亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Griechenland — Friedrich Hölderlin

07.31.2017 · Posted in ドイツ語

Ach! es hätt’ in jenen bessern Tagen

Nicht umsonst so brüderlich und groß

Für das Volk dein liebend Herz geschlagen,

Dem so gern der Freude Zähre floß! –

Harre nun! sie kommt gewiß, die Stunde,

Die das Göttliche vom Staube trennt –

Stirb! du suchst auf diesem Erdenrunde,

Edler Geist! umsonst dein Element

ああ!かのよりよき日々ならば、

雄々しく大いなることも無意味ではなかった

おまえの愛する心は高鳴る、かの民族のためならば、

歓喜の涙はいくらでも流れ得た –

今はただ待ち焦がれよ!必ず時は巡り来る、

運命が切り離す、土くれから神なるものを –

死ね!おまえはこの地上を探し求める、

気高き魂を!むなしき、おまえの一部を

シュピリを惰性で訳しているうちにふとヘルダーリンを訳したくなった。 シュピリはもう訳してもしょうがないかもしれない。もはやたいしたものは出てこないように思える。 シュピリを訳しているうちにだいぶドイツ語訳にも慣れてきた。 もっと面白いもの、意義のあるものを訳してみたい。

「運命が」は完全な意訳。 「その時が」を繰り返したくなかったのと、韻をちゃんと踏みたかったから。

伊藤静雄はヘルダーリンをドイツ語原文で読んで、あのような初期の詩を作ったという。 それでヘルダーリンの詩の訳というものは、そんなに良いものはないように思う。 例えば川村二郎訳の岩波文庫版で上の箇所は

ああ! あのよりよい日々になら

愛にみちた君の心は 民のために

どれほど大らかに親密を脈うったとしても 空しくはなかった

あの日々ならば 君の心は歓喜の涙を思うさまながしただろうに!――

待つがよい! いずれは刻がおとずれよう

神的な力を 牢から解きはなつ刻が――

死ぬがよい! 高貴な精神よ! この地上では

君の住まう場を求めても 所詮甲斐ないのだ

と訳されているらしいのだが、あまり上手な訳とは思えない。

この「ギリシャ」という詩は1793年、ヘルダーリンが23才のときの作らしい。 比較的きちんと韻を踏んで作られた真面目な詩のように思える。 たとえば die Stunde と Erdenstunde、trennt と Element が韻を踏んでいる。 だから私も少し律儀に訳してみた。 このリズムを訳さなくては面白さは失われるだろうし、 川村二郎訳では、原文の意味が忠実に伝わってくるとはとても思えない。

これはギリシャ独立戦争に熱狂するヨーロッパ人の気持ちを表した詩だ。 「待つがよい! いずれは刻がおとずれよう 神的な力を 牢から解きはなつ刻が」 これは明らかにその時代背景をわかった上で訳しているのだが、あまりにも説明的で結果論的だ。

このように気狂いしたような若者の詩を、 神聖ローマ帝国的な中世の沈滞の中にその青春時代を生きたゲーテやシラーが、好むはずもなかった。 同じ理由でニーチェがヘルダーリンの影響を受けたのは当然だったと言える。

1793年、フランス革命は勃発していたがナポレオンはまだ大尉。イタリア方面司令官にすらなっていない。 ギリシャ独立運動も、まだかげもかたちもなかった。 ヘルダーリンはまさに時代の先駆者だったのである。

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