農業

農村や田園というものは、人間と自然が共生しているような印象を与えるのだが、実際には農業ほど自然を破壊するものはないというのが歴史的事実である。山に囲まれ高温多湿な日本の農村を考えていてはわからんことだが、地球上の非常に広い範囲で農業とそれに伴う人口爆発によって、森林が半砂漠に変わっていった。中国北部、北アメリカ、中東、北アフリカなど。

工業はやり方さえうまくやれば農業ほどには自然を破壊しない。公害さえ発生させなければ工場が地表に占める面積などごく局所的なものだ。漁業や捕鯨、その他野生動物の狩猟や野生植物の採集というものは縄文時代からあるものであり、乱獲さえしなければ、もっとも自然に対するインパクトが少ない。牧畜もそれに準じる。もっとも自然界に与える影響が大きいのはアメリカ式の畜産である。農作物を人間がそのまま食べるのでなく、家畜に食べさせてその家畜を食べるのであるから、通常の農業よりもさらに悪質である。しかしアメリカ人がやっていることはメソポタミアのシュメール人もやっていたことである。
人類いや農業の業の深さというか。

菜食主義は単に殺した動物の肉を食わないというだけであり、森林を畑に変えるという行為を通じて間接的に野生動物を殺しているのである。もし自然界を保護することを最優先にするのであれば、畑を森林に戻して、野生動物や野生植物を計画的に間引くのが良い。つまり現代の最先端の科学を応用して、縄文時代の狩猟採集方式に回帰すればよいのだ。

このように考えれば、捕鯨をやめて鯨を養殖しようという考え方がいかに愚かであるかわかるだろう。

雍正帝

宮崎市定の「雍正帝」という本を読むと、

康煕帝はどこまで漢文化に対する理解があったかは別として、しきりに文化事業を起こして大きな書物を編纂させた。その十中八九は徐乾学が編纂の総裁官であったというが、そのたびごとに弟子を編纂官に任用し、事業が終わると部下は恩賞を受けて大官に抜擢され、或いは試験官となって地方に赴く。芋蔓式に目に見えない広範な組織が出来上がるわけである。

とある。康煕時代の文化事業といえばまず康煕字典だが、そもそもなんのために康煕字典というものが作られたかということなど考えたこともなかった。康煕帝は文武両道に秀でた名君だとみんなが漠然と考えるところだが(陳舜臣もそう考えたらしい)、満州から移り住んで間もない康煕帝が自分の意志で漢和辞典なぞ作ったはずはなかった。学者連中が自分の学閥を肥え太らせるために、喧嘩は強いが無教養な天子様からお金をせびったのである。

玉栃馬

北関東埼玉群馬栃木にはまだまだたくさん土地が余っている。そこで埼玉と群馬と栃木の県境(渡瀬遊水池あたり。実は茨城千葉も近い)に日本の首都機能を移転して、その都市の名は、埼玉と群馬と栃木から一字ずつとって「埼栃馬」(さいとちま)あるいは「玉栃馬」(たまとちま)という名前にする。これは京阪奈(けいはんな)にならった命名。私は玉栃馬の方が好みかな~。湿原と利根川と水田に囲まれた自然豊かな首都となるであろう。湿原をむやみに埋め立てるのではなく、自然を残しつつ開発したいですのう。鬼怒川温泉にも草津温泉にも伊香保温泉にも直線道路と鉄道を建設して、30分で都心から行き来できるようにすればなお良い。すばらしい!

開けられないブラックボックス

ビックコミックのアフター0というのでありとあらゆる電磁放射や圧力を100%はねかえす箱というのが出てくるんだよね。で、誰もがそのブラックボックスを開けられない。その箱の中には花崗岩の石版が入っているのだが、核分裂で発生する熱で数千万年のうちに中の石版がどろどろにとけるというんだよね。で、開けた瞬間に中から溶けた花崗岩が飛び出してくるという。しかし、外界からのいかなる信号もはねかえすのに、どうやってその箱を外から開けられるのかと。また、外から電磁波が入らないということと中から熱が出てこないというのは別問題な気もするし。SFとして成立してないような気が。

地獄の黙示録特別完全版を全部見る。難しい映画だと思っていたが、通してみると非常に説明的というかオムニバス形式というか、いれかわりたちかわりいろんな人がいろんな立場でベトナム戦争を語っているのだった。「サーベイ映画」と言ってもいいかもしれん。

「猫の恩返し」はけっこうおもしろい。

「ギブリーズ episode 2」もわりと好き。

丸谷才一は小林秀雄が嫌いらしい。私も別に好きではないが。

丸谷才一「桜もさよならも日本語」という本があり、昭和7年と昭和58年の某新聞の社説を比較しているところがあり、戦前に比べて戦後はだいぶ日本語の文章が読みやすくなったと言っている。戦前の文章や結婚式の祝辞などはたとえて言えば祝詞のような意味不明の美文なのに対して、戦後の文章は虚飾と儀式性を廃した実用的な文章だという。

しかし私から見ると戦後の社説も戦前に負けずおとらず虚飾に満ちており、意味不明に思える。

相互依存の進展する現在の世界では、国家間の利害が衝突する機会が増え、その分野も広がる。密接な関係にある先進工業諸国の間では、なおさらその可能性が大きい。

こんな文章に何の意味があるのだろうか。情報量が0だ。まだ近所のスーパーの折り込みチラシの方が情報量があるだろう。こんな文章を書くやつは馬鹿じゃないかと思う。春秋戦国時代の国際関係だって似たりよったりじゃないか。戦前の軍国主義が盛んだった昭和7年くらいの社説が空虚なのは当然だし、そんなものと比較すること自体が恣意的だと思う。単に戦前と戦後を比較したいのであれば、もう少し前の大正時代の社説と比べてみてはどうか。下手をすると、大正の方が今よりまともかもしれない。

丸谷才一という人を私は非常に尊敬しているし多大な影響を受けてもいるのだが、ときどき急にワケのわからないことを言い始めるという気がする。

※追記 丸谷才一は祝詞に何か恨みでもあるらしい。國學院大學教授だったときによほど嫌な思いをしたのだろう。

そもそも祝詞は意味不明でも虚飾に満ちてもいない。祝詞は昔から繰り返された決まり文句であるというだけで、意味はある。アワビの干物を何個、アジの干物を何個、米や麦やヒエやアワを何升、献上します、ということを言ってたりとか。つまり今でいう目録のようなものだったり。レトリックというものからは一番遠い。きわめて素朴な文章である。
そういうことを丸谷才一が知らないはずはないのだが。

お中元とかお歳暮とか年賀状とか年始参りとか父の日母の日とかクリスマスとか、もろもろの近所づきあいとか、結婚式のスピーチとか、葬式とか香典とか香典返しとか、昔は(そして今も)やらなくても良いことが日本には多すぎた(今も多すぎる)んだよね。
そして当たり前だとあきらめてたんだよな。しかし決して当たり前でもなんでもなくて、ほったらかしとくと国が死んでしまうんだよ。ともかく、政治家に結婚式や葬式にわざわざ来てもらうのはやめれ。

某新聞の「**」も救いようのない駄文なんだこれが。文芸は文芸できちんとやってもらってかまわんが、報道とも文芸ともつかない自慰行為を惰性で続けるのはやめてほしいよなあ。もう21世紀なんだからさ。紙面を減らすか広告を増やすかして値段を下げてくれた方がまだいいんだけど。あるいはスタパ斉藤に社説書かせるとか。なんでもいいからもちっと工夫してほしいね。