日本国紀

松平定信や白河天皇に対する評価なんて、ほんとに一番ダメな部分の水戸学の影響を受けた、ほんとに駄目な薩長の史学を受け継いでる。だからネトウヨはダメなんだよ。ホンモノの勤王、ホンモノの水戸学を知らない。本当の歴史を知らない。ごく大雑把に言えば司馬遼太郎程度の史観しかない。

徳川幕府が260年続いたのはともかくもうまく治めたからだよ。足利幕府や鎌倉幕府と比べてみれば一目瞭然。明治維新からまだ160年。あと100年もたなきゃ薩長は徳川には勝てないよ。

特に、松平定信は名宰相と言って良い。彼がいなければ徳川幕府はもう少し短命だったかもしれんね。家継の後、吉宗が将軍になってちょっとましになり、孫の定信が出たから100年くらいは寿命が延びたんじゃないか。大政委任論は定信が完成させたんだがそれは彼が尊皇だったからだよ。宣長の思想をちゃんと理解できてたからだよ。宗教音痴の家康からはそんな発想は全く出てこなかったと思う。薩長に比べれば徳川宗家はずっと勤王、尊皇だよ。ひどいもんだよ明治政府が作った皇室典範なんてさ。開国して富国強兵が国是だったからある程度仕方ないとしてもだよ。

家康は浄土宗から天台宗に改宗したり、天海とか林羅山とかわけのわからない坊主を側近にした新興宗教狂い、宗教音痴で、日本人を宗教でがんじがらめにしようとした。そのうえ健康オタクでどうしようもないヤツだった。その成れの果てが林家であり湯島聖堂だったわけ。朱子学とは似ても似つかぬ邪教になってた。家康のせいで日本人はますます宗教音痴をこじらせた。定信はこりゃいかんと思ってそこをちょっと改めただけだよ。普化宗とか虚無僧とかアホみたいな宗教流行らせたのも家康だよ。

日本国紀

そうそう。為永春水の小説なんか読むと書いてあるんだがなあ。

日本国紀

ポツダム宣言を受諾したのも、ひとえに当時の大日本帝国政府の大臣らが無知だったせいなんだろうなあ。

三国干渉を飲んだのも当時の明治政府が無知だったからなんだろうな。

日本国紀

今更ブログでいろいろ書きたいことがあるわけでなく、また、酔った勢いでツイッターであれこれ書くのももうやめようと思っているのだが、本は売りたいと思っている。だから本の宣伝になるようなことはしたいと思っている。あと、ツイッターで書き散らしたことも、ある程度こちらでまとめ読みできるようにしておこうという気持ちがある。

『日本国紀』の初版が出たときは、私も買ってみて読んで、Shin Hori氏や、桜ういろう氏、事務カリー氏らと競っていろいろアラを探したりしたのは楽しい思い出だ。私は単なるうっかりミスとか、Wikipediaの引用なんかにはさほど興味はなかったのだ。誰だって本を書けば間違いの一つや二つはあるよ。それは改訂版出すときに直せば良い。著者の芸風というか、ビジネスモデルに文句言っても仕方ないしそういう辺りにのめり込む趣味は無い(ってあたりがワイが左翼とは違うところか)。

問題はその間違い方にあるわけで、間違う背景に、非常にいびつな、偏った、よく調べもせずに決めつけたような歴史観があるのが気に障ったわけだ。たとえばヨーロッパ諸国はみな君主国というのはおかしいわけで、古代には共和制アテナイや共和制ローマなどがあったわけだし、中世、近世、近代にも共和国はあった。「重箱の隅」の「驚くほど小さなミス」というより、歴史事実から知見を得ようとせず、逆に自分の主義主張趣味を歴史に当てはめようとする態度が気に入らなかったわけでしょ。

確かにこういう重箱の隅突きなども面白がってやったわけだが、これなども、大学生が適当にレポート書くというのとは訳が違う、物書きとして、本を出版する人間がこういう孫引きをしてはならんというところに憤っているわけですよ。参考文献があるなら書くべきだし、単なる歴史読み物だから参考文献は付けないというならそう断るべきだし、「本当の歴史」などと謳うべきじゃないだろってことを、多くの物書きや研究者が指摘しているのに、それに気づかないふりをしている。本物の歴史なんて言われちゃこちらも反論せざるを得んだろ。「葬り去ろう」というより、自分らのいる領分から「排除」したい、区別したいという気持ちはある。ああいう本が世の中の一部の人たちでちやほやされるのはもう仕方ないと諦めている。

