> 見しやいつ 咲き散る花の 春の夢 覚むるともなく 夏はきにけり
夏衣
> 夏衣 断ち切る今日の しらがさね 知らじな人に うらもなしとは
> 宮人の 卯月の袖も 榊葉の 神さびにける 夏衣かな
> 夏衣 ひとへに春を しのぶかな あかで別れし 花のなごりに
> 夏衣 着て訪ぬれば 九重に 咲き遅れたる 八重桜かな
> 渡殿を 行き交ふ裾も かろげなり 夏立つけふの きぬの追ひ風
> 人妻の これや卯月の 夏衣 馴るれば替ふる ならひある世に
遅桜
> ことの葉の 露も添ひける 初花に 遅れし枝を いかが見るらむ
> 夏やとき 春や遅れし 卯の花に 咲きあはせたる 遅桜かな
> 遅れては ものすさまじく 見ゆる世に 今も桜の めづらしきかな
> うず桜 のこる鞍馬の つづらをり 行くかとみれば 帰る春かな
常夏の花
> 常夏の 花をのみ見て 今日までに あきをも知らで すぐしけるかな
> いまさらに ちりをもたれか 払ふべき あれにし宿の 常夏の花
菫
> むらさきの 濃染めの袖と まがふまで すみれ摘みもて 帰る里人
> すみれ咲く 浅茅が原は 踏み分けて 問ふ人無きも さもあらばあれ
かはづ
> 我が宿の 清き川瀬に 鳴くかはづ 世にある人は 聞かで過ぐらむ
> 堰き入るる 水のかはづも 釣るばかり 門田の柳 糸垂れてける
> しめはふる 苗代小田に 鳴くかはづ みなぐち近く つまや見ゆらむ
> 夕されば 蛙なくなり 飛鳥川 瀬々ふむ石の ころび声して
> 雨そぞく 池の浮き草 風越えて 波と露とに かはづ鳴くなり
> 谷水の 岩漏る音は 埋もれて すだくかはづの 声のみぞする
> 山河を まかせてみれば 春来ると 苗代小田に かはづ鳴くなり
早苗
> うづまさの 杜にひびきて 聞こゆなり 四方の田歌の 夕暮れの声
> 香具山の 尾上に立ちて 見わたせば 大和国ばら 早苗とるなり
> 五月雨を 思ひのままに せき入れて 小田のますらを 早苗とるなり
> 植ゑわたす 麓の早苗 ひとかたに なびくと見れば 山風ぞ吹く
> 五月雨は 降るとも行かな 墨の江の みとしろ小田の 早苗取り見に
> 木をめぐり ねぐらにさわぐ 夕烏 すずしきかたの 枝やあらそふ
> おほぞらの みどりに靡く 白雲の まがはぬ夏に なりにけるかな
> 朝なあさな 濡れて色添ふ 若かへで みどりをさへや 露は染むらむ
藤
> 春と夏 こなたかなたに 咲く藤の 花やいづれに なびくなるらむ
ほととぎす
> ほととぎす さつきならねど 鳴きにけり はかなく春を すぐし来ぬらむ
> あしびきの 山はとほしと ほととぎす 里に出でてぞ ねをば鳴きける
> 花こそあれ はなたちばなを 宿に植ゑて やまほととぎす まつぞ苦しき
> ほととぎす 待つほどとこそ 思ひつれ 聞きての後も ねられざりけり
> ほととぎす はやまのすそを たづねつつ まだ里なれぬ はつねをぞきく
> よもすがら 宿にこずゑに ほととぎす まだしきほどの こゑを待つかな
> やまぢにて 声やあはせむ ほととぎす いづれはかへる春のうぐひす
> 夏木立 しげらば来鳴け ほととぎす さくらが枝に 春を忘れむ
> ゆめぢには 定かにもなき ほととぎす 今ひとこゑを 寝覚めにぞ待つ
> 寝てや聞く 覚めてや聞きし 夏の夜の 夢のさかひの 山ほととぎす
> あしびきの 山田の原の ほととぎす まづ初声は 神ぞ聞くらむ
> 鳴く声に おどろかれけり ほととぎす 奥山にこそ 棲むと聞きしか
> たづね入る 山のかひあれ ほととぎす ただひと声は ほのかなりとも
桑
> 今よりは 葉取り乙女ら にひくはの うら葉取るべき 夏は来にけり
> さみだれの 雲吹きすさぶ 朝風に 桑の実落つる 小野原の里
> 七夕に もの思ふことし 書きたらば 今日は心も なぐさみなまし
> 日を経れば 竹の落ち葉も さみだれて 苔路もわかず とふ人もなし
> 夕暮れの 風を涼しと ねぶる間に 蓮の一花 散り尽くしけり
> 夏河に 光をみせて 飛ぶ魚の 音するかたに 月はすみけり
あぢさゐ
> 今もかも 来ませ我が背子 見せもせむ 植ゑしあぢさゐ 花咲きにけり
