初春
伏見院
かすむてふ すがたはみえず 世の中の のどけき空の 名にこそありけれ
> 空はなほ 雪げながらの 朝ぐもり くもると見るも かすみなりけり
> かすみゆく 高嶺を出づる 朝日かげ さすがに春の 色を見るかな
> 昨日こそ 雪ふるとしも 呉竹の よはのうちにや 春は来ぬらむ
> つららゐし 賀茂の川上 うちとけて 瀬々の岩波 春と告ぐなり
> 門ごとに 立てる小松に 飾られて 宿てふ宿に 春は来にけり
> いづくより 霞みそむらむ あしびきの 山にも野にも 春は来にけり
> たちそむる 春の霞の 薄衣 なほ袖さえて 淡雪ぞ降る
> 日の本の 光を見せて はるかなる もろこしまでも 春や立つらむ
> さし出づる この日の本の ひかりより こまもろこしも 春を知るらむ
> 世は春の 民のあさげの けぶりより かすみも四方の 空に立つらむ
> ひさかたの 雲ゐに高く かすむなり 富士のけぶりの 春のあけぼの
> 朝と明けて まづこそ見つれ 四方の空 いづくに春は 立ちはしぬらむ
> 朝日かげ とよさかのぼる 日の本の やまとの国の 春のあけぼの
> けふと言へば 生きとし生ける ものまでも 春とは知らで 春や知るらむ
> 限りなく 待たせ待たせて あら玉の 今年ぞふれる こぞの初雪
> ものごとに 神世思ほゆ あらたまの 年の初めの 手振りほぎごと
> 訪ね問ふ 人はまれなる 我が宿に ところ嫌はず 春ぞ来にける
> 明日もまた 雪はふるらし ひと月も 待たで桜は 咲きそむるとも
春風
> 暑からず 寒くもあらず 良きほどに 吹きける風は やまずもあらなむ
> 花散らす 春の嵐は 秋風の 身に沁むよりも わびしかりけり
> つくば山 しづくのつらら 今日とけて 枯生のすすき 春風ぞ吹く
> うちとけて けさ吹く風の 心をば 池のこほりぞ まづは知るらむ
若菜
> 駒なべて 芽もはるの野に 混じりなむ 若菜摘み来る 人もありやと
> いつしかも 初春雨ぞ 降りにける 野辺の若菜も 生ひやしつらむ
> むらむらに 野辺の若菜も 萌え出でて 雪間はつかに 春は来にけり
> 踏み分けて 野沢の若菜 今日摘まむ 雪間を待たば 日数経ぬぺし
> 朝風に 若菜売る子が 声すなり 朱雀の柳 まゆいそぐらむ
鴬
> 山高み 立ちくる霧に むすればや 鳴くうぐひすの 声のまれなる
> 鴬は 春と鳴けども 山里の 庭しろたへに 雪は降りつつ
> 山里に 家ゐはすべし うぐひすの 鳴くはつこゑの 聞かまほしさに
> 奥山の こぞの白雪 けぬが上に 菅の根しのぎ 鴬ぞ鳴く
> 我が宿の 竹の林を あらためて 春になしたる うぐひすの声
> 今もなほ 妻やこもれる 春日野の 若草山に うぐひすの鳴く
> 春の日の のどけき空は くれがたみ いたづらにきく 鶯の聲
> さらねども 難波の春は あやしきを 我知り顔に 鴬の鳴く
> 山里は きのふもけふも うぐひすの 声のみ聞きて 暮らしけるかな
> 鴬の 初音を待つに 誘はれて はるけき野辺に 千代も経ぬべし
> 雪深き 谷の古巣の うぐひすは まだ春としも 知らずやあるらむ
> 昼よりは おほかたくもる このごろの 朝ごとに鳴く うぐひすの声
> 何ごとの 腹立たしかる 折にしも きけばゑまるる うぐひすの声
> うぐひすよ 朝日とともに 鳴き出でて 月待ちがほの 夕映えのこゑ
