足利氏

メモ。

治承五年二月一日『吾妻鏡』

> 足利の三郎義兼北條殿の息女を嫁す

足利義兼と北条政子の妹・時子が結婚した、ということを指すらしい。

ウィキペディアには、政子と時子は同母姉妹である、と書かれているのだが、
『日本外史』源氏後記北条氏によれば、
時政には女子が11名もいて、そのうち政子は長女、
次女は後妻の牧氏(牧の方)と書かれている。
だから異母姉妹なのではなかろうかと思うが、
『日本外史』が何に基づいて書いているか不明。

政子は美人で次女は不美人、などと書かれているがこの次女というのが時子なのだろうか。
時政の妻には他に伊東、足立が知られる。
北条と伊東はともに伊豆における平氏の家臣であったから婚姻してもおかしくない。
政子は伊東の血を引くということか。

義兼は義純、義助、義氏を産むが、時子の子は義氏のみ。
義純と義助はたぶん時子と義兼が結婚する前に生まれたのであろう。
時子が正室で義氏が嫡男、ということになっている。
義純は畠山氏となり義助は桃井氏となる。
義氏の妻は北条泰時の娘。
畠山義純の継室は時政の娘というから、政子や時子の姉妹なのだろう。
桃井義助には子がいたから妻がいるはずだが、誰かよくわからん。やはり北条氏か。

でまあ、足利氏が大きくなったのは承久の乱のときで、かつ北条氏の娘を娶ったからであろう。
本来北関東出の足利氏が三河に住むようになったのは、
承久の乱のあと義氏が三河国守護(地頭?)となったからで、
義氏は泰時の娘が産んだ泰氏を嫡子としたが、庶出の長氏を三河に住ませて、
ここから吉良氏や今川氏が分かれた。

北条氏は足利氏以上の大族であったはずだが、足利氏と入れ替わりに、北条氏も名越氏もほとんど絶えてしまったのだろうか。
不思議だ。

坊門

坊門信清は後鳥羽院の外祖父。
息子忠信は後鳥羽院の寵臣。
実朝の妻は坊門信子、忠信の妹。
つまり、実朝は信清の婿、忠信の義理の弟。
後鳥羽天皇の女房・坊門局は後鳥羽院の女房。ともに隠岐に渡り、院の死後、京都に戻る。
坊門局は道助入道親王、頼仁親王、嘉陽門院礼子内親王を産む。
道助入道親王は後鳥羽院と礼子内親王の戒師。
礼子内親王は歴代最後の賀茂斎院。式子内親王の四代後。

実朝と後鳥羽院、つまり、実朝と朝廷の間にいたのが坊門ということだわな。
ふーむ。

親王宣下と元服

後醍醐天皇の諡号は生前に本人がつけたというが、
村上天皇は醍醐天皇の皇子なので、
後醍醐天皇の次は後村上天皇になったのだろうか。
朱雀天皇も醍醐天皇の皇子だが、後朱雀天皇は平安時代にすでにいたわけだ。

建武の新政というが、初代神武天皇まで戻ろうというよりは、
醍醐・村上帝の時代の延喜・天暦の治を目指したのかもしれん。

後村上天皇の経歴が実はよくわかってなかった。
1328年9月生まれらしい。年は間違いなさそうだが、月日が曖昧。
1333年建武の新政。
1334年5月、奥州多賀城において親王宣下、
1336年3月、比叡山において元服、三品陸奥太守に叙任、とあるのだが、
調べてみると親王宣下とは幼名を捨てて「憲良」という諱を付けることで、
元服は大人になったという儀式で、大人の髪型、服装に改め、幼名を捨てて大人の名前にする儀式。
だが、おそらく天皇家では、幼い時、元服前に皇太子になったり親王になったり天皇になったりしなきゃならないこともあるから、
元服と親王宣下が分かれたのだろうか。
異様にややこしい。

わざわざ奥州まで下向して親王宣下されておきながら、実際に三品という官位、陸奥太守という官職をもらったのは元服の時、というのもよくわかんない。
そういうもんですか、としか言いようがない。
ともかく、親王宣下というのは、大人になることでもなく官位官職をもらうことでもない、
幼い頃に、親王として生きるか、単なる皇子として生きていくのか、決めること、
つまり、天皇家の家庭の事情で決まることなのだろう。

そんな細かいことまでこだわるべきだろうか。

北畠顕家は1333年に従三位陸奥守になっているので、
憲良親王が陸奥太守になる3年も前だ。
まあそんだけ憲良親王が幼かった、そのためのタイムラグが生じただけで、
建武の新政当初から、憲良親王を陸奥太守、顕家が陸奥守とする予定だった、ということだ。

