月別アーカイブ: 2014年8月

和歌とプロパガンダ

伊東静雄の詩を読むと、 当時の日本人の昂揚と、そこから突き落とされた絶望が刻まれていてつらい。 伊東静雄は戦前はドイツ語訳風な漢語調の硬派な詩を作った。 しかし戦中は大和言葉で詩を作った。 戦後、ふつうの話し言葉で詩を書くようになった。 伊東静雄もまた国粋主義に振り回された一人だった。 国威高揚のための国粋主義は極めて危険だ。 大和言葉もファナティックな思想の道具とみなされてしまった。 非常に不幸なことだ。 上田秋成も本居宣長も大和言葉や和歌がプロパガンダに使われるとは思ってもいなかっただろう。 私の祖父も戦中に大和言葉で和歌を詠んだ。 伊東静雄とまったく同じだと思った。 戦争だから和歌を詠むというのはあまりにも悲しい。 戦後和歌が忌避され、醜悪な現代短歌が生まれたのは、和歌をプロパガンダに使ったせいだ。 ツイッターでわざと歴史的仮名遣いを用いたり、 天皇は万世一系でうんぬんと賛美したりするのを見るのはつらい。 我々は一度挫折と失敗を経験したのだからそこから学び、その経験を活かすべきではないのか?

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国費留学

なんか最近は割とツイッターを読んで書くようになった。 わざわざこのブログのリンクを貼るようなことはしないが、 興味をもった人はリンクを貼らないでも読みに来てくれると思う。 ツイッターでフォロワーを増やそうとしているのはむろん私の小説の読者を増やすためである。 つまりは営業である。 このブログにリンクを貼った方がよりわかりやすいとは思うが今のところそこまではしていない。 私としてはツイッターで昔fjやらウェブ日記界でやったようなことを繰り返したくはない。 渦中に巻き込まれたくはないのだ。 ツイッターで中国の留学生は日本の文科省から奨学金もらっててずるい、日本の学生に回すべきだ、 という意見が多いのだが、これはどうか。 そういう国費留学生というのは中国からの留学生の中のほんの一握りで、 中国の中でもものすごいエリートの人たちだ。 その他おおぜいは私費留学生であって日本の税金が使われているわけではない。 中国人のエリートたちに少しでも日本びいきになってもらうには国費留学という制度は必要だと思う。 中国人でも韓国人でも国費留学で来る人たちはすごく頭がいいし、 将来中国という国のリーダーになる人たちだ。 そして自分たちの国の政治を批判的に見る理性を持ち合わせている。 自分たちの国の将来を真剣に憂えている人たちだ。 私が知る人ではほとんど100%がそうだ。 彼らは人民日報を信じてない。 という… 続きを読む »

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文学全集を立ち上げる

以前に[京極派](/?p=9207) で、丸谷才一は京極派というものがまるでわかってないんじゃないかと疑いを持ったのだが、 この「文学全集を立ち上げる」という本を読んでますます疑念は深まった。 日本文学全集に古今集と新古今集と風雅集と玉葉集を入れるという。 なぜよりによって21代勅撰集からこの4つを選ぶのか。 p124 > 三浦 「玉葉」「風雅」は「新日本古典文学大系」にも入っていないでしょう? > 丸谷 あの二つはいまだに虐待されているだよ。なぜ虐待されるかというのは、二つ理由が考えられる。一つは、折口信夫が絶賛したから(笑)。 > 三浦 本当の話ですか(笑)。 > 丸谷 それと、あの二つは北朝の文学なんです。「風雅」は明らかに北朝、「玉葉」も北朝の色が濃厚ですね。国文学者たちは北朝には触れたがらないんだよ。 > 鹿島 いまだにそんなことがあるんですか。 > 丸谷 少なくとも僕は、そうなんじゃないかなと思うんだ。岩佐美代子さんのように、「北朝が正統なんだということを政府ははっきりせよ」と言う学者もいる。でも、男の国文学者でそんなこと言う人は誰もいないんだよ。国文学者はつまり官僚なんだもの。仕方ないさ。 つまり丸谷才一は「玉葉」「風雅」は北朝の勅撰集で虐待されている。 北朝が正統だと言っているのは岩佐美代子くらいで男にはいない。 だから男の自分がやってやる、そう言っているだけにしか… 続きを読む »

