たまたまアマゾンを見ていて、『評伝 小室直樹』という本が2年前に出ていたことを知った。しかるにその上巻はすでに品薄状態で中古でもかなりのプレミアがついている。仕方なく、とりあえず上下巻とも図書館で借りて読むことにした。
著者の村上篤直氏は橋爪大三郎が編んだ『小室直樹の世界』という本に付録された目録を執筆したというから橋爪氏のお弟子さんか何かなのだろう。橋爪氏は当然小室直樹について熟知していた。そしてそれを村上氏にもたびたび語っていただろうし、村上氏も橋爪氏に小室直樹のことについてたびたび質問していただろう。その過程で村上氏は、橋爪氏がどうして小室直樹の本当の姿を書かないのか、小室直樹の評伝を執筆して世に広めないのか、橋爪先生が書かないのなら私が書きますよ、もちろん推薦文くらいは書いてくれますよね、くらいのことは言ったのではないか、と想像されるのである。
私が読みたいと思うのは小室直樹全集であり、その一つ一つの著作に対する解説であり、また校注である。しかしどうも橋爪氏はそのようなものを書く気はまったくないらしい。橋爪大三郎が副島隆彦と共著で書いた『小室直樹の学問と思想』ではただ、小室直樹は偉い学者だったとしか書かれてなく、その著作についてはほとんど触れられていないと言って良い。
で今回『評伝 小室直樹』を読んでその謎が氷解したような気がした。橋爪氏は書きたくなかったのだ。なぜなら小室直樹が出版した著書のほとんどすべては小室直樹が直接執筆したのではなく、出版社のプロデュースとリライトによって書かれたものであり、中にはほとんどゴーストライターが書いたとしか言いようが無いものも含まれているからだ。そのほとんどすべては小室直樹が自分で書きたいと思って書いたものではなく、周りがお膳立てして書かれたものだ。そんな著作群について橋爪氏が言及したくないのは当然であろう。村上氏は橋爪氏が書かないのであれば自分が、という半ば義務感で、この暴露本を書いたのだと私は推察する。
下巻256p、ある日、橋爪、白倉、志田が集まったとき、「小室直樹とは何者か」が話題になった。「最高のティーチャー」との結論で意見は一致した。
教育者として、学問の本質をわかりやすく教えられる能力は抜群のものがある。
では、学者、研究者としてはどうか、小室先生は何か発見はしたのか。ティーチャーとしては最低でも、大発見を一つでもすれば学者、研究者として名前は残る。たった一本でも、学術論文として意義のあるものを書けば、学説史に名を残せる。
では、小室先生はどうか。結論は出なかった。
ここはいろいろ考えさせられるところで、小室直樹がMITのサムエルソンのところへおしかけてPh.Dを取ろうとして失敗し、帰国して東大で学位を取ろうとして指導教官の京極純一になかなか学位審査をしてもらえなかったとか、いろいろ同情するところはあるが、結局、小室直樹が法学博士の学位をとるにはとったが、橋爪にあてがわれた非常勤講師や特任教授などのアカポスしか得られなかったというのは、厳然とした事実だ。客観的に彼が偉大な学者だという証拠は無い、ということになる。
上巻253p、「小室は、何かをするときに、雑駁だ。大づかみなことは正しいんだが、細かいところに目が届かんから、失敗する。」まさにそうなのだろう。
決定的な学術業績もなく、著書もまたマスコミに踊らされて書いたものだとしたら、では小室直樹に残るものとはなんなのだろうか。
それでも彼に残るものとはやはり、人を感化する力、なのかもしれない。
『評伝 小室直樹』下巻p133から『週刊宝石』に掲載された小室直樹と横山やすしの対談が一部掲載されている。私はこれをリアルタイムで読んだはずだから、それは1984年7月。つまり私が駿台予備校京都校で浪人生だった頃読んだことになる。
『週刊プレイボーイ』だったかと思ったが記憶違いだった。
この対談は非常に面白くて、これを読むだけのためにも、『評伝 小室直樹』を読む必要があると思う。再び読めてたいへんうれしい。結局、世間一般の人からみた小室直樹という人は、この横山やすしが見たようなものなのだ。世間一般の人からみた、世間離れした学者というものの姿なのだ。ようするに、結婚して家庭を持ち、妻子をもっていないと人は学者のいうことを信用しないものなのだ。彼らにとってわかりやすいことを学者が言えば、彼らはなるほどその通りだとなっとくしてくれるが、自分たちの常識に反することを言っても理解してはもらえないんだっていう教訓になった。