機動戦士ガンダム THE Origin
「機動戦士ガンダム THE Origin」なんだが、 comic-walker などで無料の試し読みが見れるので、読んでみたのだけど、 これはねえ。 安彦良和の悪いところが出てしまっているというか。 「王道の狗」「虹色のトロツキー」なんかは好きで読んだけど、 それとおなじノリをガンダムでやられると、正直つらいところがある。 「麗島夢譚」的なノリというか。 フラウボウとアムロ、ミライとブライトの関係なんかも見ててはがゆい。
「機動戦士ガンダム THE Origin」なんだが、 comic-walker などで無料の試し読みが見れるので、読んでみたのだけど、 これはねえ。 安彦良和の悪いところが出てしまっているというか。 「王道の狗」「虹色のトロツキー」なんかは好きで読んだけど、 それとおなじノリをガンダムでやられると、正直つらいところがある。 「麗島夢譚」的なノリというか。 フラウボウとアムロ、ミライとブライトの関係なんかも見ててはがゆい。
Kindle Unlimited に反応したのは一部のコアな KDP ユーザーだけだったように思う。 多くの人々はまだその存在が意識の片隅をかすめただけなのだろうと思う。 多少売れたり読まれたりしたのは一過性だったのではないか。 一部のユーザーが読みたいものを一通り読み終わってしまうと沈静してしまう。 これが継続して、右肩上がりになる、というのは早計だった。 もちろん長期的にこれからずっと観察してみる必要がある。 「内親王遼子」がまったく売れておらず「エウメネス」はそこそこ売れているのは(といっても何千部も売れたわけではない)、 「内親王遼子」が私の完全オリジナルな架空のキャラクター、架空の世界を描いた作品であるのに対して、 「エウメネス」は世界史を一通り学んだ人には既知の世界だからだと思う。 とすると、今度の「斎藤さん アラカルト」は売り方を工夫しないと、「内親王遼子」状態になりかねない。 「斎藤さん」にはいろんな要素を盛り込んだ。いろんなタイプの読者の琴線に触れるように、 いろんなストーリーをアラカルトにしてみたのだ。 一番売れ筋のミステリーや推理こそないが、ファンタジー系の風味も少し加えてみたし、 藤原頼長、レオニダスなど、歴史物もやり、 剣豪物もやり、 三島由紀夫のオマージュみたいなものを書いた。 一通り私が書くジャンルが一冊に網羅されている。 長編にはレビューがつかない。… 続きを読む »
「来たか、ちょうど好い口が出来た。実はあれからいろいろ探したがどうも思わしいところがないんでね、――少し困ったんだが。とうとう旨うまい口を見附めっけた。飯場の帳附ちょうつけだがね。こりゃ無ければ、なくっても済む。現に今までは婆さんがやってたくらいだが、せっかくの御頼みだから。どうだねそれならどうか、おれの方で周旋ができようと思うが」 「はあありがたいです。何でもやります。帳附と云うと、どんな事をするんですか」 「なあに訳はない。ただ帳面をつけるだけさ。飯場にああ多勢いる奴が、やや草鞋わらじだ、やや豆だ、ヒジキだって、毎日いろいろなものを買うからね。そいつを一々帳面へ書き込んどいて貰やあ好いんだ。なに品物は婆さんが渡すから、ただ誰が何をいくら取ったと云う事が分るようにして置いてくれればそれで結構だ。そうするとこっちでその帳面を見て勘定日に差し引いて給金を渡すようにする。――なに力業ちからわざじゃないから、誰でもできる仕事だが、知っての通りみんな無筆の寄合よりあいだからね。君がやってくれるとこっちも大変便利だが、どうだい帳附は」 「結構です、やりましょう」 「給金は少くって、まことに御気の毒だ。月に四円だが。――食料を別にして」 「それでたくさんです」 と答えた。しかし別段に嬉しいとも思わなかった。ようやく安心したとまでは固もとより行かなかった。自分の鉱山における地位はこれでやっときま… 続きを読む »
Kindle Unlimited でいろんな雑誌を見ているのだが、 別に私はうまい料理屋を知りたいわけでもないし、うまい酒を飲ましてもらいたいわけでもないのだ。 うまいラーメン屋とかには何の興味もない。 うまい料理を食えばそりゃうまいだろうが、五十過ぎて食べ歩きなんかした日には太りすぎてしまう。 今ではほとんどうまいものを食いたいと思わない。 もちろん食うならまずいよりうまいにこしたことはないが、飲み歩く理由はそんなところにはない。 確かにうまい酒と巡り合わせてくれる店はありがたい。 だが、うまい酒が飲みたくて飲み歩いているのでもない。 近頃はあまりにも地域のコミュニティに深入りするのも疲れてきた。 そういうものが面白いと感じたこともあったが、五十過ぎると煩わしくなってきた。 どうすれば良いのか自分でもよくわからんのが、情報誌やテレビなんかまったく役に立たない。 ま、たぶん、最初から広告媒体として編集しているのだろうけど。
