ハナのずぼら飯

しまった。
ついぽちった。
『だんどりくん』とかはすでに買って読んでるのだが、
カスタマーレビューの否定的なコメントと、
良いと悪いの評価が分かれていたのが面白そうなんで買ってみた。これから読む。

追記:悪くはない。買ってよかった。しかし完全に予想通りの内容だった。
一般女子が買うと裏切られるのだろう。

銀河英雄伝説

これも第一巻だけ無料というパターンか。
どうやってこういうの探せばいいの。

そうか、5月2日までなんだ。

[酒のほそ道](/?p=12248)も定価に戻ってる。
タイミングなんだな。
無料キャンペーンだったってことか。
それにしてはkindleランキングに上がってこないようだが。
不思議だの。

追記: うーん。
帝国ってのは近代のオーストリア帝国みたいなものを漠然と参考にしているようだが、
まあ以下略。

剣菱

小説に書いてしまうとどうでもいいことまでくよくよと気になるものであり、
フィクションなんだから、頼山陽は通説どおりに大酒飲みという書き方をしても別に誰も怒るまい。
今更、山陽は下戸でしたという設定にしては一から書き直さなくてはならないからしないが、
どうも調べれば調べるほど頼山陽はさほど酒好きではなかったように思われる。
幕末のころに暴れた頼三樹三郎が酒豪であったので、父の山陽にそのイメージが投映されているのかもしれん。
ならそれはそれで面白いことだと思う。

岩波文庫『頼山陽詩抄』にも酒を飲む詩は出てこない。
李白やオマル・ハイヤームみたいにのべつに酒を飲んでいるのではない。

頼山陽が剣菱を飲んだのはほぼ間違いないと思うが、
それ以外の銘柄や酒造についてはよくわからん。
個人が所有している書簡に書いてあるとか、
頼家に伝わる史料にあるとか、
頼山陽全集に書いてあるなどと言われると不勉強な私はご免なさいというしかないのだが、
剣菱などの酒の銘柄を詩に詠んで広告塔になった、などということは、
絶対無いとは言い切れないが、あんまり考えにくい。
そういうことはいかにも三樹三郎あたりがやりそうなことで、
それとごっちゃになっているのではなかろうか。

剣菱は伊丹の酒か灘の酒かということについても諸説あるが、
剣菱は江戸初期から将軍家の御用酒、御膳酒であって、
下り酒の最たるものであった。
頼山陽が広報しなくてもすでに十分に有名な酒であったろう。

となると、伊丹の他の酒造に先駆けて回漕に便利なように灘に工場を作ったと考えるのが自然。
本家は伊丹にありながら工場は灘にあった、
それが大正時代に本社ごと灘に移った、
という辺りが真相なんじゃないかと思うが、
ググっただけではそこまでわからん。
江戸の人間が剣菱は灘の酒だと思っても全然不思議ではない。

ていうかまあ小説を書き直すまでの間違いではないような気がする。

印税振り込み

ほんとにアマゾンから銀行に振り込みがあった。
30%アメリカの所得税天引きされてた。
振込手数料はかかってなかった。さすが新生銀行。

4月15日くらいにアメリカにfaxしたから返事が来るのは五月半ばくらいか。

びゅんびゅん売れてはないがときどき1冊ずつくらい売れる。

小説書いて新人賞に応募しだしてだいたい4年くらい。
今後 kindle で 20ないし30冊くらい、いやできればもっとたくさん売って、
それで地味ーに1冊あたり1000部とか売っていければそれでよいのだが、
もちろんそれ以上に売れてくれればうれしい。

今の時代に生まれて、
小説書き始めるのと kdp 始まるのとほとんどシンクロできたのは幸運と言うべきなのだろう。

山紫水明処

先日京都に行ったときに、頼山陽の山紫水明処やら墓所やらを見て回ったのだが、
頼山陽は毎日鴨川から水をくんでそれで茶を点てたり、硯に入れたり、
硯を洗ったりしたのだという。
だが実際に水をくんだのは、おそらく、
「みそそぎ川」、つまり高瀬川上流部分のことだろう。
みそそぎ川は今は丸太町通りより南から地上に出てそれより上流は暗渠になっているが、
頼山陽の時代には山紫水明処を出てすぐの鴨川の河原のそばを流れていたのではなかろうか。
だから、

> 階下浅水流 ・・・ 臨流洗我研

などと言ったのであろう。
鴨川の河原は階下というには広すぎる。
みそそぎ川は当時は上水として飲用されていたと考えられる。
いくらなんでも鴨川から直接水をくんで飲んだりはしないのではなかろうか。
といっても鴨川から分岐するみそそぎ川の取水口は一条通りくらいの堰であるから、
そんなにむちゃくちゃ上流から水を引いているのではない。
しかし、当時は今よりずっと人家も少なかっただろうから、
飲用することもできたのだろう。

鴨川から水をくんで茶を点てる、という言い方はだから間違いとまでは言い切れないが、
少し違う気がする。

みそそぎ川から分流する高瀬川は水運に使われたりして、たぶん上水としての目的には使われてなかっただろう。
誰も直接水をくんで飲もうとはしなかったんじゃなかろうか。