そこまでこだわるか。
大筋のストーリーにはあまり影響はないけどな。

憲良親王には同母兄の成良親王と恒良親王がある。
母はいずれも阿野廉子。阿野氏は頼朝の父源義朝の血筋に当たる。

成良親王は1326年生まれで1333年親王宣下。
1334年、関東に下向して四品上野太守。
憲良親王とほぼ同じ時期とみてよい。

1335年7月、中先代の乱。
成良親王は足利直義とともに鎌倉を逃れて上洛。
8月、征夷大将軍となるが、
翌1336年2月解任。
11月、北朝第2代光明天皇の皇太子となるが12月に廃される。
北朝第3代崇光天皇が立太子されるのが1348年。同年光明天皇から譲位される。
実質的には光厳院が院政を行ったらしい。
1336年から1348年まで、北朝には皇太子がいなかったということでよろしいか。

成良親王は南朝なのにずっと足利氏に捕らえられていた、ということらしいんだが、詳しいことがまるでわからん。

恒良親王は1324年生まれ。
1334年立太子。
いつ親王宣下されたかわからん。立太子と同時か。
1336年越前金ヶ崎の戦いに敗れ、京都に送られて 1338年に死去したことになっているが不明。

1339年に憲良親王が立太子してその直後に後醍醐天皇崩御。後村上天皇即位。
どうもこのあたり、あとからつじつま合わせをしたような感じがする。

世界史

なぜエウメネスだけ(少ないが)売れるのか。
パブーでも(少しながら)売れたのはセルジューク戦記くらいだしな。
世界史を書けばいいわけ、私は。
ていうかそれ以外無料にして、
「エウメネス」とか「セルジューク戦記」とかで売って、
そっちの方の新作をどんどん書けばいいのかしら。

キャラのせいかな。
他の小説が、あまりにもキャラがマイナーだからかな。
そうかもしれんな。

キャラクターグッズ

KDPで『超ヒモ理論』ってやつだけレビューが終わらない。
後から追加したやつの方が先に出版されている。
たぶん、深い理由はなくて、
ちょうどKDPの調子が悪かったときに登録したせいだと思う。

その他可能性としては、superstring theory ってキーワードで物理関係のレビューに回されて差し戻しとかくらってるとか。
別にどんなタイトルでもいいよね?

『墨西綺譚』。
初めて書いた現代小説。
練習作品のつもりだったが今読むとディテイルの部分で割と笑える。
自分の作品を忘れたころに読み返すのが面白いと感じる性格なのだと思う、自分。
少しめりはりつけて再出版。
これを書いたころは永井荷風なんてまったく読んでなかった。
成島柳北も為永春水も。
このタイトルの小説書いた後で勉強し始めた。

『将軍放浪記』。
これは事実上、一番最初に書いた小説。
やはりかなり加筆修正削除して再出版。

それはそうと某玩具売り場にいったら、
おもちゃというよりはほとんど全てがキャラクターグッズでワロタ。
なんなのそれ。
おもちゃかそれ。
プラモのガンプラばっかだし。

たとえばジャイロとか地球ゴマとかもそのまんまじゃ売ってない。
アニメのキャラクターと抱き合わせで売られている。
まあ、キャラ使えば企画も通りやすい or 資金回収しやすいんだろうな。
ロボットアニメにしろ戦隊アニメにしろキャラで制作費回収してるんだろな。

マーケティングって恐ろしいよな。
そのマーケティングに乗っかって、不本意ながらロボットアニメ作って、ガンダムみたいに後世に残るコンテンツが出る。

キャラクターグッズ売れんとコンテンツ制作は採算とれんということかな。
病んでるなと思うが、しかし人間の脳がそれだけキャラというものが好きなのだろう。
だからゆるキャラとかわらわら出てくる。
キャラ様々。
一発当てるとでかいもんな、くまモンとか。

主体性がないとかいうが、もしすべての人に主体性があったりしたら、社会は一つの方向にまとまって動いていかない。
一つの方向に暴走することはよろしくないとしても、
まるで方向性がないのもよろしくない。
そういうわけで社会にはある一定の割合で主体性のない人が含まれる。
その割合というのはかなり高い。
そういう人たちが多数派を占めていないと社会は成り立たないし、新規事業も立ち上がらないし、従って社会の進化もない気がする。
ある特定の主体性のあるひとが社会を変えていく、というよりは、
社会はある一定の割合で規格外の人間を生み出して、社会に変化を与えようとするのだろう。