松平上総介

海舟座談については前にも書いたのだが、松平上総介とは松平忠敏のことで、石高はよくわからないが、およそ二千石くらいの旗本であったらしい。明治になると御歌所の歌道御用掛となって、ウィキペディアには高崎正風を投げ飛ばしたなどと書かれているが出典が良くわからない。

松平忠敏はまた勝海舟に歌を詠むよう盛んに勧めたというがこれも明治になってからのことだろう。いろいろ調べてみるとなかなか面白い歌を詠んでいるようだ。たとえば、

(こと)しあらば (くさ)むす(かばね) (こと)しあらば 水漬(みづ)(かばね)(おも)ふばかりぞ

何事(なにごと)()しと(おも)へば ()かりけり (たの)しとのみや (おも)(わた)らむ

などなど。

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