月別アーカイブ: 2012年9月

太平洋戦記

やっと書くネタが見つかったので、また小説を書き始める。 タイトルは『太平洋戦記』(仮)というのだが、 史実の太平洋戦争とは何の関係もなく、また太平洋戦争をネタとした架空のウォーゲームでもない。 時代はだいたい大正くらいを想定しているがはっきりとは書かないつもりだ。 私のこれまでの作品とは違い悲劇、バッドエンドになる予定。

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平家物語と源氏物語

日本の古典を学び始めておそらく誰もが最初不思議に思うのは、 まず、源氏物語には義経も頼朝も為朝も義仲も義家も出てこないということ、 もひとつは平家物語と言いながら清盛は敵役で途中で死んでしまい、 主役はどちらかと言えば源氏であるということ、ではなかろうか。 源氏物語の方は、この物語の主役が光源氏であり、 当時の源氏とか臣籍降下とかの仕組みを理解すれば、まあなんとか疑問は解消するだろう。 しかし平家物語の方はよくわからない。 そもそもストーリーが一本ではなく、いろんなことが混ざり合っている。 いかにも大勢の人たちが共同執筆した形である。 それでまあ平家物語を通して読んでみて思うのはおそらくこの話はもともとは確かに平家の物語であったのだが、 そこに木曾義仲や義経や頼朝の話などを足して軍記物のようにしてしまったがために、 まるで源氏が主役で「源氏」物語とでも言った方がふさわしいような内容になってしまったのであろう。 そこまではだいたい誰でも想像が付くわけだが、 平家の物語というのはでは清盛が主役かといえば、やはり清盛は敵役なのである。 より細かに見て行けばこの物語の元来のストーリーラインは、 重盛、維盛、高清(六代)の三代を描くことなのだ。 その重要な脇役として文覚という僧侶が居る。 いや、もしかすると実は文覚を主人公にした「文覚伝」とでも言うべき話がオリジナルなのではなかろうか、 とす… 続きを読む »

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脳内麻薬

多分、私は、脳内麻薬がどばどば出てないとやる気が出ない性格なのだろうと思う。 それはまあ、多かれ少なかれ、どんな人でも同じだと思うのだが、普通の人の場合、 その脳内麻薬というのは、同じことでも割と持続が効いて、 一つのことに対して一年とか三年とかでなく、それこそ二十年とか四十年とか、そのくらい長く、 一つの仕事に興味が持てるのだと思う。 四十年同じことに興味をもてる人は要するに、 定年退職まで一つの仕事に興味を持ちつづけることができるということだ。 しかし私の場合多分三年もすると脳内麻薬の効きが悪くなり、 いろんなことをまぜあわせながらやりくりしても十年とはもたない、のだろうと思う。 つまり、まわりのことがみえなくなるほど没頭できる、集中できるネタをみつけた時は幸せだが、 それは長くは続かない、飽きにも似た、疲れにも似たようなものが、どんどんたまっていき、 関心を失ってしまう。 どんなにおもしろくやりがいがあることでも、先が見えてしまうとやる気をなくしてしまう。 時間がたてばたつほど、同じことをやりつづけることに、非常に大きな努力が必要になってしまうのだ。 やりがいがある仕事とか、おもしろい仕事というのは、純粋に脳の中の生理現象に過ぎない。 理性的に、この仕事には価値があるから、何年間か続けてやっていこう、そういう計画ができないのだ。 客観的に考えて、自分の脳の中では、そのような現… 続きを読む »

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干支日

吾妻鏡に元暦二年五月二十四日は「戊午」とあるが、 [換暦](http://maechan.net/kanreki/)で変換すると「丙午」となる。 これは何かの間違いだろうか。 うむ。どうも吾妻鏡の方の誤記のようだ。 というのは、この元暦二年五月の記述を見るに、 23日と24日以外は換暦と一致するからだ。 ちなみに23日丁巳は乙巳の間違いで、 24日戊午は丙午の間違いである。 やれやれつまらんことにずいぶん時間を取られた。

