今書いている海賊王ロジェールは、
割と計算尽くで書いたものである。
いくつもキンドルで本出しているとだいたい傾向はわかってくる。
私の書いたものの中では、日本史ものよりも世界史ものの方が読まれる。
エウメネスだけでなくエウドキアもわりと読まれている。
これらに比べると日本史ものは全然読まれてないと言っても良い。
洋物でも、フローニとかデーテはあまり読まれてない。
世界史、特にギリシャ関係の話は、受けるらしいのである。
といってめちゃくちゃ売れているわけではないが、
どうも私はしばらくの間はギリシャものだけ書いて、
こつこつ読者を獲得していればいいんじゃないか、とすら思う。
世界史は複雑だ。
情報量が圧倒的に多い。
できるだけたくさん集めておいて、
ストーリーに直接絡まない部分を大胆に捨てる。
教科書的、ウィキペディア的な記述にならないように。
かといってディテイルを落とさないように。
正直難しいが、その分やりがいがある。
今回かなり作って書いている。ある程度技を覚えたともいえる。
も少し若い頃から書き始めていればよかったとも思える。
「紫峰軒」や「スース」「超ヒモ理論」「安藤レイ」なんかはわりとさらっと書いている。
普通の現代小説(でも、あまり読まれてない?)。
我ながら同じ作家の作品ではないなこりゃと思う。
言っちゃ悪いが新人賞に応募してもほとんどなんの反応もない。
パブーに公開しても、読者が何考えてるかよくわからん。
しかしKDPだとかなりわかる。
書いているうちになんとなく読者や編集者の気持ちまでわかるような気がするのだ。
逆にいうとこう書けばきっと読者は喜ぶに違いないなんて書き方をするようになった。
悪いことじゃないと思う。
今までは自由すぎて逆に書きにくかったともいえる。
自由に書いてまったく反応が無いでは書きようがない。
ともかくKDPはありがたい。
KDPは自分で作家や作品を選べるのが良いと思う。
普通の読者は、書店で本を買うような読者は、実は本を自分で選んで読んでいるのではない。
本屋で平積みになってたからとか宣伝してたからとかドラマ化されたからとか映画化されたからとか、
そんなんだ。
だからソニーリーダーみたいなビジネスモデルが成立する。
選択の余地はほとんどない。
ただ流行の本、推してる本を読まされるだけだ。
KDPはそうではない。
そうじゃないことに気がつく人はこれからますます増えるだろう。
私もそういう人に読んでもらえれば十分だ。
というかそういう人をターゲットにするしか読者を獲得する方法が私にはない。
とりあえずこの複雑なストーリーをなんとか読者に最後まで飽きずに読ませることが必要だ。
複雑さ、おもしろさで言えば「将軍家の仲人」も捨てたもんじゃない。
だけど、新井白石や徳川家宣では地味すぎて読者はなかなかついてきてくれない。
十字軍ならなんとかなるんじゃないかという一縷の望みがある。
「十字軍物語」とは全然違う。
塩野七生の書いたものは、たしかにローマ人の物語の、
ハンニバル戦記あたりは面白いし参考になる。
しかしやはり教科書的であって小説っぽくない。
もう少し書きようがあったんじゃないかと思えてしかたない。
今は英語版Wikipedia他を検索すると、かなり膨大な情報が得られるから、
そう思うだけかもしれんが。
塩野七生が売れているのはおそらく需要の割に供給が少ないからだろう。
なんでか知らんが日本人はああいうのが好きなのだろう。
そして実際書けるひとは少ない。
高校のときちゃんと世界史勉強してないからだ(笑)。
三国志とか信長とか秀吉とか龍馬とかばかり読んでいて脳がやられてる。
だから私が書いてやろう。
読んだことはないが(汗)トルコ人のノーベル賞作家が書いた『わたしの名は紅』に近いんじゃないか。
とにかく書いてて調べてて話がもうどろっどろで気持ち悪くなった。
まじでどろっどろな話なので気をつけてください。
だけどこういう陰謀物でメンヘラな話だと最後まで読める人が多いような気がするんだよな。
これも旧作のリメイクなんだけど、
もとの話は世界広すぎて一度に書けないから短編にばらして書くことにした。
ある意味「エウドキア」の後に続く十字軍をすっ飛ばしてその後の話を書いた。
十字軍も書くかなあ。
手垢の付いたネタは好きじゃない。
「ベタを恐れない勇気」とか言われてそうかなあとは思うが、
そこまでまだ作家に徹し切れてない。
いや、それ以前に、十字軍の話はつまらんよ、
神殿の中は床にくるぶしまで血がたまったとか。ばかばかしい。
キリスト教徒、とくにカトリック信者によるバイアスがかかりすぎている。
それをクリスチャンでもムスリムでもない視点で直すのが面白いと言えば面白いかな。
続編書くかどうかは反応しだいだな。
ロジェールだが、
英語だと Roger (ロジャー)。
イタリア語だと Ruggero (ルッジェーロ)。
だが古ノルド語では Hrod-Ger
であって、ノルマン人がシチリアにやってきたときは、
ロッゲール、と呼んでいた可能性が高いだろうと思う。
dg が[gy](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E5%A3%B0%E5%BE%8C%E9%83%A8%E6%AD%AF%E8%8C%8E%E6%91%A9%E6%93%A6%E9%9F%B3)になまってロッジェール、あるいはロジェールと呼んでいた可能性もなくもない。
フランス語だとロジェ。
ドイツ語だとロギーア(ロギエール)。Rutgers とも綴るらしい。
実際に Roger と書いてロジェールと読む名があるのはスペイン語かポルトガル語くらいらしいが、
結局ロジェールとした。
ロジャーとはしたくない。
ちなみにラテン語だとロゲリウス。
Baldwin は現代フランス語読みではボードゥワン、
Gottfried はゴドフロワなどと呼ぶが、十字軍のころ、
こんなすかした呼び方をしたはずがない。
Bald-win はすばやい、容易な勝利、という意味のゲルマン語であるし、
Gott-fried は神の平和という、やはりゲルマン語である。
Baudouin、Godefroy じゃ意味がわからん。
ロジェールはおそらくパレルモからほとんど動かなかった。
シチリアからメッシーナ海峡を渡りナポリまでも行かなかったらしい。
だが、[アブドゥル・ラーマン](https://en.wikipedia.org/wiki/Christodulus)や[ゲオルグ](https://en.wikipedia.org/wiki/George_of_Antioch)などの個性豊かな海賊が部下にいた。
だから「海賊王」なのである。
続編を書くとしたらゲオルグあたりが実際の主人公になると思う。
ていうかしないといけない。
「ベタを恐れない勇気」って誰が言った言葉かと思ったら、
[直木賞作家の辻村深月](http://d.hatena.ne.jp/hiro010301/20130207/p1)が言ってたわー。
> ベタを恐れない勇気というか、そういうものを、たぶん一番上質なお手本としてドラえもんや藤子先生や他の作品から教えてもらったんだと思います
ベタを恐れるっていうか。
ベタなの書くのが嫌いなんだよね。読むのも嫌い。
自分以外の誰かが書いて読めばいいと思う。