いわゆる「脳科学」は「脳機能計測」に基づいている。
脳波計(EEG ElectroEncephaloGraphy) がもっとも古く時間分解能は 1ms (== 1000Hz) ときわめて速い。
しかし空間分解能はとてつもなく低い。
だいたい脳の中のおおまかな位置しかわからん。
森昭雄ゲーム脳理論はこのあまり当てにならない脳波だけみてて、しかもα波とかβ波とかの解釈がむちゃくちゃ。
もうどうしよもないので考慮するだけ時間の無駄という感じ。
PET (Positron Emission Tomography, 陽電子放射断層撮影) が実用化されたのは1980年くらい。
時間分解能は数十秒程度 (== 0.01Hz くらい!)、空間分解能も10数mm程度しかない。
かなりしょぼい。
しかも被爆するので今ではあまり使われてないと思われる。
1990年代までの脳科学に影響を与えたと思われる。
fMRI (機能的磁気共鳴画像診断法、functional Magnetic Resonance Imaging)が実用化されたのは1990年くらいから。
空間分解能は1mmとかなり細かい。しかし時間分解能は数秒程度 (== 0.1Hz!)。
脳磁図計測 (MEG magnetoencephalography) は脳波計みたいなもので、空間分解能、時間分解能ともだいたい脳波計と同じ。
光トポグラフィーには紫外線、可視光線、赤外線などを使うものがあり、近赤外分光法 NIRS (Near Infra-Red Spectrography) がよく使われるらしい。
PET, MRI, MEGなどよりも体を拘束しない、非侵襲式で、頭を固定する必要もない。
なので、ゲームなどの日常生活の作業などを計測するのによく使われるらしい。
ただし脳全体ではなくて額の部分だけの測定、空間分解能はかなり低く、時間分解能は1秒程度 (== 1Hz)。
なんだ、要するに脳波計と大差ないんじゃん?
「ゲーム脳」追試研究@エンタテインメントコンピューティング2003 参照。
ゲームの種類によって前頭前野を使うかどうかの違いを調べた結果、シューティングと音ゲーは前頭前野を使わないゲームであることが判明したらしい。
それはそうだろうなあ。
私もそう思うよ。
弾幕シューティングと音ゲーには明らかに類似性があるよ。
音ゲーが好きor得意な人は弾幕ゲーが好き。
その逆もまた真。
昔スペースチャンネル5というのがあったのだが、最初出たやつはわりとかんたんだったが、その次出たやつは途中のステージからタイミングがシビアになってうまくクリアできない。
しかし映像を見ずに目を閉じてやるとクリアできてしまう。
目から入る情報でいろいろ考えたりして、音の間隔が狂わされるから、目を閉じた方がうまくできる。
シューティングもあまり考えてはできない。
「無心」にならないとできない。
音ゲーやシューティングは反射神経だけを使い、それ以外の部分を逆に抑制しないとできないゲームではないか。
つまり Semir Zeki 言うところのあれですよ、現代抽象絵画のように、脳の特定領野だけを活性化させることで快感を生じさせる作用があるんだろう。
ビデオゲームが視覚野と運動野だけを使い、前頭前野を使わないと言う説を広めたのはDSの脳力トレーニングゲームで有名な 川島隆太氏その人らしい。
彼はPETを使ったようだ。
それでDSでは簡単な暗算をやらせているわけだよね。
あと料理や音読とか(笑)。
で、fpsはどうかということだが、実験した人はまだいないらしい。
でも 暴力的ゲームは人間の脳を好戦的に–米研究者ら、fMRIで解き明かす とかいう研究をした人はいるようだ。
どうやって解明したのか実にあやしげだが、そもそも暴力的なゲームをやっているときは脳の中も暴力的になってて当たり前なんで、暴力的ゲームを常習している人間がそうでない人間に比べて暴力的かどうかとか犯罪件数とか調べて立証しないと意味ないんじゃないの。
前頭前野が活動するのは行動計画や意志決定などのfpsは低いが高度な処理をする場合と、ワーキングメモリという一時記憶を利用する場合があるという。
暗算はワーキングメモリを利用するので前頭前野が活性化するが、高度な問題解決を行っているわけではない。
数分間暗算するというのはPETのような狭苦しいところで、PETのような時間分解能が低い装置で「有意なデータ」を出すのに適した作業だっただろう。
時間分解能が低い場合、瞬間的に高度な脳の活動があっても数分間で平均すれば何も写らない。
一時記憶をだらだら常に使っている状態が脳を鍛えているといえるのか。
きわめて疑わしい。
PETに依存したチャンピオンデータのために暗算が適していたということではないか。
それは本末転倒というものだ。
脳を高度に使っている状態というのは、不規則に瞬発的に何かの判断をしているときではないのか。
fpsにもquakeみたいにただひたすら撃ちまくるのもあれば、謎解きやパズルをやるものもあるし、シングルプレイとマルチプレイでもまた全然違ってくる。
