月別アーカイブ: 2014年6月

[ウィキペディア「夢」](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A2#.E7.A5.9E.E7.B5.8C.E7.94.9F.E7.90.86.E5.AD.A6.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E5.A4.A2.E3.81.AE.E7.90.86.E8.A7.A3) にも、 > 夢を見る理由については現在のところ不明である。 などと書かれているのだが、 どうも夢というのは、 外部からの感覚が遮断された状態の脳の活動そのものではないか。 私たちは夢というものを寝ている間に見る不思議な演劇のようなものだと考えがちだ。 睡眠というものは、脳を休ませるためのものというよりも、 身体や、視覚や聴覚などの感覚器官を休ませるものだとしよう。 眠ると脳は感覚が遮断される。 脳もまた眠るが、身体よりも先に脳は目を覚ましてしまう。 外部からの刺激がまったくない状態の脳は幻覚を見る。 それが夢である。 外界を見たり、音を聞いたり、他人と話をしたり、食事をしたりすることによって、 脳は情報を得て、外界や他者に対して反応しなくてはならない。 外から得られるバイアスによって人は、いや、動物というものは、正常に行動できる。 というよりも、バイアスのもとに行動が最適化されるように進化し、淘汰されている。 外界からの刺激がない場合の脳の働きは… 続きを読む »

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作御歌

古事記の読み下しというのはいったいだれがどうやってきめたのか、よくわからんのだが、 「作御歌」は「みうたよみしたまふ」と訓じているようである。 思うのだが、「御」を頭に付けて敬う用法は漢語にはなくて、 本来は「統御」「還御」などのように、 動詞の後に付けて天子の行いであることを示したもののようである。 だから、「作御歌」を「御歌ヲ作ル」と訓むのはおそらく間違いで、 「歌ヲ作御ス」すなわち「歌を詠みたまふ」と訓むべきではなかろうか。 万葉集にも動詞を伴わず「御歌」とあるところもあるが、 これは「歌を御す」つまり「歌をよみたまふ」と訓じるべきではないか。 それが和語の「みうた」とか「おほみうた」などと混同されて、 「御」に「み」とか「おほみ」とか転じて「おん」「お」などの訓に使われたのではなかろうか。 中国人はトイレで「御婦人」という文字を見て「婦人を御す」のかとびっくりするそうだ。 「御名御璽」も漢語では意味が通らない。 「作」もややこしい語であり、「つくる」とも「なす」とも「なる」とも読む。 従って「作歌」を「うたをよむ」と訓じてもおかしくない。 そもそも古今集の時代には歌を作るという言い方はなかった。 かならず、歌を詠むと言った。 奈良時代もそうだったと考えるのが自然だ。 ちなみに「詠」は「永い」「言」と書くように、 漢語の本来の意味は、声を長く引っ張って言うことをいう。

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傘松道詠

道元歌集 > 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり > おし鳥や かもめともまた 見へわかぬ 立てる波間に うき沈むかな > 水鳥の ゆくもかへるも 跡たえて されども道は わすれざりけり > 世の中に まことの人や なかるらむ かぎりも見へぬ 大空の色 > 春風に ほころびにけり 桃の花 枝葉にのこる うたがひもなし > 聞くままに また心なき 身にしあらば おのれなりけり 軒の玉水 > 濁りなき 心の水に すむ月は 波もくだけて 光とぞなる > 冬草も 見へぬ雪野の しらざきは おのが姿に 身をかくしけり > 峯の色 渓の響きも みなながら 我が釈迦牟尼の 声と姿と > 草の庵に 立ちても居ても 祈ること 我より先に 人をわたさむ > 山深み 峯にも尾にも こゑたてて けふもくれぬと 日ぐらしぞなく > 都には 紅葉しぬらむ おく山は 夕べも今朝も あられ降りけり > 夏冬の さかひもわかぬ 越のやま 降るしら雪も なる雷も > 梓弓 春の嵐に 咲きぬらむ 峯にも尾にも 花匂ひけり > あし引の 山鳥の尾の 長きよの やみぢへだてて くらしけるかな > 心とて 人に見すべき 色ぞなき ただ露霜の むすぶのみして > 心なき 草木も秋は 凋むなり 目に見たる人 愁ひざらめや > 大空に 心の月を ながむるも やみにまよひて 色にめてけり > 春風に 我がことの葉… 続きを読む »