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日本に学者はいなかった

丸谷才一「文学のレッスン」のp152に「日本に学者はいなかった」という章がある。 非常に困惑する章題なのだが、本文を読んでみると、 「近代日本文学では学問が軽蔑されていた」、とか、 「小林秀雄は明治憲法で中村光夫は現行憲法だ」などと書いている。 小林秀雄は気持ちの良い歯切れの良い文体だがしかし何を言っているのかさっぱりわからない。 中村光夫の文章にはそういう爽快さがないけれど内容を伝達する能力は高い。 で、世の中の人は小林秀雄みたいな人を優れた批評家だと思い込んでしまったので、 批評は訳がわからなくてよい、みたいな話になっている。 訳がわかる評論とは論文であって評論ではない、そういうものは学者が書けば済む話だ、 というわけだ。 いやまあ言いたいことはわかる。 小林秀雄は朦朧体みたいなもので、至る所かすんでいる。 でもときどきすごく論理的でほかのどの論文よりも明晰で説得力があるところがある。 そういう意味ではフロイトに似ている。 でも論文じゃないんだな。 そこが天才的なところだわな、他人にはまねできない、学者にはそういう仕事はできない、 という意味で。 小室直樹もそれに近いかもしれんね。 小室直樹は学者だけどね。 「日本に学者がいなかった」なんてどこにも書いてない。 困った表題だ。

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平家物語の主人公

丸谷才一は「文学のレッスン」の中で p124 > 「平家物語」は、前半の主人公は平清盛、後半の女主人公はその娘である建礼門院徳子という形になっていて、このバトン渡しがうまくいっているせいで成功している。 と書いている。 はて。そんなばかな。 「平家物語」は特に主人公らしき人はいない。 不特定多数の人が関わっていろんな説話がだんだんと集まってできている。 清盛が主要な人物なのには違いないが。 祇王とか二代后とか俊寛、文覚などはほぼ独立したエピソード。 祇王なんかでは明らかに清盛は脇役であり、 二代后では清盛などまったく関係ない。 いろんなエピソードに埋もれているが、 平清盛の息子の重盛、重盛の子の維盛、維盛の子の六代(平高清) の三代記として読むことも可能だ。 文覚荒行、勧進帳、文覚被流、の一連のストーリーもとって付けたようだ。 文覚がこれほどに取り上げられるのは、平家物語を編集した僧侶が文覚の弟子か何かだったからではないかと思われるし、おそらく六代とも近かったに違いない。 徳子が主人公になる灌頂巻は、読んだことないんだが、 また別のエピソードなわけで、 あとから付け足されたもののように思われるし、 ともかく全体的に言えば、保元物語や平治物語のようにかっちりひとまとまりになった軍記物語になってない。 「バトン渡しがうまくいってる」とはとても思えない。 丸谷才一は平家物語を通して読んだ… 続きを読む »

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登城

丸谷才一の「文学のレッスン」に江戸時代の侍はひと月に四、五回お城に行けば勤めたことになるから暇人天国だったなどと書いている(p204)が、そんなはずはないと思う。 事務職じゃないんだから城にいれば仕事が勤まるはずもない。 ある程度以上偉い人は蔵米を給料としてもらうのではなく領国を経営しなくちゃならない。 つまりは地方自治体の長のような役目で、しかも、三権分立なんてものはないから、 立法・行政・司法、全部こなさなきゃならなかった。 部下も全部自分で雇わなきゃいけない。 領国というのは一箇所にまとまってあるわけではない。 相模に三百石、武蔵に二百石、のようにばらばらにもらってた。 ものすごく遠い土地に領国があることもある。 そういうのを全部任されているからほんとならばものすごく忙しいはず。 忙しいはずだが代官なんかに丸投げして遊んでいる旗本もいたかもしれん。 御家人にしてもなんとか奉行とかその与力とかどんどん仕事が回ってくる。 江戸町奉行ならいいが長崎奉行みたいにとんでもなく遠いところに転勤することもある。 年貢の取り立てとか市中警邏とかとにかくいろいろある。 無役なら仕事はないかもしれんが、手当もないから失業中みたいなものだ。 暇人天国なんてはずがない。 ま、だから、わざわざ登城する日というのは幹部会議か進捗報告のようなもので、 それこそ週一くらいしかやらなかっただろう。 毎日登城す… 続きを読む »

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文学のレッスン2

長くなるので記事をわける。 p151 > 色好みの話で、こういうエピソードがあります。本居宣長が亡くなったとき、弟子たちが本居家に集まって、酒を飲みながら口々に先生の偉大さをたたえ、あんな偉い学者はもう出ないみたいなことを語りあっていた。そしたらお酒を運んでいた本居家の女中の一人がワーッと泣きだした。みんながどうしたんだと問いただしたら、その女中いわく、「そんなに偉い先生だとはわたしは知りませんでした。毎晩のようにわたしの部屋に来て、一緒に寝ようというのを、わたしは邪険に断ってばかりいました」って。 > ― それはどこかに書いてあるんですか(笑)。 > 岡野弘彦さんから聞いたんです(笑)。 岡野弘彦は三重県の神主の家に生まれたので、もしかすると実話かもしれない(笑)。 丸谷才一より一才年上で存命。 でもなんとなく、 国学者や神道家のコミュニティーの中で自然と広まったゴシップのような気がするなあ。 本人ご存命なのだから聞いてみたい気はする。 私は、宣長の恋歌をみていて、ただ観念的に恋を歌ったのではなかろうとは思っていた。 ある程度事実に基づく心情が盛り込まれているのではないかと。 ただ、七十近くのおじいさんが毎晩女中をくどくということと、 青年時代に色好みであったということは必ずしも結びつかないと思う。 いずれにしてもどうでもよい話ではある。 単なるエピソードとして紹介してみたかった… 続きを読む »

