ドゥカス王朝の皇帝交替問題

[ドゥカス王朝の皇帝交替問題](http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/bitstream/10236/5274/1/352-01.pdf)
という論文を見つけたのだが、
なかなか興味ぶかい。
ま、エウドキアはフィクションなんで脚色してて別にかまわないわけだが、
この論文を読んでもらえば、だいたい史実に沿ってる、ってことはわかってもらえるだろう
(めんどくさいから誰も読まないと思うが)。

ローマノスとヨハネスの間のマラズギルト敗戦後の関係が少し違うといえば違う。
確かにWikipedia英語版読むとそう書いてある。
だが結局これらの話はすべてはミカエル・プセロスという人の伝記がソースであり、
おそらく相当正確ではあろうが、
ただ彼がそう書いているというだけであり、
彼は単にエウドキアに比較的近かった学者というだけで、
政治の駆け引きというものが実際にはどうだったかなんてことは結局はわからない、と思う。
だからこそ状況証拠という名の補助線が必要になってくるわけだが。

ミカエル・プセロスの原典を当たってみないとわからんことではあるが(それはたぶん私には無理)、
上掲論文ではイスタンブルのことをコンスタンティノープルではなくコンスタンティノーポリでもなく、
ちゃんとコンスタンティノポリスと呼んでいる。

おんなじようなところに疑問を持ってるわな。
なぜイサキオスはコンスタンティノスを後継者に指名したか。
なぜ帝位は再びコムネノス家のアレクシオスに戻ったか。
なぜエウドキアはローマノスと再婚したのか。
伝記だけではわからんのよね。論文は仮定以上のことは書けない。
小説だから大胆に創作して書ける。

ヨハネスとは実際どんな人物であったか、兄コンスタンティノスとの関係はどうだったか、
ってとこが難しい。
状況証拠的にはそうとう仲が悪かった。
仲の悪い理由は不明なのでそこは推測して創作するしかなかった。

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