劍客 賈島
十年磨一劍
霜刃未曾試
今日把似君
誰爲不平事
「十年磨一劍」は頼山陽のオリジナルではなかったということか。
ただ、「遺恨十年、磨一劍」とアレンジしたところはうまい。
劍客 賈島
十年磨一劍
霜刃未曾試
今日把似君
誰爲不平事
「十年磨一劍」は頼山陽のオリジナルではなかったということか。
ただ、「遺恨十年、磨一劍」とアレンジしたところはうまい。
病度両月兪益憂
起臥無聊似俘囚
迎秋不覚秋風冷
窓外只眺片雲流
ふと、終わりの行が李白の詩に酷似しているのに気づいてしまった。
故人西辭黄鶴樓
煙花三月下揚州
孤帆遠影碧空盡
惟見長江天際流
無意識のうちに真似てしまったのだなあ。
オリジナルの『ハイジ』、つまりシュピリが書いたドイツ語の原文では、ペーターは Geißenpeter と呼ばれている。
Peter が洗礼名で本名、Geißenpeter はあだ名で、Geißen というのは羊飼いか山羊飼いのようなものかと思ったが、
独和辞典で調べてみると、Geiß というのは「雌山羊」のことなのだった。
なるほど、山羊を放牧に行くのは、山羊の乳を取るためであるから、メスしかいなくておかしくない。
乳の出ない「雄山羊」は、種山羊(?)以外はみな屠殺されてしまうのだろう。
鶏や乳牛と同じ運命だわな。
メスヤギはオスヤギより体も小さく気性もおとなしくて、従ってペーターやハイジのような子供でも扱えるということではないか。
前九年の役 1051年 – 1062年、
延久蝦夷合戦 1069年 – 1074年、
後三年の役 1083年 – 1087年。
この三つの戦いには関連性があるのか。
延久蝦夷合戦は後三条天皇の時代で、後三条は桓武天皇を思慕し、征夷の意図があったという。
後三年の役は白河天皇即位から院政期にすっぽり含まれている。
かつ、後三年の役の主役八幡太郎義家は白河天皇の扈従で身辺警護の武士、北面の武士のはしりでもある。
思うに、前九年の役というのは、それらしきものはあったかもしれないが、いわば前説のようなもので、戦争の実態はそれほどないのかもしれない。
この三つの戦いの過程で蝦夷の清原氏が興り滅んでいる。
代わって奥州藤原氏の時代がくる。
なんかおもしろそうだな。
[第28回太宰治賞 一次選考通過作品](http://www.chikumashobo.co.jp/blog/dazai/entry/719/)