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腰越状

ネットでぐぐると腰越状をいろんな人が読み下し文にしたり現代語訳したりしているのだが、 あまりうまく行ってないように思える。 腰越状は、 平家物語、吾妻鏡、義経記などにほぼ同様のものが載っているのだが、 吾妻鏡には「顯累代弓箭之藝」とか「倩案事意、良藥苦口、忠言逆耳、先言也」とか、 なくもがなという変な脚色や蘊蓄が挿入されている。 特に「良藥苦口、忠言逆耳」などは前後の文脈とほとんど関係ないどころか流れを断ち切ってさえいる。 吾妻鏡の漢文を無理に読み下し文にしようとしてはならない。 平家物語というこれ以上期待できないほど上質の資料があるのだから、 またおそらくは平家物語の方がオリジナルでそれを吾妻鏡が掲載しているだけなのだから、 平家物語の原文を読めばよい。 「廣元、雖披覽之、敢無分明仰、追可有左右之由」 ここだけ読んでもよくわからんのだが、「敢えて分明の仰せ無く」とは、は平家物語「腰越」の次「大臣殿被斬」に出てくる > 鎌倉殿、さらに分明のご返事もなし を漢文化したものだろう。すると、 「広元はこれを頼朝にお見せしたが、追って指図あるべし由という他、特に明瞭なことは仰せにならなかった」 となるだろう。 「京都之経廻難治之間」であるが、この「経廻」が謎である。 漢語ではないらしい。 たぶん「経巡る」(へめぐる)という意味であろう。 とすれば意味はおそらく、「京都周辺を経巡ることは(平… 続きを読む »

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畠山氏

畠山氏は足利氏の一支族となっているが、 元は武蔵国の在官で秩父氏と言うから秩父の豪族だったのだろう。 系図では、桓武平氏の祖高望から良文、 忠頼、 将恒、 武基、 武綱、 重綱、 重弘となってその子に畠山重能、小山田有重があったことになっている。 ただこれは後世の畠山氏による創作の可能性が高い。 畠山重能の子に重忠、重忠は畠山重忠の乱で滅亡。 足利義兼の子義純が重忠の未亡人(北条時政の娘)と婚姻し、 畠山氏を継いだ、とある。 足利義純は先に新田義兼の娘と婚姻していたが絶縁。 新田氏との間に生まれた子が岩松時兼、田中時朝で、 それぞれ後の岩松氏、田中氏の祖先となったという。 ややこしいのう。 足利氏にこんだけ支族が多いのはどうしてかもすこし考えてみる必要がある。 足利氏は将軍になったから、 家系にも後世の捏造が多いのかもしれん。 どうも、畠山氏や岩松氏や田中氏などはもともとあまり関係ないような気がするし、 山名氏もあやしい。 正味のところどうなのか。 また、足利氏以外の家系というのも実は支族がけっこういるのだけど、 後世に伝わってないだけかもしれない。 或いは、たまたま足利氏が領した土地が豊かだったのでたくさん増えたのかもしれん。 気になるのは、つまり、後醍醐天皇の時代に足利氏がどの程度の大族であったのか、 足利氏にどれほどの戦功があったのか、 足利氏にはもともと北条氏を倒すほどの実… 続きを読む »

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足利氏の系譜

系譜はまだ書きかけなのだが、 足利氏はだいたい、兄弟の中で北条氏が母である者が足利本家の跡取りとなり、 側室に生まれた子は分家になる、というようになっていたようである。 分家がたくさんできるというのは側室をたくさんもっていたということで、 経済的に恵まれていた、もしくは、子孫に分け与えられる領地がたくさんあった、 ということであろう。 義氏、泰氏、貞氏が割と子だくさんであり、 特に泰氏のときに支族が急に増えているが、 これは承久の乱の後で足利氏が急に大きくなったためだろうと思う。 たとえば北条泰時にたくさん子がいて正室の他に側室が何人もいたら、 全国に北条氏の分家ができて、 北条氏以外の武家はあまり大きくなれなかっただろう。 しかし泰時はあまり子孫に恵まれなかったようだ。 で、おおよその傾向として北条氏はあまり分家がいなかった。 名越氏と赤橋氏くらいだわな。 徳川氏の御三家とか御三卿とかいうのに比べてあまりに貧弱だ。 足利氏の支族と比べても。 もちろん足利氏は北条氏を正室としたのだから、足利氏に北条氏の血が非常に濃く受け継がれているのだが。 足利氏は先に名越氏か赤橋氏を正室としても、のちに得宗家から正室をもらうと、 元の正室は側室扱いになり、生まれた子供は分家になってしまう。 そして分家がどんどん枝分かれして増えていく。 南北朝以後室町時代にもどんどん増える。 北条得宗家はだんだん… 続きを読む »