CGや特撮がしょぼいのはシャレもあるだろうから、そこは批判しないようにしようと思ってたが、 だいたいは良かった。 それなりにきちんとしている。 この映画のCGをハリウッド映画なんかと比較して叩くとかむなしいだろ。 ただ、いろんな路線の電車に爆弾積んでゴジラにぶつけるCGはダサかった。 いろんな電車がプラレールかなんかみたいにとびちっててなんであんなことするのかと思った。 あれは何か、鉄オタへのサービスのつもりなのだろうか。 電車ぶつけても先頭車両の爆薬くらいしか効かないだろう。 で、呑川をさかのぼってくるサンショウウオだかなんかみたいな形態のゴジラは面白かった。 ああこれがネタバレかと思った。 自衛隊とゴジラの戦闘シーンはよかった。 たぶんこの映画の一番良いところはここだ。 多摩川を挟んで自衛隊とゴジラが対決してゴジラが勝っちゃう。 米軍との戦闘もまあまあだった。 しかしゴジラの背中からビームが何本も出るのは「イデオンかよ」と思って引いた。 ゴジラの口から出すビームが「なんだ巨神兵かよ」と思った。 でまあ電車をぶつけるのはどっちらけだった。 ビルに仕掛けた爆弾でゴジラが下敷きになるのもどうかと思った。 それで口から凝固剤を流し込むのだが、血管注射するならともかく口から入れても入るかしれないし、 入っても胃があるなら胃酸で変質してしまうだろうし、 注入している間ゴジラがおとなしく気絶… 続きを読む »
日本では、摂政というのはずっと天皇の外戚のことだった。 具体的には藤原氏のことだった。 昭和天皇が即位する前に摂政宮となったのは例外であった。 藤原氏が摂政である場合、藤原氏は天皇家の祭祀まではやらない。 藤原氏には藤原氏の氏長者がいて、藤原氏の祭祀があるからだ。 天皇家の祭祀は天皇の専権事項であり続けた。 皇太子や上皇が行うことはあり得ない。 大正期の摂政宮がどうであったか。 詳しくは知らないが、天皇以外が天皇家の祭祀を行うことはちょっと考えにくい。 それはいかなる法律にも、憲法にも書き得ない、天皇家の家訓に関わることであって、 国民とか、日本という国家が変更のしようがない。 介入のしようがない。 昔ならば天皇が譲位して上皇になればよかったがそれは現在認められてない。 明言はまったくされてないが、 > 「天皇の高齢化に伴」い「行為を限りなく縮小していくことには、無理があろう」 とか > 摂政を置いても「生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません」 とはこのことだろうと思う。 天皇が必ずやらなくてはならないこと、摂政に任せられないことは、他には考えにくい。 国事行為ならば、摂政や大臣が代行できる。 問題はそれ以外の部分なのだ。 摂政が全部代行すれば良い、と言っても、外戚の藤原氏が摂政だったという長い長い伝統があるし、 天皇家の内規では天皇しかできないことがあるの… 続きを読む »
戦後七十年という大きな節目を過ぎ、二年後には、平成三十年を迎えます。 私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。 そのような中、何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰… 続きを読む »
小室直樹「三島由紀夫が復活する」の中に 坊城俊民 「焔の幻影 回想三島由紀夫」の次のくだりが引用されている。 >「坊城さん、ぼくは五十になったら、定家を書こうと思います」 「そう。俊成が死ぬとき、定家は何とか口実を設けて、俊成のところへ泊らないようにするだろう?あそこは面白かった」 「あそこも面白いですが、定家はみずから神になったのですよ。それを書こうと思います。定家はみずから神になったのです」三島の眼は輝いた。(中略) 今になって思うのだが、三島は少なくともそのころ、四十五年正月ごろは、進むべきふたつの道を想定していたのではなかったろうか。ひとつは、世人が皆知っている、自決への道である。これを三島の表街道とすれば、裏街道は、定家を書く道であった。裏街道をたどらざるを得ないことが起こったとすれば、それは三島にとって不本意にはちがいなかろうけれども、私は後者をとってほしかった。 これの > そう。俊成が死ぬとき、定家は何とか口実を設けて、俊成のところへ泊らないようにするだろう?あそこは面白かった の箇所は坊城のセリフであって三島ではないのだろう。 「定家が自ら神になった」とは何が言いたいのか。 三島が抱いていた何かの虚像なのだろう。 三島由紀夫や小室直樹が定家を理解していたとはとても思えないのだが、 それはともかくとして 「ぼくは五十になったら、定家を書こうと思います」 というセリフ… 続きを読む »
アリアッノスなんか見てると、 神前に犠牲を捧げて、体育の捧げ物とか音楽の捧げ物とか、競技などを催すのだけど、 これが近代オリンピックのひな形なのだろう。 この、古代ギリシャにおける、 神に捧げる体育競技というイメージと、 今のオリンピックはほぼ何の関係もないような気がする。 こんなものを捧げられた神様はたまったもんじゃない。 オリンピックなんてやめて、 個別競技の世界選手権で良いのではないか。 インフラ整備なんてものをいちいちやる必要ないし。 同じようなもので万博というのももう死んでしまったし。 一度リセットしてみるべきなのではなかろうか。