> うぐひすの 鳴くべきほどに なりゆけば さもあらぬ鳥も 耳にこそ立て
> 年を経て あはれとぞ聞く うぐひすの 宿をもわかず 春を告ぐなり
梅
> 今日もまた 人の訪はでや 紅の 濃染の梅の 花の盛りを
> 梅の花 咲きてつげたる 山里の 春ぞ春なる 雪は降れども
> 梅の花 香をなつかしみ 春の野に すみれも摘まぬ 旅寝してけり
> 芦垣の 梅の初花 咲きにけり けさ我が宿の 春や立つらむ
> 年のうちに 春来ぬめりと 梅や咲く 梅や咲けりと 春や来ぬらむ
> 我が宿の 梅の花咲けり 宮人の かざし求むと 使ひ来むかも
> 人ならば うき名や立たむ 宵よひに わが手まくらに かよふ梅が香
> 曇り日は ことにぞにほふ 梅の花 風吹きとづる 深き霞に
> 大空を おほはむ袖に つつむとも あまるばかりの 風の梅が香
> 梅の花 老いが心を なぐさめよ 昔の友は 今あらなくに
> 梅が香に 月のかすめる 我が宿を おぼろ夜よしと とはれてしがな
> 折らばやと 立ち寄る梅に うぐひすの 許さぬ声を おどろかすかな
> 思ふ人 来むと言ふまに 梅の花 けさの嵐に 散りそめにけり
> 春日さす 南の庭の 雪げより かげろふばかり 梅が香ぞする
> 空さえて 香ごめに風の 送りくる 雪と梅とを わきて見なまし
> 山がつの くだく薪に 許されて 立ち枝あまたの 岡のべの梅
> 木の下を 過ぎてぞさらに 知られける たもとに移る 梅のにほひは
> うすぐもり 梅咲きのこる 川のべを 歩かまほしき ここちもぞする
> 春の夜の 闇にぞまどふ 梅の花 そことも知らぬ 深き匂ひに
春雨
> つくづくと 濡れそふ袖に おどろけば 降るとも見えで 春雨ぞ降る
> 春の夜の 真砂ぢしめる 沓の音に 音なき雨を 庭に聞くかな
> ながむれば 春雨降りて かすむなり 今日はたいかに 暮れがてにせむ
> 今さらに雪は降らめや雨だれの音もしづけき夜もあけなば
> めづらしく 酒も飲まずに 籠もりけり 酔ひに飽きたる 春雨の夜
> 雨はゆき 雪は雨にと かはるらむ なまあたたかき 春のよはかな
> 春雨や いそぐともなき こよひこそ こころしづけく 家ゐすべかれ
> 春の野の 雨のたまれる 土のうへを 歩かまほしき ここちもぞする
> 妹と出でて 若菜摘みにし 岡崎の 垣根恋しき 春雨ぞ降る
> ふりけりな 音にはたてぬ 春雨の 見れば草葉の 上ぞ濡れゆく
> 春雨は ふりしきれども 鴬の 啼く音のいろは うつろひもせず
> 春雨は 草木のための めぐみかや 降るにまかせて 緑ますらむ
> 春雨は とひ来る人も あと絶えぬ 柳の門の 軒の井戸水
> 春雨の 軒たれこむる つれづれに 人に知られぬ 人のすみかか
> 浅緑 みじかき草の 色ぬれて ふるとしもなき 庭の春雨
> ぬばたまの 夜の夢の間も ふる雨の 音おそろしき 春の山里
> おもしろく 雨降るからに 春の夜を みじかしと思ふ はじめなりけり
> 花も見ず 鳥をも聞かぬ 雨のうちの こよひの心 何ぞ春なる
> 雨はれぬ 椿がもとの にはたづみ 花のひびきに 驚かれつつ
> 花を見て 浮かるる民を 諫むるか みそぎせよとや 春雨の降る
桜
待桜
> 花の色に 心もそめぬ うなゐ児の 昔よりこそ 春は待たるれ
> 桜花 まつにつれなき こずゑかな 人たのめなる かすみのみして
> 散ることは はやしと思ふを 櫻花 ひらくる程の あやに久しき