事件物の雑味

鬼平犯科帳全24巻中第21巻辺りまで読んだのだが、だんだんに雑味が増えてきたように思える。コロンボ全69話を3分の2くらいまで見たときにも同じような気持ちになった。最初の頃は、話も面白く、濃くて、殺人事件とか強盗というネタを扱っていながら、時にユーモアも交えてあり、爽快感もある。しかしだんだんと話がドロドロと陰鬱になってきて、リアリティはあるんだろうが、読んでて気持ち悪くなってくる。犯罪なんだから気持ち悪いのは当たり前で、それを敢えてエンターテインメントに仕立ててあるのだが、つい生のどろどろした部分が、濾過されないままに出てくるという感じか。惣菜の刺身を買ってくれば良いのに、サクを買ってきて自分で切ってみると中に寄生虫がいて食欲を失うような感じと言えば良いか。ウィキペディアなんかも、普通に読んでる分には良いが、底の底までデータをさらって分析しようとすると、気持ち悪い、読まなきゃよかったようなことまで読まされてしまう。

シリーズものとはそうしたものなのかもしれないが、原作者や演出家も、やりたいことはもう大抵やり尽くしてしまって、無理に新作を作ろうという気は失ってしまって、しかし続きを出せばそこそこ売れるとわかっていれば、周りから言われてどうしても続けなくてはならない。あまり使いたくない、一度ボツにしたネタなども使ったりするのだろうか。

読めば読むほどわからなくなる本居宣長

『神社発信』という雑誌の vol.3 (2018年3月発行) から vol.8 (2019年4月発行) まで「読めば読むほどわからなくなる本居宣長」という記事を連載していた。私はこれを複数の人に読んでもらい、感想を聞くことができたのだが、表題の通り「読めば読むほどわからなくなる」というか「読んでも何が書かれているのかよくわからない」と言われた。別に難しいことを書こうと思ったわけではない。一般に宣長は難しいと考えられているが実は簡単なのだけど、宣長は誤解されていて、それら先入観を捨てないと宣長は理解できない。彼を読み解くにはそれなりの準備と時間と手間をかける必要があるから辛抱してついてきてね、途中で宣長100%わかったと思ってもそれは勘違いだから気を付けてね、という程度の意味合いだった。

よくわからない文章を書く人にはさまざまなタイプがあると思う。ハイデッガーとかヴィトゲンシュタインとか?あれも彼らの思想背景を理解しドイツ語の原文で読めば(つまりドイツ語のこまかなニュアンスがわかるネイティブスピーカー並の感性があれば)読めるのかもしれん。
小林秀雄などはいわゆる「悪文」タイプで、感覚的に思いついたことをあれこれ書いていて、文章もうまいのだろうけど、結局何が言いたいのかわからない、言いたいことはあるらしいがまったく根拠が示されてない、なんとなくそれっぽい雰囲気だけの、従って読んだ後に何も残らない。そういうたぐいの文章だと思う。たぶん小林秀雄の文章というものはBGM代わりに朗読かなにかしてもらえば良い気持ちになる、という程度のものだろう。しかしそういう彼にも一定のファンがついてて、そういう文章を愛でるのだ。白洲正子がまさにそういうファンの一人で、しかし彼女は、小林秀雄晩年のライフワーク『本居宣長』に関しては、全然面白くないと、本人を前にそう言っている。私はまったく逆で、私にとって小林秀雄の『本居宣長』以外の文章はちんぷんかんぷんで何を言いたいのかさっぱりわからないのだが、『本居宣長』に関してはちゃんと時間をかけて取材もしてるし、他の人が指摘しなかったような新しい知見があちこちに見られるのだ。誤解を恐れず言えば小林秀雄はもともと「文系的」な文章を書く人だったが、『本居宣長』に至って初めて「理系的」な、中身のある、明確な主張のある文章を書いた、いや、書こうと努力したのだと私には思える。

