改行が多く行間が広いブログ

行間が異様に広く、ときどき2行か3行も行間をあけたり、しかも改行が多すぎて1行が異様に短いブログを書く人がいるが、おそらく間違いなくスマホで書いているのだろう。スマホで見ればそういう文章はそれなりに見えるが、PCで見ると異様に読みにくい。

私のこのブロクで古い記事には Markdown で書いていたものがそのまま放置されているものが多くあり、改行が多くみえるが、それは意図してそうしたわけではない。いわば、プログラムのコーディングで80文字で適当に改行を入れたりするがそれと同じような感覚で改行を入れている。そうして文章を「コーディング」しておき、最終的に Markdown が整形して表示してくれる、という書き方を好んでいた頃があったが、今では普通に、ワープロ的な書き方をしている。Markdown に依存しているとそれを他にコピペするときなどに不便だし、wordpress は勝手に仕様変更していくし、どこに改行を入れ、どこでパラグラフを分けるかということは最初から明示しておいたほうが良い、などといろんなことを総合して今のような書き方(つまり wordpressのデフォルトの書式で書く)に落ち着いた。

ブログ村など見るとレイアウトとか背景とかが異様に読みにくいて読む気すら起きないのにわりと読者がいるブログがあってああいうのは要するにみんなスマホで読めばそこそこ読めるのだろう。

atokよさらば

facebookのリールがキモい件だけど、詐欺広告うんたらの話見るとやっぱfacebookって広告収入とかリールの集客でもってるからここ切りたくないからあんなのばっかなんだよな。もうどうしようもないよな。とにかく早く潰れてほしい。

atokは一太郎ver.3の頃から使い続けてきたが、もうそろそろやめさしてもらうよ。毎年サブスクしてまで使いたいわけじゃない。google日本語入力でなんとかしのぐ。手書き文字入力するときだけmicrosoft ime使わせてもらうわ。

自分みたいに歴史小説書いているとどうしてもatokじゃなきゃダメ、っていうほど変換効率良くないのよ、atokって。そこが売りか、そこに特化しているかというとそこまででもない。そういうほんとの執筆者とか研究者よりも圧倒的にライトユーザーのほうが多くて、語彙増やしたりとかそういうところに開発経費かけられないんだと思う。ジャストシステム的にはおそらく古くからの年寄りユーザーをサブスクで囲い込んでなんとか逃げ切ろうという戦略しか考えてないように見えるのよね。なんかさ、ジャストシステムが日文研と組んで古語の語彙を増やすとかさ、そういう研究開発しますっていうんなら、よし、じゃあ死ぬまでついて行きますとか言えるかもしれないが、今のスマホのライトユーザー向けのビジネスモデルとかまるでありがたみを感じないし、ならgoogleで良いかってなるだろ。

経営的にそれがダメとはおもわんよ。マーケティングして顧客のプロファイリングして、そういう戦略にしましたっていうならそれで仕方ない。私にはついていけないだけ。

アイキャッチ画像にしばらくAI生成画像使ってみたがやっぱやめるわ。キモいしクオリティ低い。アイキャッチ画像(featured image)自体あまり使う価値を感じないが、つまり、図や図版の必要性はあるだろうが、それはそういうのが要る記事に限るわけで、別に記事ごとにアイキャッチ要らんだろとは今も思っているのだが、wordpressの仕様的にはないと不便なのでとりあえずつけているだけ。とりあえずいくつか無難な写真を featured image として使い回し、使い回す手間すら惜しいときのために default featured image というプラグインを使うことにする。

株安来て今が買い時なんだろうけど、なんというか、絶対の買い時とか、今が儲け時なんてものはざらにはないんだよな。あのアホなコロナ騒ぎの時は明らかな買い時だったけど。買い時に見えてもほんとうに買いたい株はそんな下がらないし、もう下がるまい、下がってほしくない株もある程度までさらに下がる。だからその場その場で、損しない程度に判断して買うしかないわね。