> のどかなる あたら春日を 花も見で 咲くを待ちつつ いくか経ぬらむ
> 待ちわぶる 桜の花は 思ひ寝の 夢路よりまず 咲きそめにけり
> 待ちわびぬ 桜の花よ とく咲かば とく散りぬとも よしや恨みじ
> 待ちわびぬ けふ色見せよ 桜花 明日は散るとも さらは恨みじ
咲初桜
> いつはらぬ 春の日数を かぞへ来て 山のさくらは 咲きそめにけり
> うらうらと のどけき春の 心より にほひいでたる 山さくら花
> をととしも こぞもことしも 手折り来て 君ぞ見せける 初桜花
> 山桜 咲きそめしより わたつみの おきな心も 花になりぬる
桜花盛
> 春の日も ややたけしばの 浜づたひ 磯山ざくら 見つつ飽かぬかも
> ちはやぶる 神代のさくら なにゆゑに よしのの山を 宿としめけむ
> 吉野山 霞の奥は 知らねども 見ゆる限りは さくらなりけり
> 春ごとに 花のところと たづねても 見ぬおく残る みよしのの山
> 谷わたる 道はあらねど いとふりし 寺こそ見ゆれ 花にこもりて
> きのふけふ 花のもとにて 暮らすこそ わが世の春の 日数なりけれ
> 咲きもそひ 散りもはじめて 花桜 うきうれしさの まじる雨かな
> しづかなる 時を求めて いづくにか 花のあたりを ともにたづねむ
> 日くれねど あふ人もなし 山桜 あたりは滝の 音ばかりして
> 疾きは散り 遅きは咲きて 山はみな 木の下までも 桜なりけり
> かげろふの もゆる春日の 山桜 あるかなきかの かぜにかをれり
> ことさらに ことしげき世を 逃れても 見るべきものは 桜なりけり
> 老いぬれば 何につけても いとふ身を 花には飽かぬ この世なりけり
> ひととせの 花てふ花を 尽くしても さくらにたぐふ 色やなからむ
> 咲きしより 花になりぬる 心とて 四方の山辺に 散らぬ日ぞなき
> 敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花
> めづらしき こまもろこしの 花よりも 飽かぬ色香は さくらなりけり
> もろこしの 人に見せばや みよしのの よし野の山の 山さくら花
> 外つ国の 人に見せばや 武蔵野の 千代田の城の 春の盛りを
> 世の中に よしのの山の 花ばかり 聞きしに勝る ものはありけり
> みよし野の 花は日数も 限りなし 青葉の奥も また盛りにて
> 花とのみ 思ひ入りぬる 吉野山 よもの眺めも たぐひやはある
> 脱ぐも惜し 吉野の花の 下風に 吹かれ来にける 菅の小笠は
> かへるさを 風よりさきに ちぎりても 花に忘るる 山の下道
> ことしげき 世をもわすれて つくづくと 心をわけぬ 花にむかひて
> 風あらき 木曽山桜 この春は 君を過ぐして ちらばちらなむ
> この花に なぞや心の まどふらむ われは桜の 親ならなくに
> 糸桜 苦しき旅も 忘れけり 立ち寄りて見る 花の木陰に
> みよしのを わが見に来れば 落ちたぎつ 瀧のみやこに 花散り乱る
桜咲く 不破の山路は 関守の 住まずなりても 人を止めけり
> むそぢあまり 花に飽かずと 思ひきて 今日こそかかる 春にあひぬれ
> 風吹けば 池のさざなみ うちなびき みぎはに寄する 花のうたかた
> 桜ばな みやこならねど 春来れば 色はひなびぬ ものにぞありける
> 桜ばな 散りなむのちは 見も果てず 覚めぬる夢の ここちこそせめ