後鳥羽院初学の歌

> この頃は 花ももみぢも 枝になし しばしな消えそ 松の白雪

後鳥羽院御製。正治後度百首(1200年末)。新古今。
後鳥羽院の 1200年より前の歌というものは残っていない。
当時満20歳。
和歌の習い立てに定家の

> 見渡せば 花ももみぢも なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ

> 駒とめて 袖打ち払ふ かげもなし 佐野の渡りの 雪の夕暮れ

の影響をもろに受けたものであるのは間違いない。
後鳥羽院に定家が出詠したのも 1200年であり、それ以前に二人に交渉はない。

後鳥羽院の歌に定家の露骨な影響を見るのはしかしこれくらいであり、
後鳥羽院はおそらくまもなく定家の影響を受けることを拒み、
俊成や西行、或いは式子を志向するようになったと思う。
というのは定家の歌はあまりに癖が強いので真似るとすぐにばれるからである。
それでも上の二つの定家の歌の模倣者は多かった。
そういう意味では後鳥羽院はわりとまともな精神の持ち主だったと思う。

胃がもたれる

脂っこい外食で胃がもたれる。
自宅でインスタントラーメンとか食べても平気だが、
外食のラーメン屋はアウト。
年を取ったものだなあ。

炭水化物中心にストレスない程度に食べた方がよい。
我慢して食べないとたしかに痩せるのだが、血液検査結果がどんどん悪くなる。
とくにコレステロール値。
痩せてもコレステロール値は逆に上がるのが怖すぎる。

肉自体はなんということもない。
魚も問題なし。

20代、30代はよかった。
40代もまだ新しいことに挑戦することに意味があり得た。
小説を書き始めたのも40代だった。
しかし、保守以外何もしないのが一番楽で効率的なのが50代。
恐ろしい。

地方都市を旅行しても、海外旅行しても、たぶんこれくらい楽しくてこれくらい退屈するだろう、
ってことがだいたいわかってしまう。
中央線沿線を飲み歩けばこのくらい楽しくてこれくらい疲れるだろう、ってこともわかってしまう。
若手を育てたいとかなんか組織を作ったり貢献したいと思ったこともあったが、何の意味もないことを悟った。
CGは嫌いじゃない。
だけど切りが無い。
これくらい作り込めばこれくらい良いものができる、そして自分の才能ならばここまで行くにはこれくらいの努力が必要だということもわかる。
その努力と引き替えに失われる自由な時間がもったいない。
というか、別に自由な時間が欲しいわけではない。
やってる最中に、これは死んだ後まで残る仕事じゃない、と思うとそれ以上やる気がうせる。

50歳までに特に未練がないくらいに人生を楽しんだ、ということにしておくか。

紙の本だが、あっさりと初校ゲラに行くらしい。
単著でしかも自分の和歌が載った本を出すのは初めてなので、
かなりぎりぎりまで自分を追い詰めた。
自分なりに良い本だとは思うが、ものがものだけに、大して売れない可能性が高い。
期待して売れなかったときにがっかりするのが怖い。
定家、後鳥羽院、式子内親王、その他もろもろ新しい知見(笑)をぎゅうぎゅうに詰め込んで300枚弱。
500枚は軽く書いた。1000枚行ってたかもしれんが、それをどんどん削って300枚弱にしたのだ。
多少は反響がなくては困る。

4月30日が50歳の誕生日。
それまでには出るはずだ。
40代最後の記念になるわな。
今も学術書はほとんどが紙の本だ。
いきなり電子媒体では流通しない。
図書館にも置かれない。
図書館においてもらい、定家を調べたくなった人が手にとってくれると良い。
まともかく和歌の本などそれほど売れるものではない。

藤原氏の勉強2

いわゆる大化の改新とか乙巳の変というのは蘇我氏のお家騒動に過ぎないように思える。
主家は滅んだが、蘇我一族が滅んだわけではなく、皇族が力を付けたかというとそういうわけでもなく、
藤原氏の台頭はもう少し後だ。

大化の改新が天智天皇と中臣鎌足によるとしたのは藤原不比等に違いないのだが、
すでに舎人親王によって完成していた日本書紀を不比等や光明皇后らが改変したとすれば足りるのである。
藤原氏は単に文武と聖武の外戚となったが故に権力を手に入れたにすぎない。
皇族や他の氏族のように日本という国を建てて、あるいは国を治めることで権力者になったわけでもない。
白村江の敗北によって日本が中央集権的な律令国家を指向し、それが奈良朝の聖武天皇の治世として結実したわけだが、
そのことにも藤原氏はほとんど関係してない。
天皇家や蘇我氏、その他の有力な氏姓が九州や中国地方から次第に近畿に移ってきたのに対して、
藤原氏は単なる山科土着の豪族で、皇室に絡みついて利を得た存在にすぎない。
というのではあまりにも後ろめたいので、
大化の改新というものの主役になることにしたのだろう。

高倉院御製

新古今に見える高倉院御製四首。

275 瞿麦露滋といふことを

> 白露の 玉もて結へる ませのうちに 光さへ添ふ 常夏の花

「瞿麦」はエゾカワラナデシコ。
「ませ」は「まがき」のこと。

524 紅葉透霧といふことを

> 薄霧の たちまふ山の もみぢ葉は さやかならねど それと見えける

668 上のをのこども暁望山雪といへる心をつかうまつりけるに

> 音羽山 さやかにみする 白雪を 明けぬとつぐる 鳥のこゑかな

1146 題知らず

> つれもなき 人の心は うつせみの むなしきこひに 身をやかへてむ

1163 題知らず

> 今朝よりは いとどおもひを たきまして なげきこりつむ 逢ふ坂の山

まあ、普通だ罠。