そのへん研究しないとただ同じビデオゲームでくくるのは意味ないんじゃないの。
澤口俊之著「「私」は脳のどこにいるのか」という本を読んだが、彼は意識の本質は脳の modularity と hierarchy だと言っている。
modularity については脳がさまざまな領野にわかれて並列分散処理をしているのは今やほとんど疑いがない。
しかし hierarchy に関してはまったく何の証拠も見つかってない。
いわゆる統合領野というものは見つかってない。
前頭前野が計画や意志決定を行っているのはたぶん正しいが、脳の活動の hierarchy の頂点にいるとか、脳の他の部分を制御したり統合したりしているということは証明されてない。
だから 意識の正体は脳の細胞間の無線通信?というような珍論も出てくるし、また脳は単なる機械であって魂は別にあるという二元論も出てくる。
客観的に見ると脳には modularity はあるが hierarchy はないのでないか。
無数の微少な無意識が並列分散してるだけではないのか。
私らは普段ほとんど無意識に行動している。
会話したり本を読んでるときもほとんど無意識。
読書に集中しているときなどまさに「我を忘れている」。
たとえば「視覚」は「意識」かと言うと違う。
いちいち判断しながら見ているとものは逆に見えなくなる。
たとえば「霊感」は「意識」かというと違うと思う。
だらだら散歩してて雑念が浮かんでは消えてるとき、ふとすごく良いアイディアを思いついたりする。
これなどまさに「無意識」の所産ではないか。
たとえば「会話」は「意識」かというと、私は違うと思う。
あまり考えすぎると会話はむしろできない。
話言葉と書き言葉が違うようなものだ。
考えすぎる人は書くのと同じようにしかしゃべることができない。
つまり考えて下書きして推敲してからでないとしゃべることができない。
私から見ると女子高生などが電話で長話してたり、おばさんがスーパーで通行をふさいだまま立ち話しているのは「無意識」でやってるとしか思えない。
では、「判断」は「意識」か。
これもなんともいえない。
私の見る限り、判断しているようでしてない人はきわめて多いように思う。
本当に判断しているのならば時間がかかるはずだ。
過去のデータやさまざまな相互関係などを客観的に分析し、総合して初めて判断できるはずだが、たいていの場合はその場限りの思いつきで「判断」し、発言している。
あるいは固定観念によって即断している ==「無意識に判断している」にすぎないのでないか。
囲碁などまさに「無意識の判断」なのではないか。
「自我」とか「自己意識」などというものは存在しないのじゃ無いかと思う。
存在しているのは「自我」という概念だけなのではないか。
「自我って何だろう」と考えているときだけ自我は存在する。
それ以外のとき、ふだんの生活のほとんど100%は無意識に並列にやってるのじゃないか。
脊髄反射と何ら違わない。
自我の目覚めというのはたぶんあると思う。
私の場合は高校に入った頃、15才くらいだったと思う。
それまでは考えずにしゃべり、考えずに行動し、考えずに「考えて」いたような気がする。
ほとんどすべての場合に。
自我が目覚めるとしゃべれなくなるし行動できなくなる。
内向的になるというのかなあ。
それを再び外向的にしていくのにはそうとう長い時間がかかったように思う。
記憶をたどりながら「問題解決」しようとしているときは脳内に階層に近い状態が一時的に生じているかもしれない。
それは問題解決に「階層」という概念というか手段が必要だからではないか。
問題解決には問題の形式化、分析と総合、そもそも解決すべき問題とは何であり何ではないかという取捨選択、優先順位の決定、そういうもんが必要だ。
しかしふだん脳には階層など存在しないのでないか。
脳の中の階層というものは、思考訓練によってソフトウェア的に作られるものではないか。
脳の中にもともと存在しない階層というものをわざと作りだそうと努力することが自我なのかもしれない。
昔から意識と無意識、高次と低次という階層関係 or 役割分担が存在しているに違いないという暗黙の前提があった。
しかしそれは根本的に間違ってるのじゃないか。
少なくとも build-in でも static でもないのではないか。
人間の社会には階層がある。
学問体系にも階層がある。
しかし脳の中もそうなっているとは限らない。
現実世界にも階層などというものはもともと存在しない。
「数」や「概念」すら存在しない。
人間が世界を階層化し、モデル化して把握しているにすぎない。
脳の中身も同じことなのではないか。
要するに、脳科学がよりどころの一つとしている脳機能計測では、 RPGとfpsとシューティングの違いを歴然と見分けることも未だできてないということであり、ましてやゲームで脳がやられるなどと断言できるような代物でもなんでもないということでしょう。