アルムおじさん一家の謎

アルムおじさんがドムレシュクに帰郷したときのことだが、
ハイジの日本語訳は割とまともなようだが gutenberg の英訳はあまり役に立たない。
それで(わからんなりに)ドイツ語を当たってみるのだが、

> Dann auf einmal erschien er wieder im Domleschg mit einem halb erwachsenen Buben und wollte diesen in der Verwandtschaft unterzubringen suchen.

halb erwachsenen Bub とは「半ば大人の男の子」というのだから、小学校高学年くらいか。
この子供を親戚(Verwandtschaft)に unterbringen (宿泊させる、収容する)、というのだから、親戚に住まわせる、一時的に預かってもらう、
養育してもらうという意味であり、手放して親戚の養子にしてもらう、という意味ではあるまい。
そもそもそんな大きな、もうじき働ける子供を養子に出す理由がない。
子供のない家庭が跡継ぎに(或いは婿養子に)引き取りたがるならともかく。
大きくなって自分で働けるようになったら引き取ろう、それまでの報いは、後に金銭か何かでする、
というつもりだったのではないか。
高校生くらいになれば、立派に自分で働けるから、やはり、トビアスは、せいぜい13、14才くらい、
数年間だけ親戚のところに住まわせてもらおうくらいの感じではなかろうか。

ちうわけで、ニュアンスを少し変えてみた。
つまり、アルムおじさんはハイジやトビアスをやたらと親戚に預けたり手放したりする癖がある、
という見方をやめた。やはり、トビアスやハイジが可愛くて、できれば手元に置いておきたかった、
イタリアからトビアスだけ連れてもどったのも、妻とは別れても子供と別れたくなかった、
ということだろうと解釈してみる。
デーテがハイジを連れてきたときにもあれは一種のツンデレであって、孫はやはり可愛い。
一緒に住んでいるうちに愛着もわく。トビアスの時もだいたいそうだったのに違いない。
トビアスは帰郷時に12才ということにしてみた。
12才というと記憶も自我もはっきりしているから、もし母親と生き別れならば、
母親をよく覚えてもいたろうし、悲しかっただろうし、別れたくはなかっただろう。

アルムおじさんは二人兄弟の長男で次男は失踪してしまった。父母はなくなった。
ドムレシュクの親戚とはおそらく従兄弟(従姉妹)であろう。
何人くらいいたかわからぬが、全部に断られた。
もしかしたら弟が先に戻ってきていたかもしれん。
まあ、嫌われて当然だわな。

> Die Frau muss eine Bündnerin gewesen sein, die er dort unten getroffen und dann bald wieder verloren hatte.

アルムおじさんの妻も同郷、つまりグラウビュンデン州の出身だったに違いない、unten というのはライン川の下流というのではあるまい。マイエンフェルトはグラウビュンデン州では一番北の外れで川下に当たるからだ。
unten は南の方、つまり上流のドムレシュクの方と考えるべきだが、
12年も15年も放浪していて、いきなりドムレシュクに帰ってきて、子供はでかいのに、妻がグラウビュンデンの人で、
素性もしれないとははて、どういうことだろうか。
しかもトビアスを産んですぐ死んだと言っているが、
仮にトビアスが12才だとして、その間息子と二人でどこをどうほっつき歩いていたというのか。
なんか設定が矛盾している気がする。

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