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文学のレッスン

丸谷才一「文学のレッスン」を読んだ。 丸谷才一はもうなくなってしまったが、ものすごい長寿で、死ぬまで執筆活動をしていた幸運な人だ。 この本もインタビューという形で2007年頃から始めて2010年に出たものだが、 80才をとっくに越えていた。 「文学概論」のようなものというのをうたっているが、 いろんな作家や作品が羅列されているがその一つ一つについて解説しているわけでなはい。 体系的とも言いがたい。 エッセイのたぐいというべきだろう。 短編小説のことをスケッチと言うと書いてある。 私も「川越素描 (a sketch of kawagoe)」というのを書いた。 しかし私の書いたものの中では「川越素描」は一番の長編と言ってよい。 長編だけど普通の長編小説みたいな構成にはなってない。 千一夜物語のようなつもりで書いたもので、その個々の要素は素描にすぎない、 と言いたいわけである。 長編小説というのは今で言えば指輪物語やハリーポッターみたいなのを言うのだろう。 どちらもイギリス人の作家だ。 丸谷才一もフランスは短編、イギリスは長編が発達したと言っている。 なるほどなと思う。 ましかし、フランスでも「レ・ミゼラブル」やスタンダールなんかは長編だわな。 私はたぶん、長編を書こうとしても書けないんだと思う。 書こうとすると「川越素描」や「司書夢譚」のような短編を束ねたようなものになるか、 束ねきれ… 続きを読む »

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対句と対聯

聯という字が我々にほとんどなじみがないように対聯という概念も日本人には希薄だと思う。 対聯は五言排律のような比較的長い漢詩にのみ使われる用語であり、 律詩や絶句くらいしか親しみがない日本人にはよくわからん世界である。 対聯は二句だけでも成立し、中国では今も門の左右に掲げたりする。 八股文の股というのも聯であり、 すなわち八股文とは四つの対聯を胴体とする文章というのに他ならない。 対聯が三つの六股文というのもあり得る。 八股文には頭と尾がついている。五言排律とまったく同型である。 このことについては「帝都春暦」に詳しく書いておいた。 八股文と五言排律のアナロジーに気づいたのが私が初めてだとはとても思えない。 中国の文学会ではすでに定説なのかもしれぬ。 対句というのは二字でも時には一字でも成り立つものだが、 対聯はたいてい五字、さもなければ七字とか八字などである。 このように対聯というものは中国文芸には非常にポピュラーなものだが、 日本文芸ではほとんど発達してないと言って良いと思う。 古今集仮名序の 「人の心を種「よろづの言の葉」とか、 「花に鳴くうぐひす」「水に住むかはづ」とか、 「力をも入れずして天地を動かし」「目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」とか、 「男女のなかをもやはらげ」「猛きもののふの心をもなぐさむ」 は典型的な対句だが、 これはおそらくは真名序の 「託其根於心地」「発其… 続きを読む »

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産経購読10年

今となってはもう大昔だが、 [地方紙5紙の社説がソックリ。](/?p=1635) というのを書いた。 もう10年も前になるわけだ。 私は高校生の頃に朝日が嫌いになり、 大学生の時に読売が嫌いになり (理由は敢えて秘す。巨人が嫌いとかそんなどうでも良い理由ではない。 朝日以上に心底嫌いだ)、 毎日は好きとか嫌い以前につまらなすぎて読みさえせず、 仕方なく折り込みのチラシや自治体の広報を読むために一番安い東京新聞を読んでいたことがあるのだが、 東京新聞も朝日に劣らず偏っていることを知り、 やむなく高いがまともだと思われた日経新聞を読んでいたことがある。 日経は悪くなかったが、2006年にも書いたようにおかしな記事を書いたので、 もう他に読む新聞がなかったので仕方なく産経新聞を読むようになったのである。 何度も書いているが、田中久三という名前は tanaka0903 の方がさきにできている。 2009年3月からこの名前を使い始めて田中久三はその当て字である。 それ以前は某所で実名でブログを書いてたわけで、 日経読むの辞めましたというのはそのころに書いたわけである。 昔のブログの記事も当たり障りのないやつはサルベージしてある。 当時の日本経済新聞社東京本社編集局総務の小孫茂という人の講演もすでに本家にはないが、 Wayback Machine で読むことができるのでわざわざリンクを張り直し… 続きを読む »

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