> うつりゆく 日数を見せて かたへより 濃く薄くなる あぢさゐの花
蝉
> 鳴く蝉の 声高くのみ 聞こゆるは 野の吹く風の 秋ぞ知らるる
> 明けぬれば 樗花さく 葉隠れに やめばつがるる ひぐらしの声
> 夏の日の 暮るるも知らず 鳴く蝉を 問ひもしてしか 何事か憂き
蚊
> 降る雨に 蚊遣りのけぶり うち湿り いぶせくみゆる やぶなみの里
> 夕かけて 小雨こぼるる たかむらの 蚊のほそ声に 夏を知るかな
> 夕日影 にほへる雲の うつろへば 蚊遣火くゆる 山もとの里
> 蚊も寄らず 扇も取らで 月涼し 夜は長かれよ 短きは惜し
蛍
> 夜半の風 麦の穂立ちに おとづれて 蛍とふべく 野はなりにけり
> 行く雲も 蛍のかげも かろげなり 来む秋近し 夕風の空
> 水よりも すずしかりけり 薄物の 片身をもるる 夏虫の影
夏木立
> 夏木立 今はいずれを 梅さくら わけむ方なき 若緑かな
> 薄く濃く 色をならぶる 夏木立 花よりまたも めづらしく見ゆ
> 夏木立 軒端にしげく なるままに かずそひまさる せみのもろごゑ
> 橘の 陰ふむ道に しのべども 昔ぞいとど 遠ざかりゆく
> 秋近く はちす開くる みづの上は くれなゐ深く 色ぞ見えける
夕立
> たが里の よそなる雲と 思ふまに やがてはげしき ゆふ立の空
> 鳴る神の ただ一とほり 一里の 風も涼しき 夕立のあと
> 夕立の 風にきほひて 鳴る神の ふみとどろかす 雲のかけ橋
> をとつひも 昨日も降りし 夕立は けふも降るべし 雨づつみせむ
> けふもまた よそにと見しを 上蔀 おろす間もなき 夕立の雨
> 夕立の 雨きほふ野の 一つ松 たのむかげとや 急ぐ旅人
> 知る知らず 宿りし人の 別れだに 言葉残りて はるる夕立
> 鳴る音は 雲に聞こえて 軒端には つづみが滝を 流す夕立
> 新田山 うき雲さわぐ 夕立ちに 利根の川水 うはにごりけり
> 賤の女が 門のほしうり 取り入れよ 風夕立ちて 雨こぼれきぬ
> 潮を吹く 沖の鯨の わざならで 一筋曇る 夕立の空
> 海原や 水撒く龍の 雲の浪 はやくもかへす 夕立の雨
> ゆふだちの 過ぎても高き 川波を うれしがほにも 登る真鯉や
> 夕立の 杉の梢は あらはれて 三輪の檜原ぞ またくもりゆく
> 水上は 夕立すらし 見るがうちに 一すぢにごる 里のなか川
> 秋にまだ 色はならはぬ 葛の葉の 裏吹きかへす 夕立の風
> 夕立の 晴れゆく雲の 絶え間より 入り日に磨く 露の玉ざさ
納涼
> 妹と我 ねやの風戸に 昼寝して 日高き夏の かげをすぐさむ
> 入日さし 蜩の音ねを 聞くなべに まだきねぶたき 夏の夕暮
> 夕涼み 葦の葉みだれ 寄る波に ほたる数そふ あまの漁り火
> 青みわたる 芝生の色も 涼しきは 尾花さゆるぐ 夏の夕暮れ
> 朝風に さゆるぐ沢の 末遠み 庭ともわかぬ 野辺の涼しさ
> 涼しさに 夏もやどりも ふるさとに 帰らむことも みな忘れけり
> ただひと目 みえぬる我は いかならむ ふるさとさへに 忘るてふ君
> ふるさとは 思はずとても たまさかに あひ見し君を いつか忘れむ
> 川岸の 根白高萱 風吹けば 波さへ寄せて 涼しきものを
> いかで我れ もるてふ人に 身を代へて ひむろの山に 夏を過ぐさむ
> 夏来れば 世の中せばく なりはてて 清水のほかに 住みどころなし
> いにしへは 死にたる人も 多からむ きのふやけふの 夏の暑さは
> おのづから 手向け顔にも 咲きいづる 花の八千草 星の逢瀬に
> 夏来れば 茂る木立の 中にしも 緑をそふる ならの葉柏
> 結ばでも 涼しきものを しづくには よしや濁さじ 山の井の水
晩夏
> うら風は 夕べ涼しく なりにけり 海人の黒髪 今かほすらむ
> 暑き日は 秋来ることを 待ちながら さらにおどろく 今朝の涼しさ
> 森のひま 漏りてや秋の 通ふらむ かむなび川の みそぎ涼しも
> 日暮るれば 下葉木暗き 木の下に ものおそろしき 夏の夕暮れ
> 夏の日を いとひて来つる 奥山に 秋も過ぎたる 松の風かな
> 水無月の 川沿ひ柳 うちなびき 夏越しのはらへ せぬ人ぞなき