人をわかったような気にさせる文章を書くのはたやすい。逆に、わかったような気になっている人にわからせる文章を書くのは難しい。

小林秀雄の『本居宣長』はまず彼が宣長の墓参りをするところから始まる。町中の寺にある仏式の墓と、山奥にある神道式の墓だ。この二つの墓の対比がまさに宣長なのであり、導入であり、つかみなのであり、つまり、宣長という人の二面性というか多面性を如実に表す象徴でもある。小林秀雄らしい文芸的なイントロダクションでもあり、同時に極めて示唆に富んだ問題提起でありインスピレーション(霊感、直感)なのだ。少なくとも私にはそう思えた。
小林秀雄も最初はとりあえず取材の手始めに、墓参りでもするかというくらいの気持ちだったのかもしれないが、現地を訪れてやはり何かの霊感を得たのだろうと思う。
しかし普通の人がみれば、なんだ、わざわざ松坂まで墓参りしに行ったのか、で終わりなのだと思う。
私も一度目はそう思ったかもしれない。しかし何度か読むうちにこのイントロダクションに重大な意味があるように思えてくるのだ。
なぜ仏式と神式二つの墓があるかといえば宣長は若い頃は仏教が大好きで、のちに国学者になってもその趣味は消しがたかったからだし、
あるいは徳川家康が仏教を奨励してたから、人は嫌でも寺に墓を作らなくてはならなかったからでもある。
宣長はまず寺で葬式を済ませたあと遺体を山の墓に運ぶよう遺言した。なるほどいかにも宣長らしい。
しかしふつうは、はいはい墓参り墓参り、でそれ以上読むのをやめる。
小林秀雄の『本居宣長』を何度も何度も熟読する人はいない。たいていは最初をちらっと見て読むのをやめてしまう。
なぜかと言うに人は自分が読みたい宣長を読もうとするからだ。小林秀雄がそれ以外の宣長について語ろうとしても、頭の中には入っていかない。

途中、中だるみというか、冗長な回もあると言えばあるが、50回も100回も連載しようとなればそういう、過去に遡った事実の羅列に過ぎない「仕込み」の回がどうしても必要になる。私も連載をやってみて気づいた。面白い回を書くにはしばらくつまらない回を書かねばならぬけれど、それなりの緊張感を持続しつつときどき、おーっと思わせるような明察を披露したりするのだ。
小林秀雄の『本居宣長』に挫折した人は多いと思う。連載はもっと長くてそれを縮めてああなったというから、連載をリアルタイムで読んでいた白洲正子にとっては、まさにつまらなかったのだろう。

『読めば読むほどわからなくなる本居宣長』に関して言えば、連載の話が来ていきなり原稿を書き始めたので初めは何について書こうかなと考えながら書いていた。A4版の全ページカラーの雑誌なので文字ばかり並べてはもったいないと思ったから、国会図書館のデジタルライブラリーから浮世絵なんかをできるだけ探してきて載せようと考えた。1回目と2回目はそんなふうに書いた。書きながら、幕末の薩長から見た宣長と、徳川の幕臣から見た宣長とは全然違うんだなってことに気づいた。
宣長は町人から取り立てられて紀州の家臣になった。つまり侍になった。尾張藩士にも弟子がたくさんいて、つまり、紀州と尾張の徳川家には一目置かれる存在だったし、宣長の「みよさし論」は、同時代の松平定信にも大きな影響を与えた。武士としての宣長、幕臣としての宣長という視点が欠落している。もちろんそのことに気づいて研究している人はいるのだが、世間には知られていない。
小林秀雄も気づいてはいたのだろうがそこについてはあまり掘り下げてない。
なので代わりに私が書いてやろうと思った。
宣長は松平定信に天明の飢饉の対処方法について献策した。定信は表立って宣長の意見を聞いたわけではないが、たぶん大いに参考にしただろうし、紀州・尾張の幕臣たちには宣長の思想が深く浸透していった。宣長は積極的に幕政に関与しようとした。もし定信が受け入れていれば宣長はもっと積極的に、活発に政治的発言をしただろうと思う。

とそういうことを連載していくうちに書いていこうと思い、とりあえずじっくり仕込みから入ろうと思ったのだが、本論を述べる前に連載は8回で打ち切りになった(神社発信が休刊になったから)。
で、人に聞くと、最初の1回目と2回目くらいは面白かったが、それからつまらなくなったと言われた。
人の見方というものはそうしたものなのだなと思った。
私も小林秀雄の轍を踏んだのだった。

『虚構の歌人 藤原定家』にしても、難しすぎると言われる。確かに私が読んでもそうだ。特に最初から通して読もうとしたときなど。だが、ときどき思い出して、一つの箇所をじっくり読み直してみるとけっこうするどいこと書いてるなと思えたりする。
『エウメネス』も加筆修正を繰り返していくうちにだんだん読みにくくなってしまった。自分で読んでても読みにくいんだから他人はもっとそうだろうと思う。
もちろん私の文章には私からみてもまだまだ推敲が足りてない、考察やサーベイが浅い、と思われるところがあるが、では推敲し、考察し、サーベイを加えれば加えるほどに今度は非常に読むのがつらい文章になっていく。これはどうにもしがたい。

夏目漱石はある意味で幸せだった。最初、我が輩は猫であるとか三四郎のようなわかりやすい小説で読者を獲得し、だんだんに難しいものを書くようになったが読者は我慢してついてきてくれた。ただ漱石が作った漢詩は誰も評価してはくれなかったが。別の意味では、漱石もまた、『晩鐘』『落ち穂拾い』を描いたミレーのように、あるいは若い頃に『ゴッホの手紙』を書いた小林秀雄のように、自分が良いと思う作品を他人が評価してくれない典型なのかもしれない。

