後三条天皇
後三条天皇の御製を探しているのだが、なかなか無い。 『新古今集』 > みこの宮と申しける時、太宰大弐[実政](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9… 続きを読む »
後三条天皇の御製を探しているのだが、なかなか無い。 『新古今集』 > みこの宮と申しける時、太宰大弐[実政](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9… 続きを読む »
たづね来ぬ先にも散らで山桜見るをりにしも雪と降るらむ 山高みをのへに咲ける桜花散りなば雲の晴るるとや見む しぐれつつかつ散る山のもみぢばはいかに吹く夜の嵐なるらむ やまびこの答へざりせばほととぎす他に鳴く音をいかで聞かま… 続きを読む »
藤原清輔は藤原俊成より10歳年上であり、 清輔には歌論書『奥義抄』があり、 俊成には『古来風体抄』がある。 清輔は治承元年に死んでいるから、源平の争乱直前までしか知らなかった。 『古来風体抄』が『奥義抄』の影響を受けてな… 続きを読む »
ふと思えば、一年以上和歌を詠んでない。 いや、『新井白石』の中に出てくる歌は詠んだんだけど。 > ひとりもるしづが千代田の岡におふるまつてふ心君につげばや 千代田の岡というのは明治天皇が好んだフレーズなんだよな、実は。 … 続きを読む »
祖父は昭和二十年当時、国民学校の訓導、つまり今で言う小学校の教諭だった。 四月四日、訓導にも動員令が下ったと、 祖父は「応招前記」という日記に書いている。 面白いのは毎日のように和歌を詠んでいることで、 祖父が和歌を詠む… 続きを読む »