推敲
推敲すればするほど文章は良くなっていく。切りが無い。推敲することによってさらに文章に対する感覚が研ぎ澄まされていき、さらに推敲してしまう。 以前から漠然と考えていたことなんだが、31文字しかない和歌でさえもほとんど無限の表現が可能なのだ。人間が一生かかってもすべての表現を試すことはできない。限られた語彙、限られた文法、限られた文字数でも。いわんや、10万字の小説、20万字の評論ならばなおさら無限の無限倍くらいの可能性がある。 だから結局中途半端で投げ出して死ぬしかない。どこまでやらなきゃならないのか。というより、どこまでやれば自分で納得できるのか。納得などできないのか。 ある程度以上いじるといじればいじるほど悪くなる限界というものはあるかもしれない。それは私自身の限界に達したということになるのだろう。 10万字くらいまでの小説を書いたとして、そのあとその小説を推敲したり加筆したりすると、文章としてはまともになるかもしれないが、だんだん長くなってきて、切れが悪くなるというか、読みにくくなるというか、さっと読み切れなくなる。なんか気に入らないなと思っていても20万字もあるといじれどいじれど全然直ってくれない。だんだん自分でもわからなくなってくる。50万字くらいの長編だともう何をどうしていいのかわからなくなるし、わかったとしても直している時間がない。とても困る。