鬼平犯科帳再論

ここの記事を整理していて昔自分で鬼平犯科帳について書いたものを見つけたのだが、今とはかなり認識が違っていて驚く。
当時私はまず、さだまさしが出ていたテレビドラマの鬼平犯科帳を見て、次に、私が通院している病院の待合室に置いてあったさいとうたかをの鬼平犯科帳シリーズを読み始めた頃だ。それから刑事コロンボBlu-rayボックスも平行して見つつ、原作全24巻の鬼平犯科帳も読み始めた。

さだまさしが出たのは中村吉右衛門が鬼平を演じる、犯科帳テレビドラマシリーズの最後、2016年のものだ。1969年から2016年まで、50年近くかけて、主演もさまざまに変わりながら、原作をテレビドラマとして骨肉化した最終形態だったと言える。
その後もしばしば他のドラマ版鬼平をみたが、それらは決して原作をそのまま忠実にドラマ化しているのではなく、配役を増やしたり減らしたり変えたり、原作のいくつかのネタを合わせて一本にしていたり、くノ一みたいな女盗賊を加えたりして、かなり脚色している。
原作はほぼ時系列につながった長大なストーリーであって、これをドラマにぶつ切りにしては、見る人は到底理解することはできないだろう。

原作者の池波正太郎はぎりぎり大正時代に生まれ、前近代的雰囲気を残す江戸をある程度まで実体験し得た人だ。だからこそ町の雰囲気や、情景描写や、あと盗賊のあだ名の付け方などに非常にリアリティがある。今の人がどんなに想像を膨らませてもあんな盗賊の名前は思いつかないだろう。
テレビドラマではそこらのディテイルがかなり削られ、現代風に相当様式化されていて、リアリズムを失っている。1950年代に作られた時代劇が今の時代劇とは全然雰囲気が違うのと同じだ。
例えば今の時代劇には、田舎の河原や田んぼでヤクザどうしが大勢でチャンバラをするなどというシーンはほぼ出てこない。たいていどこかの武家屋敷の中庭辺りで斬り合うばかりだ。しかしおそらく昔は、つい最近まで、こうしたヤクザどうしの喧嘩が見られていたのではなかろうか。昭和残侠伝や、あるいは鬼平の原作などでは刀の他に槍や弓矢も出てくるが、こうした道具は今の時代劇で出てくることはほとんどなく、刀と刀のいわゆる殺陣という形に様式化され、多様性を失っている。

さいとうたかをの鬼平犯科帳は比較的原作に近く作られているほうだと思う。

原作に関して言えばこれだけ長い小説をこれだけ中だるみもせずに書けたのはすごいと思うが、おそらくこれは池波正太郎一人の力というよりは、取材やシナリオ作りを大勢のスタッフが助けたためと思われる。こういうプロットがしっかりしていて、人気がある小説というのは、出版社としても金づるだから、元手も人手もたっぷりかけたに違いない。それは刑事コロンボも同じだったはずだ。

吉川英治が書いた太平記や平家物語は実際現代小説を単に舞台だけ過去にもっていった時代小説にすぎなかった。あんなものを読むくらいなら普通に現代のサラリーマン小説を読んだ方がましだ。
しかしながら、少なくとも原作の鬼平犯科帳は、野村胡堂や岡本綺堂らにリスペクトを払いつつ、松平定信時代の江戸を忠実に再現しようという明らかな意図をもって書かれたものだと思う。恐るべき傑作だと思う。
残念ながら、『相棒』にせよ『古畑任三郎』にせよ、刑事コロンボほどの金と人手はかけられないと思うよ。

これだけ私がこうした刑事物にのめり込んだのは私自身『潜入捜査官マリナ』という警察捜査ものを書いたからだ。
いろんな刑事物を読みつつ『マリナ』にはかなり加筆修正を加えた。
自分で書くことによって他人の作品も何倍も面白く読めるし深読みできるようになるしもちろん執筆の参考になると思う。

野性の呼び声

2020年公開の「野性の呼び声」という映画を見た。ハリソンフォード主演でなければ見ることはなかっただろう。ある意味この映画がそこそこ良い出来だったので、インディージョーンズ新作の話が出たのだろう。
原作の小説があり、すでに5回も映画化されており(1908, 1935, 1972, 1997, 2009)、よほどアメリカ人受けするネタなのだろう。
犬のCGが非常に稚拙だが、最後まで一気に見たので、私としてもまあまあ楽しめたということになる。