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足利氏

尊氏より前の足利氏を調べると、 義家、義国、義康は藤原氏の娘と結婚している。 しかし、義兼、義氏、泰氏、頼氏、家時、貞氏とずっと北条氏と婚姻している。 貞氏と正室北条氏が産んだ子・高義が足利氏を継ぐはずであったが、 早くに死んでしまったようだ。 そこで上杉氏の娘、つまり側室の子である尊氏が足利氏棟梁となった。 ここに微妙な系譜の乱れがある。 上杉氏はもとは宮将軍・宗尊親王とともに京都から来た。 尊氏の挙兵は上杉氏と無関係ではなかろう。 尊氏は北条氏の一支族の赤橋氏と婚姻し、義詮を産んでいる。 鎌倉攻め当時の執権は赤橋氏で、 鎌倉に人質になっていた義詮を逃がしてしまっている。 高時に落ち度があったすると、彼はあまりにもはやく隠居しすぎた。 執権を退いて延々と大御所的な政治をしようとしていたのではなかろうか。 それで現場の執権とか、代々北条氏と姻戚関係を結んできた足利氏とかに疎まれた、 ということはなかろうか。 足利氏というのはどちらかといえば、北条氏の腰巾着的な感じであり、 形式的には北条得宗家の独裁が進んだようにみえて、 実質的には足利氏が関東の支配を広げていたのではなかろうか。 新田氏は妻がわからんことが多い。 北関東から越後に分布している。 地方の豪族というのに過ぎなかったと思う。 よくわからん。 ただ、足利氏は、新田氏と比べて中央志向が強かったのはたしかだ。 北条氏にべったり… 続きを読む »

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愚管抄

慈円って面白いな、同母兄の九条兼実が書いた『玉葉』とかと合わせて、 『愚管抄』『拾玉集』とか徹底的に読んでみたいなと思う。 まあしかし、『拾玉集』を見た限りでは、どうでも良いことをだらだら書く人なんだろうなと思う。 それはそうと、講談社学術文庫の『愚管抄を読む』を読んでいると面白いことが書いてあった。 後三条天皇については以前に [藤原能信](/?p=10902)、 [宋の改革](/?p=10724)など書いたのだが、 天皇が度量衡の統一政策で、延久宣旨枡というものを作らせ、 それを天皇に奉ったところ、天皇は清涼殿の庭の白砂を自ら枡に入れて確かめたという。 本当にそんなことがあったのかもしれないが、良く出来た作り話のような気もする。 どうも北宋の皇帝か何かがやったことを後三条天皇もやったように脚色しただけではなかろうか。 或いは北宋皇帝がやったことを真似てやってみせたとか。 側近の文官による演出はきっとあったのに違いない。 唐の皇帝はそんな自分で枡で量を計って確かめるような実務的なことはやらない。 唐の皇帝を真似た日本の天皇もやらない。 しかし宋の皇帝はやってみせた。 職人や商人がやるようなことを自ら、率先してやった。 そうして官製の枡というものを普及させようとした。 日本の天皇も宋の皇帝のように変わらねばならない。 そのメッセージのようなものだろうと思う。 だがまあ王様の体を基準… 続きを読む »

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紫式部

『紫式部日記』をざっと読んでみたのだが、 ますますこの紫式部という人がわからない。 たとえば、額田王とか小野小町とか赤染右衛門とか和泉式部とか式子内親王とか。 有名な女性の歌人はたくさんいるが、みな読めばすっとわかる歌ばかりだ。 和泉式部日記にしろ、 清少納言の枕草子にしろ、 菅原孝標女の更級日記にしろ、 読めばすんなりわかる普通の文章だ。 しかし紫式部はよくわからん。 藤原定家や北畠親房にも似たようなものを感じるが、紫式部はますますわからん。 ただ、源氏物語が長編だからわかりにくいとかそういう問題ではなく、 とにかく屈折しててわからんのだ。 たとえば空蝉とか夕顔とか若紫とかヒロインがみんなやばいし源氏の口説き方もやばい。 いや口説いてすらいない。ああいうのは誘拐という。 覆面をしたまま連れ去って自分は顔を見せたが相手は名乗らない。 そのうち生き霊にたたられて死んでしまう。 ひどいストーリーだ。 正妻の葵上の扱われ方もひどい。まあそんなものだったのかもしれんが。 江戸時代のまっとうな武士が源氏物語を罪業の書だと思ったのはごく当然だと思う。 しかし、『紫式部日記』を読むと彼女も仏教によって極楽に救われたいなどと考えているようだ。 メンヘラなのか。 > 年暮れて我が世ふけゆく風のおとに心のうちのすさまじきかな これは『紫式部日記』に出てくる、玉葉集にも採られた歌だが、 どうも精神を病ん… 続きを読む »

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