久しぶりに一眼レフカメラを使うが、やはりこのパシャっという音が心地よい。ゴツくて重くてかさばるが、近場を三脚に取り付けて撮影するときなんかはやっぱ普通のカメラのほうが便利だ。旅行で持ち運ぶときには不便だが、そういうときはよほどのとき以外はスマホで十分事足りる。なのでこのオリンパスの一眼レフと、ソニーのハンディカムを適当に使い分けつつ、あとはスマホでしばらくしのぐ。

ヤマザクラは確かに美しいが、わざわざ遠くまで見にいくのはかったるい。ヤマザクラが町中いたるところにある京都なんかだとよいのだが、東京ではソメイヨシノで適当に済まそうって気になる。あんま気にしなければソメイヨシノもそれなりにきれい。とにかく近頃は疲れててわざわざ桜を見に行く手間も時間もかけたくないってときに見る桜としてはソメイヨシノも悪くない。

ブログ回帰

SNSの下品さが加速している。

SNSが俗悪下品なのは、もちろんSNSを運用している会社が俗悪下品だからだが、SNSを利用しているユーザーが俗悪下品だからでもある。テレビ番組が俗悪下品なのと同じ理由だ。テレビを見ている視聴者が俗悪下品だからテレビ番組は究極まで俗悪下品になっていく。

犬がうるさいのも飼い主が下品だからだ。タバコが臭いのも喫煙者が下品だからだ。世の中全体が下品なのはもうどうしようもない。昔はそうした下品さが気にならなかったが、年を取るとどうしても好き嫌いが激しくなる。世の中には年を取ればとるほどに何事にも寛容になる人もいるらしいが、私はそんな境地にはなれそうもない。

要するに世間の問題というよりは個人的なメンタルの問題なのだが、この問題は表裏一体なのでどうしようもない。我慢するか逃げるしかない。

テレビはできるだけ見ないようにしている。それでも現実の世界に生きていると視界の片隅にしばしば入ってくるのだが、もうそれは仕方ない。

SNSは全部やめると言ってしまえば潔いのだがそれもなかなかできない。とりあえずTwitterは酔った勢いで和歌を詠むときには使おうと思う。あと適当にメモるときとか。

1994年からブログとメイルはあった。この二つは比較的まともだ。その後出てきた有象無象のSNSというのがダメだ。

オンラインチャットというものはけっこう昔からあったが、好きじゃないので使っていなかった。LINEとかSMSとかmessengerのたぐいは使いたくない。しかしそれしか使わない人もいるのでごくたまに使うことになる(ただしLINEは絶対使わない)。

facebookはリールがキモすぎる。facebookのコンセプト自体は間違ってないと思うが、facebookを使うユーザーがアホすぎてああいうリールがバンバン流れてくる。インスタグラムもそうだ。エロはダメだがぎりぎりエロじゃない動画はありとかいうyoutube、tiktok文化。アホか。アホは死んでほしいが、世の中はもともとアホなので、世の中はどんどんアホが加速する仕組みになっていくので、逃げるしかない。SNSがキモいのは人間がキモいからなので、これはもうどうしようもない。SNSは人間のキモさを果てしなく増幅する方向で進化していく。これはもう不可避な現象。

ついでに言っておくとPayPayキモい。絶対使わない。

書きたいことはブログに書けば良い。連絡はメイルでやりとりすればよい。ブログとメイル。この二つの手段で仕事も趣味も片付ければ平和だ。SNSよさらば。

google検索

最近のgoogleはちょっと特殊な検索をかけるとすぐに

No results containing all your search terms were found.
Your search – ほげほげ – did not match any documents.

