Griechenland — Friedrich Hölderlin

Ach! es hätt’ in jenen bessern Tagen

Nicht umsonst so brüderlich und groß

Für das Volk dein liebend Herz geschlagen,

Dem so gern der Freude Zähre floß! –

Harre nun! sie kommt gewiß, die Stunde,

Die das Göttliche vom Staube trennt –

Stirb! du suchst auf diesem Erdenrunde,

Edler Geist! umsonst dein Element

ああ!かのよりよき日々ならば、

雄々しく大いなることも無意味ではなかった

おまえの愛する心は高鳴る、かの民族のためならば、

歓喜の涙はいくらでも流れ得た –

今はただ待ち焦がれよ!必ず時は巡り来る、

運命が切り離す、土くれから神なるものを –

死ね!おまえはこの地上を探し求める、

気高き魂を!むなしき、おまえの一部を

シュピリを惰性で訳しているうちにふとヘルダーリンを訳したくなった。シュピリはもう訳してもしょうがないかもしれない。もはやたいしたものは出てこないように思える。シュピリを訳しているうちにだいぶドイツ語訳にも慣れてきた。もっと面白いもの、意義のあるものを訳してみたい。

「運命が」は完全な意訳。「その時が」を繰り返したくなかったのと、韻をちゃんと踏みたかったから。

伊藤静雄はヘルダーリンをドイツ語原文で読んで、あのような初期の詩を作ったという。それでヘルダーリンの詩の訳というものは、そんなに良いものはないように思う。例えば川村二郎訳の岩波文庫版で上の箇所は

ああ! あのよりよい日々になら

愛にみちた君の心は 民のために

どれほど大らかに親密を脈うったとしても 空しくはなかった

あの日々ならば 君の心は歓喜の涙を思うさまながしただろうに!――

待つがよい! いずれは刻がおとずれよう

神的な力を 牢から解きはなつ刻が――

死ぬがよい! 高貴な精神よ! この地上では

君の住まう場を求めても 所詮甲斐ないのだ

と訳されているらしいのだが、あまり上手な訳とは思えない。

この「ギリシャ」という詩は1793年、ヘルダーリンが23才のときの作らしい。比較的きちんと韻を踏んで作られた真面目な詩のように思える。たとえば die Stunde と Erdenstunde、trennt と Element が韻を踏んでいる。だから私も少し律儀に訳してみた。このリズムを訳さなくては面白さは失われるだろうし、川村二郎訳では、原文の意味が忠実に伝わってくるとはとても思えない。

これはギリシャ独立戦争に熱狂するヨーロッパ人の気持ちを表した詩だ。「待つがよい! いずれは刻がおとずれよう 神的な力を 牢から解きはなつ刻が」これは明らかにその時代背景をわかった上で訳しているのだが、あまりにも説明的で結果論的だ。

このように気狂いしたような若者の詩を、神聖ローマ帝国的な中世の沈滞の中にその青春時代を生きたゲーテやシラーが、好むはずもなかった。同じ理由でニーチェがヘルダーリンの影響を受けたのは当然だったと言える。

1793年、フランス革命は勃発していたがナポレオンはまだ大尉。イタリア方面司令官にすらなっていない。ギリシャ独立運動も、まだかげもかたちもなかった。ヘルダーリンはまさに時代の先駆者だったのである。

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