日本はおそらくずっと昔から年よりが若者を搾取する社会だった。私も上司から搾取されたと感じたが、その上司を見ていると、彼らもまた自分より上の世代から搾取されたのだろうと言う気がする。彼らも搾取はいかんといいながら自分も搾取していることにまったく気付いてない。それくらいに彼らにとって若者に無理難題をいいいびりいじめることは空気のように当たり前なのだと思う。全共闘世代だと、英米帝国主義は世界中の植民地を搾取したから悪だという。なら、まず自分が搾取するのをやめるべきだろう。定年間近の上司を支えて何のメリットがあるのか。見返りがあったためしがない。逆にさんざんやり散らかされて負の遺産が残されているだけだ。もう何度かそういう経験をした。彼らが辞めたあとをみこして自分の利益になることをやっておくべきだ。
こういう搾取の連鎖はどこかの世代で止めなくてはならない。搾取されたから俺も搾取するというのではいつまでたってもその負の連鎖が終わらない。少なくとも徐々に減らしていかなくてはならないものだ。
昔は、公的年金とか社会保障のようなものが未発達だったから、年よりが若者を搾取するというのはある程度は必然だったのかもしれない。だがやはりそれは、親子ならばともかくとして、他人に対して個人的に行うべきことではない。会社の上司と部下の関係とか派閥とか学閥とかそういうものを利用して若者にたかるのはよろしくない。
前ある人と話をしていていらいらしたのだが、会社で部下に社員研修とか教育ということをやり、自分はその教育者として適性があるなどとうぬぼれているのだが、プロの教師というのは生徒もしくはその保護者から金をもらう側の人間であって、自分はただ組織に雇われているだけなのだが、そういう弱い立場で預かった生徒を厳しく教育ししつけなくてはならず、そこが一番デリケートで難しいのである。
会社の教育というのはつまりは業務命令と変わりないし、生徒は金を払うのではなくてもらう立場だし、教師は上司であるから、生徒の立場は極めて弱い。そういうシチュエーションで教育効果が上がるのは当たり前だが、そんなものはアカデミズムでもなんでもない。まして「プロの教育」というものではない。多くの場合は教育しているのではなくて逆に伸びる芽をごりごりすりつぶしているだけなのだ。
いばりちらしていじめても伸びしろがある人間は勝手に伸びるのであり、それは教育者が偉いせいでもなんでもない。たんに反面教師にされているだけのことだ。
日本は結局は、社員教育というものを過信していて、新卒の学生に求めるのはそういう社員教育に耐えられるようなメンタリティなのだ。日本でスキルで求人しているのは派遣か中途採用しかない。大学生がいくらスキルを身につけても下手するとそれは邪魔無駄扱いされかねない。だから新卒もそれに対抗するために不本意ながらできないこともできると言い、できることをあまり自慢してはならない。会社の言いなりになれますよと言わないと採用されない。スキルを生かせるのは一度新卒で入社してどこか別の会社に中途採用で転職するときくらいなのだ。
そんなばかげたことをするくらいなら最初から企業がピンポイントで求人を出してピンポイントで採用すればいいのにと思う。そして自分に適した会社を見つけるまでどんどん転職できるようにすればいいのだ。
ともかく新卒は未熟なのに限る。青田刈りしておいて自分たちで育ててやったと言いたいのだ。昔、藤原氏が幼い天皇を即位させて恩着せがましく大臣のポストを要求したり自分の娘を押しつけたりするのと何も違わない。ほとんどすべての産業と職種が未だにそんな状態にある。将来有望そうな若いやつをみつけて目をかけてやる。そのためには世の中が村社会の方が都合が良い。自分の縄張りで部下を出世させる。部下も縄張りの中でしか出世できなくなる。そしていつまでも閉鎖社会、閉じたコミュニティが世代を超えて温存されるのだ。その縄張り自体が、社会の変化とともに縮退してなくなるまでその連鎖は終わらない。
会社も経営者にしても、景気の良いときは気前よくふるまい、悪くなると緊縮する。要するに何の経営判断もしていない。そんなものは判断ではない。そんな経営なら誰にだってできる。景気の良いときに予算を引き締めて無駄を省き、将来のための投資に回すとか、景気が悪ければできる範囲で重点的に資金を配分するとか。根本的に組織を再編成するとか、良い部署と悪い部署、良い人材と悪い人材を選別して、良いところにさらに金をかけ悪いところには金を減らす。それを率先してやるのが経営者というものではないのか。何のために経営権を持っているか自覚があるのか。日本の経営者は結局何をやっているのかさっぱりわからないことがある。たまたま戦後景気が良かったから何事もうまくいっただけじゃないのかとさえ思う。