月別アーカイブ: 2010年6月

宿貸せ

家隆の > 海の果て空の限りも秋の夜の月の光のうちにぞありける だが、この人は定家と同時代の人で、けっこうおもしろい歌をたくさん詠んだのだが、 玉葉集に採られていると思って見るとなんとなく浪漫的で幻想的のような感じがする。 つまり為兼の > くにつちうるふあめくだすなり のような感じ。定家の幽玄とかそういう禅宗的、前衛的な意味での幻想的というのでなくてね。 浪漫的としか言いようがない。 つまり、説明しにくいが、日本の花鳥風月を歌っていても、 どことなくドビュッシーやラヴェルの交響曲のようなものを感じるということ。 家隆の歌では私は > 思ふどちそこともいはず行き暮れぬ花の宿かせ野べの鶯 これがわりとすきなのだが、素性法師の > 思ふどち春の山べにうちむれてそこともいはぬ旅寝してしが と大中臣能宣の > をみなへし我に宿貸せいなみののいなと言ふともここを過ぎめや の二つの歌を合成したような歌なのだな。

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為兼の謎の連作

> 来し方はみなおもかげに浮かび来ぬ行く末照らせ秋の夜の月 これは玉葉和歌集にある定家の歌で、その後に為兼の歌が > いかなりし人のなさけか思ひ出づる来し方語れ秋の夜の月 > 秋ぞ変はる月と空とは昔にて世々経しかげをさながらぞ見る と続く。 いや、その定家の前の西行の歌 > 人も見ぬよしなき山の末までに澄むらむ月のかげをこそ思へ や家隆の歌 > 海の果て空の限りも秋の夜の月の光のうちにぞありける もなかなかすごい歌で、玉葉集に採られてなければもっと有名になったのかもしれん。 それは定家の歌についても言えることで、たまたまこの歌が玉葉集に採られたことによって、 定家の秀歌であるにもかかわらず歴史に埋もれてしまったのかもしれん、などと考えてしまう。 まず定家の歌だが、素直に解釈すれば、久しぶりに会った人に、その面影を見て、 これまでのいろいろな思い出がよみがえってきた、あるいは自然と想像される、というような意味だろう。 下二句はたぶんただの付け足しだ。 続く為兼の歌だが、これもそのまま素直に解釈するしかしようがない。 どのような人の恩義があったのか、思い出すことを語ってくれ、というような意味だろう。 最後のは、単なる叙景の歌とも取れる。 昔ながらのそのままの秋の月と空を見ている、という意味。 しかしながら、この、秋の夜の月の一連の歌の配置はみごとだ。 俊成 > 世を憂しと何思ひけむ秋ご… 続きを読む »

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カッコウ

カッコウはもちろん古語ではない。 ホトトギスは万葉時代からあるまぎれもない古語である。 ホトトギスを郭公と表記したとして、この郭公なるものが、 カッコウではなくホトトギスであるなどという証拠はあるのか。 漢語ですら、しばしば混同されているのだから、 和語でも同様ではないか。 岩波古語辞典によれば、ホトトギス、カラス、ウグヒスなどの語尾の「ス」は鳥を表すという。 杜鵑は音読みではトケン。 「杜鵑啼血」の最古にして最も有名な出典はやはり白居易なのではないか。 角川新字源にも引用されている。 ホトトギスの鳴き声というのは、 私もYouTubeか何かでしか知らないが、 「キョッ・キョッ・キョキョキョキョ・・・」という、なにやら怪鳥が叫ぶような、すさまじいものなので、 血を吐くほどに声をふりしぼって啼いている、というのだろう。 血を吐くまで鳴き続ける、という意味ではないわな。 それはたまたま正岡子規がそうだったというだけだろう。 子規にしても、日清戦争の従軍記者など無茶なことをやらなければもっとずっと長生きできただろう。 中島敦だって、ずっと南洋に居て戦後特効薬が出来てから治療を受けていれば普通に天寿を全うしたのではないか。 自らもパラオに居て、 ロビンソンクルーソーの伝記なんか書いて、 そんなことは承知していたはずだ。 しかし、当時の日本の切迫した時勢というのが、子規と同じく、 無茶な行動… 続きを読む »

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子規

ホトトギスなのだが、 中文のウィキペディアには「小杜鵑」と表記されており、 単に「杜鵑」と書くとこれはカッコウの総称となる。 「中杜鵑」はツツドリ。 「大杜鵑」はカッコウ、これは「郭公」「霍公」とも言う。郭公または霍公は明らかに鳴き声の音写だろう。 さらに中文ウィキペディアで「子規」を検索すると「鷹鵑」にリダイレクトされる。 「鷹鵑」は英語では Large Hawk Cuckoo で、要するに、鷹のように大きなカッコウということだろう。 [杜宇](http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9C%E5%AE%87)は中文ウィキペディアにも記事がある。 杜宇は、商周から春秋時代まで蜀にあった国の帝王で、望帝とも言う。 宋代になった伝記「太平寰宇記」に、 > 望帝自逃之後,欲復位不得,死化為鵑,每春月間,盡夜悲鳴。蜀人聞之曰:我望帝魂也。 とあり、また、 > 傳說其死後,每逢農曆三月,便化為杜鵑,以叫聲催促蜀人趁農時播種。 とあるから、毎年旧暦三月にホトトギスが鳴いて蜀の人たちが種まきをしたという風習があったのだろう。 「不如帰去」とは杜宇の言葉だとあるが、単に鳴き声の音写だろう。 「蜀魂」もまた同じ伝説による。 「田鵑」というのは、田んぼにいるカッコウの一種か。ともかく、これらの漢字表記の差異は、 一つは古代の伝説、もう一つはさまざまなカッコウの種類による… 続きを読む »

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