そうか。ヤシオリは八塩折之酒のことなのか。
なんちゅうか、単なる蘊蓄ネタのオチだったわけね。
前半は割と真面目に作ってるのに、後半は蘊蓄とオマージュとオタクねたで無理矢理まとめてるのが、いまいちなんだよなあ。
そうか。ヤシオリは八塩折之酒のことなのか。
なんちゅうか、単なる蘊蓄ネタのオチだったわけね。
前半は割と真面目に作ってるのに、後半は蘊蓄とオマージュとオタクねたで無理矢理まとめてるのが、いまいちなんだよなあ。
第1巻が無料で面白かったので、第4巻まで買って読んだのだが(最近マンガを買うのは珍しい)、
これはなあ。
作者の意に反して打ち切りになったというより、これ以上話を続けられなかったのじゃないかなあ。
まあ、面白いんだよ。でも、
地球では起きない超常現象が火星では起きることの説明が付かないよな。
付けられれば傑作と言えるかもしれないが、たぶんできなかったんだろうと思うよ、これは。
これじゃあ最後にどんな種明かしがくるかを知るためだけに金払った人は納得できないよ。
『エウメネス4』は今執筆中で近いうちに出るのは、まあ、たぶん間違いない。
『エウメネス2』と『エウメネス3』は書いているうちにどんどん膨らんだので途中でグラニコスの戦いとイッソスの戦いに分けた。
今回もメガロポリスの戦いとガウガメラの戦いを分けて、
『エウメネス4』『エウメネス5』として出す予定だったのだが、
どうもそんなに膨らまない。
メガロポリスとガウガメラは数ヶ月差でほぼ同時に起きた戦いで、
一方はペロポンネソス半島、もう一方はアッシリアで起きた。
それで、メガロポリスのほうはカッサンドロスを主役にしたてて書いてみた。これはこれでまあ良いとする。
古代ギリシャの中でもスパルタはとてもわかりにくい。
スパルタ王はどんな格好をしていたのか。王宮はどんなだったか。服装や髪型は?
「スパルタ王」で画像検索すると例の「300」が出てくるんだが、こんなの絶対嘘だからね。
近世もしくは近代に描かれた西洋美術のイメージで私たちは古代ギリシャを思い描いているが、そのすべては嘘だからね。
おそらく、スパルタ王は、極彩色の唐草模様のような服を着ていた。
古い時代の壁画や壺などに描かれた神や王の絵ではそうなっている。
大理石の白亜の殿堂に、真っ白な服を着ていたのではない。
スパルタ王や、ゼウスやポセイドンは、私たちが今想像しているよりはずっとアジア的な、アフリカ的な風貌をしていたと思う。
ガウガメラは調べて考えているうちに、これは実は、壮大なヤラセだったのではないかと思えてきた。
ともかく、ペルシャ側に戦意のある人が誰一人いない。ペルシャ王を含めて。
必勝の布陣で必敗の予感なのだから、これはもうヤラセとしか言いようがない。
イッソスはガチンコだったけどガウガメラはヤラセだったというのが私の解釈かなあ。
改めて(何度目だ?)シン・ゴジラを、メイキングなども含めて見てみたのだが、要するに、前半部分は東日本大震災に絡めた戦後日本への恨み節であって、タマ作戦はエヴァそのまんまだし、後半ヤシオリ作戦はタモリ倶楽部になってしまっている。
その主張は、日本はスクラッチアンドビルドしなきゃ良くならない。そのための自作自演がゴジラだ、というわけだ。
夏休み中ずっと、タモリ倶楽部をYouTubeで見ていたが、シン・ゴジラのどこがタモリ倶楽部かってことはすでに「ネタバレはあります。」で書いたのでくどくど繰り返さない。わざわざ新幹線や在来線が集中する東京駅でゴジラが立ち往生するというシチュエーションがあり得ない。
しかしまあこれを「庵野秀明監督最新作の日本映画」としてしてみたとき非常に良く出来ていると言わざるを得ない。庵野監督は、金と人と権限を使えばここまでちゃんと作れるのだということを実証したのは素晴らしかった。
聴診器と血圧計でおよそいつ心房細動が出ているかわかるようになった気がする。
心房細動が出ているときは最高血圧が低く、心拍数が多い傾向がある。最高血圧が100くらいで心拍数が1分95回くらいというのがありがちなパターン。
心房細動は心拍がランダムに起きてそれが適当に間引かれている状態なので、心拍数が多くて、その代わりに一回あたりの心拍の血圧が低くなるのだと思う。
心房細動でないときの心拍数は60とか70くらい。血圧は120以上。安静時でも150くらいまで上がるときもある。たぶんこういうのが私の心臓の場合、正常な状態なのだろう。
心房細動でないときの心臓の音は必ずしも完全に一定周期ではないが、それでも心房細動の時みたいにランダムではないので、わかる。