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見しやいつ

正徹 > 見しやいつ 咲き散る花の 春の夢 覚むるともなく 夏はきにけり なかなか巧んだ歌である。 「春の夢覚むるともなく夏はきにけり」 まさに今の季節をうまく言い表しているなあと思う。 「見しやいつ」 もなかなか斬新な言い回しだなと思って検索してみると、 どうも明日香雅経が最初らしい。 > あきはただ かれぬるかさは みちしばの しばしのあとと みしやいつまで 「かれぬるかさは」は「枯れぬる風葉」で合っているだろうか。 初句切れで反語または疑問というのは小野篁以来よく使われる形だが、 「見しやいつ」は「冬の御歌の中に」後伏見院御製 > みしやいつぞ とよのあかりの そのかみも おもかげとほき くものうへのつき が最初か。 典型的な京極派だよね? 後伏見院が京極派かどうか明記されてはいないが、 父の伏見院も弟の花園院も京極派だから当然京極派だわな。 字余りだがちゃんと母音の連続という規則で回避しているのが見事といえば言える。 正徹にはもう一つあり、 > 見しやいつ 心とけつる うづみびに 春のねぶりの 冬の夜の夢 こちらはあまりに狙いすぎてていやみだなあ。 ていうか正徹が京極派をまねているというのが、不思議な気もするし、 全然当たり前な気もする。 > 秋の風 立てるやいづこ みそぎせし 昨日も涼し 四方の川浪 「立てるやいづこ」これも同工異曲か。 > 春霞 たてるやいづこ みよしの… 続きを読む »

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釣月耕雲と禁葷食

相変わらず「山居」が良く読まれているのだが、 それでいろいろ人とも話をしてみて、 果たして道元は魚を釣って食ったのか、ということを、 もすこし突き詰めて考えてみる必要があるなと思った。 道元の時代、親鸞も日蓮も末法無戒を主張し、肉食を禁じなかった。 一休も、また、済顛も肉を食べた。 道元だけがどうして食べなかったと言えるだろうか。 我々は道元を今の永平寺のイメージでとらえるから、肉など食べたはずがないと思う。 しかし、当時中国でも日本でも、 僧侶が肉を食べてはいけないという規範はなかったのではなかろうか。 どうも[禁葷食](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%81%E8%91%B7%E9%A3%9F) など読むと、 中国仏教における菜食主義というのは、道教の影響によるものではないか。 というのは、肉だけでなく、ニンニクやニラなどの臭みの強い植物を食べないというのは、 中国の神仙思想から来ているように思えるからである。 カレーとスパイスの国インドでニンニクを食べないはずがない。 宋の時代には新仏教のようなものが生まれただろう。 日本にだけ新たに鎌倉仏教が出てきたのでなく宋の影響。 インドから伝来したナイーブな大乗仏教と中国古来の道教が習合して、 独自の中国仏教というものが出来てきた。 私は武漢の五百羅漢寺というところで精進料理を食べたことがあるのだ… 続きを読む »

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皇室は日本の役に立たない

[石原慎太郎、衝撃発言「皇室は日本の役に立たない」「皇居にお辞儀するのはバカ」](http://biz-journal.jp/2014/03/post_4279.html) によれば、石原慎太郎が > 皇室は無責任極まるものだし、日本になんの役にも立たなかった。 > 石原氏は戦時中、父親から「天皇陛下がいるから皇居に向かって頭を下げろ」と言われた際、「姿も見えないのに遠くからみんなお辞儀する。バカじゃないか、と思ったね」と語っている。 などと発言しているそうだが、 特に驚くに当たらない。 全然衝撃ではない。 むしろ日本の歴史をきちんと学んだ結果だと思う。 政治家は歴史を知り、冷徹でなくてはならないが、 石原慎太郎はそのうえに正直だというだけだ。 私もつい最近 [皇族をなぜ敬わなくてはならないのか、 なぜ敬わなくてもよいのかという問題は、 自明ではない。](/?p=16146) と書いたばかりだった。 無批判に皇室を敬うのは左翼に利するだけだ。 幕末維新で天皇が必要とされたのは、日本が分権社会で、 藩がばらばらに人民を治めていたからだが、 同じことはイタリアとドイツにも言えた。 小国が分立していてイギリスやフランス、オーストリア、ロシアなどの大国に対して不利。 産業革命が有効に機能するには大きな国内市場と強力な中央政府が必要で、 そのためにはイタリア人はイタリアという国を、 ドイツ人… 続きを読む »

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漫画貧乏

佐藤秀峰「漫画貧乏」はキンドル版ならば無料で読めるのだが、 例によって [漫画 on Web](http://mangaonweb.com/)の広報的なものであり、漫画 on Webでも無料で読めるものである。 前半部分の漫画はすでにどこかで読んだことがあった。 後半の文章はかなり長いが一応読んでみた。 NHKのアナウンサーも最初はNHKというショバでNHKという看板を背負って、 認知度を上げていく。 売れっ子になればNHKを辞めてフリーランスになるわけだが、 そこには何らかの「仁義」「年季奉公」的な制度があるのだろう。 プロ野球選手もそうだ。 フリーになるのは何かやりかたがあるようでないようで、 興味がないので詳しく調べようとも思わないが、 何か円満退社するだんどりというものがあるのだろう。 私の知る限りアニメのプロダクションなどは、最初は正社員もしくは正社員に近い待遇だが、 正社員のままではいつまでも給料は上がらない。 契約社員になっていくつかのプロダクションを掛け持ちした方が儲かるということになり、 さらにはフリーランスになったり起業したりして、 人や金を使う側に回るとやっと飯を食い家を建て家族を養えるようになるそうだ。 デザイン事務所も個人経営の小さなところが多い。 アニメもデザインもだいたいは美大出の仕事であり、 美大出身の人間しかいない業界はこんなふうになりがちである。… 続きを読む »

