本歌取りや返歌に文句を言っても仕方ないなと思った。
返歌はどうせ説明されないとわからんし、
定家の歌は本歌取りばかりなんだから、わからんで当たり前なんだなと。
ていうかガチンコで歌を読もうと思うと、まずは取材をしないといけない。
写生するなり観察するなり。
で、その気分が残っているうちに詠まないといかん。
昔はみんなそうして歌を読んでいたが(たとえば和泉式部など)、
そのうち本歌取りというゲームが流行りだして、
定家なんかがそのルールを明文化して、
ひたすら三代集とか八代集とかの歌を丸暗記して、
題詠+本歌取り+歌合というもう完全にバーチャルな遊技の世界になってしまい、
そういう場で競い合ってそこからそのまま勅撰集に取られるようになって、
とてつもなく狭い宮中遊技の中に閉じてしまって、
あんなふうになってしまったんだろうなと思う。
一方で実朝やら、あるいは南朝の後村上天皇などは実際に山野を踏み歩いて、
その場その場の写生というかガチンコで詠んでいるとしか思えない歌が多い。
古今集の頃は本歌取りするような歌がまだあまりなかったから(しかし紀貫之も本歌取りしたらしいが)、
遊びとしてはだじゃれみたいなのが流行ったんだろうな。
宮中でも民間でもみんながみんな和歌を詠んでいたのってやっぱ古今集時代、
遅くて和泉式部くらいまでなんだろうな。
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