亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

世論

08.19.2006 · Posted in 雑感

憲法で保証されている言論の自由というのは国家権力に対する拘束を言うのであり、マスコミや政治家に対する一般市民によるテロ行為を、言論の弾圧だとか基本的人権の侵害だとか言うのは拡大解釈だと思う。 もちろん暴力を容認してよいと言っているつもりはない。 しかし、言論には言論で対抗せよと言っても、メディアを掌握してないものやインテリでないものは引っ込んでろといっているようなもんで、はなはだ乱暴な理屈だと思う。 そんな理屈で説明責任を果たしたつもりの言論人などいざというとき何の価値があるだろうか、みものだ。

ネットの匿名の「心ない発言」が問題になっているようだが、ならば飲み屋のオヤジ連中の無責任な発言も問題にすべきではないか。 文字になるかならないかの違いに過ぎない。 酔っぱらいオヤジ連中の国士気取りの戯言など昔からある。 同様に侵略されりゃ無条件降伏すれば良いという団塊世代の思考停止論もある。 そもそもこういう一般大衆の本音というものは、規制することも否定することもできぬ。 事実そのものだからだ。

マスメディアと世論がいかにして乖離しまたは同調するかというのはおもしろそうな話だなぁ。 マスコミといっても一般大衆が読みたいと思うものを書いてるにすぎぬ。 大衆が読みたいものを書けば売り上げが伸びる。 誰も市場原理に逆らうことはできぬ。 世論というのは過激なことを言っているようで実は保守的なものであり、やはりきちんと均すと世論(サイレントマジョリティと言うべきか)はその時代時代ではおおむね正しい。 どちらかと言えば間違っているのはマスコミなのだが、世論と乖離し間違えば間違うほどマスコミは暴走するのだよね。

政治家はある人から感謝されると同時に他の人には恨まれるかもしれない。 恨まれるからといってへいこらしていては政治家としてつとまらない。 人に恨まれるのを覚悟していないと政治家はつとまらない。 特に一般大衆に恨まれればどうなるかわからない。 政治家など今も昔もそんなものではないのか。 人に恨まれるのが嫌なら政治家や医者や弁護士など、人の人生を簡単に左右してしまうような仕事につかねばよい。 それだけのことではないか。

Comments are closed