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男系女系

女帝は奈良時代に圧倒的に多く、 平安遷都してからはしばらく途絶えて、 その次は江戸時代の明正天皇まで時代をくだらなくてはならない。 後水尾天皇が春日局と家光に腹を立ててむりやり明正天皇に譲位したのだから、 やはりかなりイレギュラーな即位だった。 私は思うのだが、 歴史に残ってないだけで、実は推古天皇より昔にもたくさん女帝はいたのではないか。 天照大神から推古天皇の間に一人の女帝もいないと考えるほうが不自然ではないか。 推古天皇より前の皇統というものはそれだけ不確かなものなのだ。 あ、そういえば神功皇后がいたな。 彼女もまた女帝だったはずだ。 天皇はやっぱ男子でしょ、 という話はやはり平安遷都をきっかけにして固定したのだと思う。 桓武天皇がどんな人だったかよくわからないが、 嵯峨天皇ならばよくわかる。 漢風。唐風。これに尽きる。 万事中国の制度に倣って中央集権な国家にする。 女帝なんてありえない。 則天武后の一件がやはり日本の皇位継承ルールにも影響を与えただろう。 女系男系という話も実は持統天皇より以前にはほとんど意識されてなくて、 天皇には男がなっても女がなっても良いとされた時代があって、 それが今から見ると男系に見えるとか、 男系に見えるように皇統が改竄されたとしたほうがすっきりする。 それでまあなぜ男系ということになったかというとそれは全然天皇家古来の家訓というのではなしに、 … 続きを読む »

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深む2

昨日書いたことは少し自信がなくなったので、非公開にした。 改めて書いてみる。 [「秋深む」を認めるかどうか](http://ameblo.jp/muridai80/entry-11876310023.html) 「深む」だが、口語では自動詞の場合「深まる」であり、他動詞だと「深める」である。 文語だと他動詞下二段「深む」はあるが、自動詞の「深む」は存在しない。 ただ、文語にも自動詞で「青む」とか「赤む」、「白む」、「黒む」などはある。 このように青、赤、白、黒などのク活用の形容詞となり得る語幹に 「む」がついて自動詞となる例は多い。 従って「深し」に対して四段「深む」があってもおかしくないということになる。 秋深まず、秋深みたり、秋深む、秋深むとき、秋深めば、秋深め。 一応活用してみせることもできる。 要するに、問題は、すでに口語の「深まる」があって、 それに対する文語が存在しないので、「深む」を造語して良いかどうかということだ。 現代の言語に合わせて古語や文語を改変するというのは国学的にはあり得ないことだが、 そうすると、 古語で「深まる」を表現するには「深くなる」と言う以外ない。 ただ、「秋が深まる」ということを古語では普通は 「秋たけゆく」とか「秋たけぬる」のように「たく」を使うのであり、 「秋」を「深まる」と表現するのもまた近世的なのである。 おそらく近世「たく」がすたれて… 続きを読む »

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京都巡り

旅行に出かけて寺や神社に詣でるときには、 寺では鐘楼を、 神社では舞殿を撮るようにしている。 鐘楼を撮るのは「巨鐘を撞く者」を書いたからであるし、 舞殿を撮るのは「将軍放浪記」を書いたからである。 [鐘](/?p=12653)については以前も書いた。 上の写真は相国寺の鐘楼だ。 相国寺の近所に一泊した。 特に新しいとか珍しいものではなさそうだ。 相国寺は金閣寺や銀閣寺の総本山らしい。 この写真は上賀茂神社の摂社の新宮神社というもので、 たまたま第二日曜日に参拝したので中まで見れたのである。 なかなか一般人が見る機会はないと思うが、 舞殿なのか拝殿なのかよくわからん。 というか、本殿があってそのそばに拝殿が作られ、 拝殿が舞殿としても機能するというのが古くからの使われ方だったと思う。 舞殿は、もともとは四本の柱で囲って〆縄をめぐらすものであったはずだ。 薪能の舞台もそうなっているし、相撲の土俵も古くはそうなっていたはずである。 石清水八幡宮で奉納される舞楽は今もそのようになっているようである。 したがって舞殿の柱は四隅に四本あるのが正しいのだということを、 これも以前[舞殿](/?p=12046)というのに書いた。 なぜそこにこだわるかというと頼朝、政子そして鎌倉武士らに囲まれて静御前が舞を舞ったのは、 鶴岡八幡宮の回廊の真ん中に設置された、 四隅に柱を立ててしめ縄を引き回した一種の… 続きを読む »

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