などとそっけない返事をするようになったような気がする。昔は当たってるか外れているかはともかくとして、なんらかの検索結果を出していたが、今は何かの閾値に達していないものは一切表示すらしない。僕らはその断片的で不正確な検索結果から何か有用なヒントをつかんだりしていたのだが、いまやなんの手がかりももらえない。不正確な検索結果を出してしまうと何かgoogleにとって不利益にでもなるのか。法的な問題でもあるのだろうか。信頼性が低いサイトの結果は表示しないポリシーになったのだろうか。ともかくすごく不親切になった気がする。

今はgoogleに課金した企業の検索結果が上位に出る。インデックス登録はされていても、それらの企業の検索結果だけが表示されて、閾値未満のページは表示すらされない。

おじさんはなぜぶつかってくるのか

普通の電車の普通の座席に詰めて座っていると腰が痛くなってくる。他人と体が接触していると無意識のうちに気を使い体に力が入るので、それが腰に来るのだ。だいたい15分以上そうした状態が続くと後でずっと腰痛が残って、電車で座れる以上に疲弊するので、途中で立つようにしている。

おじさんはなぜぶつかってくるのか、という話があるが、今日ぶつかってるおじさんを目撃した。おじさんは怒っているのだ。ぼーっと歩いている人に対して、君は間違って歩いているよ、よく周りをみて歩こうね、そこは君が歩くところじゃないよ、スマホ見ながら歩くなよ、横に広がって歩くと邪魔だよと、ぶつかることで警告しているのだ。ああいうふうに体を張って赤の他人を教育しようとしている人をみると私なんかは畏敬の念すら覚える。ああいう人がもっと増えれば世の中はもっと良くなるのではないか。私はやらないけど。

中には若い女性にぶつかりたいだけの変態おじさんもいるのかもしれない。だがどちらかといえばそういう「犯罪的」「反社会的」な「ぶつかりおじさん」は少数派であり、多くのおじさんはこのごみごみした都会に義憤を感じ義挙しているのだと思う。多くの場合、自分のだらしなさを隠すために、そういう「犯罪的ぶつかりおじさん」が時々槍玉にあがって、「ぶつかられ女子」たちの自己正当化に使われているのではないかと推測する。「なぜ私はいつも人にぶつかられるのかしら」と思っている人の多くは、なぜ自分がぶつかられるか、ふだん人混みの中で(いや、空いてる道でもそうだが)どんなに軽率な歩き方をしているか自己認識できてないだけだと思う。普段そういうぞんざいな歩き方をしている人が電動アシスト自転車なんか乗った日には今度は加害者に回ってしまうのだ。非常に恐ろしい。

普通、人は、町なかを歩くとき、自分の動線に入ってくる人を予測しながら歩いていると思う。自分と他人のどちらの動線が優先かを判断し、こちらの動線のほうが明らかに優先であれば進み、向こうが優先、もしくは、こちらが優先ではあるけれども状況的に向こうに譲ったほうが無難だなというときにはこちらが避ける。人が多く通る重要な通路の上で溜まってる人たちがいたり、逆行してくる人がいたりすると邪魔だなと思いつつも迂回する。そういう「普通でない人」が雑踏の中に1%もいればすごく目立つし、見てていらいらする。「普通の人」はそういう「普通でない人」たちにいちいちメンタルをやられないように無視しながら日常を生きている。中には自分と同じかそれ以上に動線を気にしながらしかしせかせか歩いている人に遭遇することがあり、そんなときにはどっちに回避して良いかわからずとまどうこともある(まあそれはしかし仕方ない)。

はてな匿名あたりでもよく話されていることではある。

悪いのはいつまでも工事している小田急だ。小田急という会社の性格の悪さがいろんなところに出ている。ほとんどの人はそういうところを見逃しているかまったく気にしていない。だからいつまでたっても改善されることはない。なぜさっさと首都機能移転しないのだろうか。東京は世界で一番人がたくさん住んでるとか、新宿は世界一の駅だとか、インバウンド万歳とか、何をいい気になってるんだ。馬鹿じゃなかろうか。さっさと分散させろ。

野球とかサッカーとか競馬とか、人のしのぎにいいように踊らされて、なんて人って馬鹿なのかと思う。