてにおいてすごい。

The Girl Who Saved the King of Sweden は普通に訳せば「スウェーデン王を救った少女」となるはずだが「国を救った数学少女」と訳したのはどうだろうか。
どちらにしてもあまり話の内容を反映してないが、余計わからなくしているように思える。

ついでだが、「サハラ」という映画が少し面白かった。
これまたタイトルからはまったく予想の付かない内容だった。
雰囲気は「国を救った数学少女」に似ている。
こういうのが流行っているのだろうか。いや、そんなはずはないが。

e-rara Johanna Spyri 文献

初版の年ではなくて実際に出版された年の順

## Bremen : C. Ed. Müller’s Verlagsbuchhandlung

* [Ihrer Keines vergessen / von der Verfasserin von: «Ein Blatt auf Vrony’s Grab»](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-17066) 1873 彼らの誰も忘れない
* [Verirrt und gefunden / von der Verfasserin von “Ein Blatt auf Vrony’s Grab”](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16661) Zweite Auflage, 1882 迷い出て、そして見出されて
* [Ein Blatt auf Vrony’s Grab : Erzählung](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16597) Vierte Auflage, 1883 フローニの墓に一言

## Gotha: Friedrich Andreas Perthes

* [Heimathlos : Zwei Geschichten für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben / Von der Verfasserin von “Ein Blatt auf Vrony’s Grab”](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16705) 1878 故郷を失って
* [Verschollen, nicht vergessen : Ein Erlebniss meinen guten Freundinnen, den jungen Mädchen / erzählt von der Verfasserin von “Ein Blatt auf Vronys Grab” etc.](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16711) 1879 失踪したが忘れない
* [Aus Nah und Fern : Noch zwei Geschichten für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben / Von der Verfasserin von “Ein Blatt auf Vrony’s Grab](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16706) 1879 近く、そして遠くから
* [Aus unserem Lande : Noch zwei Geschichten für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16713) 1880
* [Im Rhonethal](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16645) 1880 私たちの国から
* [Heidi’s Lehr- und Wanderjahre : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben / Von der Verfasserin von “Ein Blatt auf Vrony’s Grab”](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16704) 1880 ハイディの学びと放浪時代
* [Ein Landaufenthalt von Onkel Titus : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16673) 1881 ティトゥス叔父さんの滞在
* [Heidi kann brauchen, was es gelernt hat : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16913) 1881 ハイディは学んだことを役立てられる
* [Kurze Geschichten für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16708) 1882 子供と、子供を愛する人のための短い話
* [Wo Gritlis Kinder hingekommen sind : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-17065) 1883 グリティスの子供たちはどこに帰ったか
* [Gritlis Kinder kommen weiter : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16674) 1884 グリティスの子供たちはまた来た
* [Was soll denn aus ihr werden? : Eine Erzählung für junge Mädchen](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16714) 1887 彼女はどうなるべきか
* [Arthur und Squirrel : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16712) 1888 アートゥアとシュクヴィレル
* [Was aus ihr geworden ist : Eine Erzählung für junge Mädchen / Zugleich Fortsetzung der Erzählung: Was soll denn aus ihr werden?] (http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16672) 1889 彼女は何になったか
* [Aus den Schweizer Bergen : Drei Geschichten für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-17007) 1889 スイスの山から
* [Keines zu klein Helfer zu sein : Geschichten für Kinder und auch für solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16658) 1890 誰も助けられない
* [Cornelli wird erzogen : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16850) 1890 コルネリは育てられる
* [Volksschriften](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16707) 1891 民話
* [Schloss Wildenstein : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16659) 1892 ヴィルデンシュタイン城
* [Einer vom Hause Lesa : ein Geschichte für Kinder und auch für solche, welche Kinder lieb haben.](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16657) 1894 レザ家の人

## Stuttgart: Carl Krabbe

* [Sina : eine Erzählung für junge Mädchen](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16671) 1884 ジーナ

## Barmen: Hugo Klein

* [Am Sonntag](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16662) 1881 日曜日に

## Basel: Allgemeine Schweizer Zeitung
* [Aus dem Leben eines Advocaten](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-26408) 1885 ある弁護士の生涯