人間の耳の穴(外耳)は後ろから前のほうへ傾いているので、聴診器の耳に当てる部分も、前のほうへ向くようにねじらなくてはならなかったのだ。これをやらないととても聞こえにくい。また、聴診器には普通大きな皿と小さな皿がついていて、この皿に開いた穴も軸を回転させて使う皿に合わせねばならないのだ。最初の頃はこういうことを知らずに適当に使っていたので、心臓の音が全然聞こえなくて不良品かと思った。
それでまあ、酒を飲むと、血圧が下がって心拍数が増える傾向があるんだよなあ。どうも、アルコールによって心房細動が出るのは、ほぼ確実な気がしてきた。しばらく観察してみるが、禁酒して心房細動が止まるようならいよいよ禁酒しなくてはならなくなる。或いは、ウーロン割一杯をちびちび飲むような飲み方をすることになるだろう。実に年寄り臭い飲み方だが、金も減らないし、酔って記憶をなくしたり、失態を演じたりすることもなくなるだろうから、むしろ良いことかもしれない。
なんじゃこりゃ(笑)
キューティーハニーの原型だな。
自動ドアのマリア役の小日向しえ、キューティーハニーにもお局OL役で出てる。
結局ストーリーは、四人のボスキャラを倒し、ラスボスがビオランテか小林幸子、最後は愛が勝つ、というのはうーんどうかと思うが、まあ、なんとか中だるみせず、最後まで見ようと思えば見れる作品だと思う。中だるみ感を出すということはそれなりの安定感があるということだろう。
シン・ゴジラにも出てくる市川実日子が良い味出している。そのほかシン・ゴジラとの共通点も多い。CGがときどきしょぼくなるところなども。
主人公とヒロイン以外はほとんどでてこない。
主人公の「カントク」は明らかに庵野秀明がモデルであるが、実際の俳優は岩井俊二という(庵野よりはずっとイケメンな)映画監督である。
ヒロインはこの映画の原作者である藤谷文子。彼女は俳優のスティーヴン・セガールの娘で日本人の母とのハーフ。藤谷文子は小説家でもあり、俳優でもあるわけだ。
この配役がまず、非常に屈折している。
物語の舞台の宇部市は庵野監督の生まれ故郷でもある。庵野が安野モヨコと結婚する以前に、故郷に帰省したときの実話として見ることも可能。描写はかなり私小説的だし、実際そうなのかもしれない。
カントクとヒロインの間に緊張感があってじょじょに接近していく前半部分は割と面白い。映像も美しい。31日間の物語で、1日ずつカウントダウンしていき、31日後に何が起きるのか期待させたわりには、結局カントクはメンヘラ女のヒロインにあいそを尽かすこともなく愛し合ってしまうし(しかもその恋愛描写はあまりにも不自然!)、最後の日は大竹しのぶがヒロインの母役で出て来て母と娘が和解するというあまりにも平凡なエンディング。ひねらないのがひねりなのだろうか?
ましかし、これは割と見るに値する作品だと思う。
もっと雑な自主制作特撮物なのかと思っていた。想像していたものとは随分違った。
比較的かっちり真面目に作ってあるのに、ハヤカワ隊員の役者は庵野監督ではない。しかしハヤカワ隊員がウルトラマンに変身するとき庵野監督本人がウルトラマン役になっており、かぶり物もしてない。非常に違和感のある作品だが、その違和感以外に何か特筆すべきものがあるのだろうか、この作品は。
見て損は無い。
庵野秀明監督の実写作品をいくつかみた。
『ラブ&ポップ』は原作が村上龍、『エヴァ』をやった直後にDVカメラで撮った作品。
まあ、民生用カメラ出始めの頃にそれをあえて使ったことと、アングルにこだわりは見えるものの、庵野らしさはほとんどない。
私はこういう、渋谷で女子高生がどうしたこうしたという話が好きじゃないのかもしれない。見てていらいらしたので途中でやめてしまった。渋谷、女子高生、1990年代。自分にとって嫌な思い出しかないからかもしれない。
村上龍の作品もそれほど好きではない。『限りなく透明に近いブルー』は読んだことがある。こういうものがブンガクなんだな、ついてけないな、としか思えなかった。まあ、私の中では山田詠美とか内田春菊と同じジャンル。
その村上龍が、女子高生の援助交際ものを書いて、しかもネットでネタバレなんか読むと、おじさんが援助交際する女子高生に説教するみたいなストーリーになっているらしく、まあ、まったく共感できないなと思った。さすがの村上龍も女子高生の売春を書くことは社会通念上できなかったわけよね。彼も功成り名を遂げたから、リスクを冒す必要もなかったわけだし。